第92話 灯の届くところ
王都へ入って三日目の朝、セレスティーヌは、新しい冒険者ギルドの建築場で、荷車から下ろされる寝具を受け取っていた。通りの向かいでは、住居棟に窓枠が入れられている。昨日、クリストフと部屋を選んだ場所にも壁が張られ、窓の下へ机を置くところまで、もう思い浮かべられた。
畳んだ毛布を材木の上へ重ねたところで、外門の方からクリストフが戻ってきた。後ろには荷袋を抱えた人々が続き、資材の護衛に雇った冒険者たちが、その列を通りの両側から守っている。
「姉さん。こっちで休ませたい。寝る場所から追い出された」
「魔法を使える方々ですか」
「ああ。冒険者だけじゃない。昨日、地面を均してくれた職人もいる。陸を走る舟を見た奴らが話してるんだ。王都を壊したのは水魔法だって」
クリストフに導かれた人々は、毛布を積んだ荷車の前で足を止めた。持っていた荷物を下ろさず、通りを振り返る顔もある。
やはり、始まりましたか。魔法が王都を壊したと知れば、隣で暮らす魔法使いまで恐ろしくなる。そうして住むところを追われた方々には、こちらへ来ていただくつもりでした。ここを離れる理由がなくなるほど、満ち足りた暮らしを用意すればよいのです。
「奥へお入りください。今夜、休める場所はこちらで用意いたします」
セレスティーヌが寝具を渡そうとすると、通りの向こうで声が上がった。
「魔法使いを入れるな! また街を壊されるぞ!」
飛んできた石が荷車の縁に当たり、積んだ毛布へ土が散った。セレスティーヌは布を握ったまま身を竦め、前へ出たクリストフの背中に、通りを遮られた。
「荷物は置いて、中へ。護衛は入口を空けるな」
弟の声に冒険者たちが動くと、荷車のそばにいた人々が材木の奥へ入っていった。通りから近づこうとした者は護衛に止められたが、その後ろからも罵声が続いた。
セレスティーヌは毛布を抱え直してクリストフの隣へ進んだが、腕から垂れた端が足元へ届きそうになり、弟が片手で受け止めてくれた。
「こちらで暮らす方へ、手を出すことは認めません。お引き取りください」
護衛に押し戻されていく人々を見送り、セレスティーヌは弟から毛布の端を受け取った。土を払っても、目の粗い布には砂が入り込んでいた。
ここへ来てからも、また追われる心配をさせるわけにはいきません。わたくしの手が届くところで、暮らしていただきましょう。
「クリストフ。ギルドの裏へ、住む場所を増やしてください。冒険者でなくても、魔法が使えるというだけで追われた方は、皆さんお迎えします」
「柵も要るな。寝てるところへ石を投げ込まれちゃ、休めない」
「食事も、中で取れるように。治療を受ける場所も、いずれはそばへお願いします」
クリストフは建築場の奥を確かめ、向かいの住居棟を振り返った。
「俺たちの部屋を仕上げてる大工も、こっちへ回すぞ」
窓枠を入れた部屋には、まだ戸が付いていなかった。そこへ戻ってきた弟を迎える日を思い描いたばかりなのに、今は、その前を荷物を抱えた人々が通り過ぎていく。
「ええ。わたくしたちのお部屋は、後で構いません」
「隣は空けとくよ。そこまで変える気はないから」
返事を待たずに通りへ出た弟が、大工たちへ声をかけた。窓のそばに置かれていた道具箱が持ち上げられ、職人たちがこちらへ渡ってくる。セレスティーヌは毛布を抱え直し、先に入った人々を追って建築場の奥へ進んだ。
* * *
昼になる頃には、ギルドの裏で柵の柱が立ち始めていた。セレスティーヌが買い足した天幕を広げると、布の下へ敷く板も運ばれてくる。入口には護衛が残り、通りへ面した場所を荷車が通れるよう空けたまま、その奥で寝泊まりできる区画が囲われていった。
寝具を配っているところへ戻ってきたクリストフは、入口の方を振り返った。
「働く先も、失った奴が来てる。けど、中には、元の仕事へ戻りたい奴もいるんだ」
「お勤め先で、また追い出されなければよいのですけれど」
