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境界線の商人  作者: カミツキ
五章 再建国される理想郷

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第90話 空いた席

 フェオリスにあるブーケ家の屋敷で、セレスティーヌが封書を読み終えるより先に、クリストフは王とレヴィンの死を告げた。冒険者ギルド支部へ届いた王都からの急報を、そのまま持ってきたのだという。机に添えられた彼の手には力が入り、握り締めて運んだ封書の端も潰れていた。


「王城も冒険者ギルド本部も、舟に壊された。王都の役人から、支部へ救援を送ってくれと言ってきてる。城からも本部からも、指図が来なくなったんだ」


 セレスティーヌは報告書を机へ置き、王国が終わる知らせを届けに走ってきた弟を静かに見つめた。まだ息が上がっているのに、こちらの返事を待つ間は口を挟もうとしなかった。


 お一人ずつの命を守りたいと願ってきたことに、偽りはありません。それでも、わたくしの国を作るために、犠牲が出ることを承知で王都を壊すと決めました。


 王国が島へ兵を向けたなら、その軍を退け、王都まで進んでもらう。イサリとは、そこまで話をつけてあった。リールには知らせず、護衛としてそばに置いた。クリストフからギルド内部の動きを聞きながら、あの商人なら、いずれ王国を動かす何かを起こしてくれると見込んでいた。


「青濤会には、大きな借りができましたね」

「ああ。ここまで早くなるとは、思ってなかった」

「わたくしもです。リールさんには、感謝しなければなりませんね」


 ようやく、自分の決めたことを、そのまま始められる。ふと、以前に支部の救助費を払いながら、自分の出した金と一緒に、募集延長を認めない封書が送られていった日のことが脳裏をよぎった。門の外へ消えていったあの荷車を思い出すと、今も、机に置いた自分の手へ自然と力が入った。


「王都へ向かいます。荷車と、護衛を頼める方を手配してください」

「俺も行く。支部のことは、留守の間を任せられる奴がいる」

「あなたには、王都で新しいギルドを任せたいのです」

「本部を立て直すんだな」

「建物も仕組みも、作り直します。王国やヴェールの許しを待つ場所へ戻すつもりはありません」

「……ああ。もう誰にも邪魔されない。今度は、姉さんの決めたとおりにできる」


 クリストフが机の向こうから差し出した手を、セレスティーヌは優しく両手で包み込んだ。握り返された手の冷たさに、弟が屋敷へ駆け込んできたときの蒼白な顔を思い出す。


 これからも、あなたはわたくしの可愛い弟ですよ。


「今まで、わたくしのために動いてくださって、ありがとうございます」

「まだ終わってないだろ。礼は、そのあとでいいさ」


 クリストフは照れ隠しのように手を離すと、廊下で人を呼んだ。セレスティーヌも書斎を出て、王都へ運ぶ薬と食料を荷車へ積むよう頼んだ。


 * * *


 道中で馬を替えて王都へ着くと、護衛を引き受けたゲリオンが、崩れた外門の手前で馬車を止めた。フェオリスでクリストフに呼ばれ、一行へ加わった彼は、壁の傾きを見上げ、御者へ脇の道を指した。


「真下を通すな。もう少し離せ」


 セレスティーヌはクリストフと降り、先を歩くゲリオンについていった。壊れた家の梁が通りを塞ぎ、泥の中へ食器や衣類が埋まっている。屋根の隙間からは舟の底が突き出し、舳先に押し折られた石壁が、その下へ積み重なっていた。


 イサリさんは、お約束を果たしてくださったのですね。


 板を避けて踏み入れた泥が、靴の中まで染みた。舟の舳先には血の付いた服が引っ掛かり、下へ落ちた袖が泥水に浸かっている。セレスティーヌは歩みを緩めたが、クリストフが差し出した腕にはつかまらず、自分で裾を持ち上げて進んだ。


 本部の前まで来ると、クリストフの足が止まった。正面の壁が崩れ、二階の床まで剥き出しになっている。以前、支部へ送る金を届けた入口には、受付台が横倒しになり、その奥を梁が塞いでいた。


「……ここまで、やられてるのか」


 クリストフが瓦礫へ近づこうとすると、ゲリオンが横から腕を出した。


「上を見ろ。あの柱、屋根を支えてねえぞ」

「分かってる。中へは入らない」


 踏みとどまった弟が、足元の泥に埋もれていた看板を起こそうとした。しかし、折れた継ぎ目から二つに分かれ、再び泥の中へ落ちていく。セレスティーヌはその痛ましい手元を見てから、荷車を待たせた道の方へ振り返った。


「ここへ人を集めるのは、やめましょう。外門の外で荷を下ろしてください」

「そっちを窓口にするのか」

「はい。使える建物を探して、治療も、住む場所の手配も始めます。支部には、わたくしの名で知らせてください」


 支部へ届ける手紙には、今度こそ、自分が決めたことを書ける。壊れた入口を見上げながら、セレスティーヌは頬が緩みそうになるのを堪えた。


 クリストフが荷車へ向かうと、ゲリオンは小盾を肩へ掛け直した。


「王都まで、って話だったな。ここから先も護衛が要るのか」

「新しいギルドでも、力を貸していただけませんか。若い方を指導して、安全に仕事から戻る方法を教えていただきたいのです」

「俺が、ギルドの職員になるのかよ」


 ゲリオンの声に混じった戸惑いに、セレスティーヌは静かに頷いた。崩れた道を歩く間も、彼は先に足場を確かめ、こちらの歩幅に合わせて進んでくれていた。


「毎日、依頼を探していただかなくても、給金をお出しします。ご自身が怪我をなさったときには、治療を受けて、休んでいてください」

「ありがてえが、俺ぁ、まだ護衛なんかの依頼も受けるぞ」

「それも含めて、どなたに何をお願いするかは、こちらで決めます。危険だと判断した依頼には行かせません。仕事を受けられない方の暮らしも、そのために用意するのです」


 ゲリオンは短く息を吐き、崩れた壁へ視線を移した。荷車を外へ戻すよう伝えたクリストフが、こちらへ歩いてくる。その足音が近づいてから、ゲリオンは改めて尋ねた。


「ここに来る奴はみんな、自分で仕事を選ばなくなるってことか」

「ご希望は伺います。ですが、行ってよいかは、わたくしたちが決めます」

「俺ぁ、やれねえ仕事は受けねえよ。だから、今まで生きてんだ」

「そうして生きてこられたことは、嬉しく思います。これからも、そうあっていただきたいのです」

「なら、俺が選べばいいだろ」


 小盾の縁には、何度も削って整えた跡があった。ここへ来るまでにも