「ああ。住むところだけ用意しても、それじゃ同じだ」
クリストフは、組み上がりかけた柵へ手を置いた。その向こうでは、荷物を取りに戻る人々が、護衛と一緒に荷車へ乗っている。
「ここにいる連中を雇いたい奴には、俺のところへ来てもらおう。何を頼むのか聞いて、こっちで人を決めて送り出す」
「外でのお仕事も、あなたがお決めになるのですね」
「危なけりゃ断れる。帰ってくる場所も、飯もあるんだ。嫌な仕事を無理に受けなくていいだろ」
セレスティーヌは、抱えていた寝具へ指を沈めた。追われた人を休ませる場所に、弟が仕事の入口まで作ろうとしている。自分が頼む前に、その先へ手を伸ばしてくれた。
「その申し込みは、あなたのところで受けてください。わたくしへ、一つずつお聞きにならなくて結構です」
「なら、もう受け始めるぞ。姉さんは、戻った連中が休めるようにしてやってくれ」
頼む、と添えた弟の声を聞くと、セレスティーヌは抱えた寝具を胸へ寄せた。返事をしようとしたのに、先に笑いが声へ混じり、クリストフがこちらへ顔を戻した。
「何か変なこと言ったか?」
「いいえ。あなたが、そこまで引き受けてくださるのが嬉しいのです」
「俺も、姉さんとここを作りたいんだよ」
通りに残る怒鳴り声は、柵の中までは届いていた。セレスティーヌは弟と向かい合ったまま、口元を緩めた。あの窓のそばで暮らすことも、ここで人々を迎えることも、彼と一緒に始められる。
「では、こちらはお任せください。食事の届く場所も、中へ変えていただきます」
クリストフが入口へ戻ると、セレスティーヌは天幕の下へ寝具を運んだ。床板へ毛布を広げ、荷物を置いた人々へ、働く先が決まっていなくてもここで休んでよいと伝えていった。
* * *
午後、材木を納めている商人が、柵の入口でクリストフを呼んだ。倉庫の入口を塞ぐ石を片づけ、荷車を通せるようにしてほしいという。
セレスティーヌが入口へ行くと、クリストフは商人から代金を受け取り、仕事を求めていた土魔法の職人たちを呼んだ。行き先と作業を伝え、資材の護衛をしていた冒険者を同行させると、一行を荷車へ案内した。
セレスティーヌは柵の入口で、一行を見送った。出ていく荷車には、取り戻してきた荷袋が積まれていない。荷物は天幕に残され、代わりに石を運ぶ道具が載っていた。
夕方、空の荷車が戻ってきたときも、クリストフは入口へ迎えに出た。職人たちから片づけた場所を聞き、給金を渡すと、食事を用意した天幕へ通していく。
セレスティーヌは、卓へ置いたパン籠の布を外した。荷車を押していた手が差し出され、パンを受け取ると、そのまま豆の煮込みをよそった椀も持っていった。朝には通りへ向いていた顔が、今は自分の荷物を置いた寝床を探している。
「間に合いましたね」
「ああ。明日は、倉庫の裏手も片づけてほしいってさ」
「明日は、何をすればいいですか」
パンを受け取った職人が、隣へ来たクリストフに問いかけた。弟は、その手に残った石の粉を見てから、向かいの住居棟を指した。
「朝はこっちで働いてもらう。家を増やす場所を均したい。倉庫の方へは午後に行ってもらうつもりだ」
「分かりました。何時に集まればいいですか」
「朝飯を食ったら、ここで待っててくれ。俺が連れてく」
職人が椀を持って天幕の奥へ入ると、食卓の向こうでも仕事から戻った人々が席に着き、弟へ明日の予定を尋ねていた。セレスティーヌはそのそばに立ち、クリストフが一人ずつ行き先を伝えていく声を聞いていた。
わたくしたちに、任せてくださるのですね。
「クリストフ。明日の朝も、皆さんの食事をここへ届けていただきましょう」
「もう頼んだよ。姉さんの分も、俺の分も」
弟が引いた椅子へ腰を下ろすと、柵の入口へ掛けられた灯りが、食卓の端まで届いていた。セレスティーヌは隣の席へパン籠を寄せ、仕事を終えたクリストフを迎えた。




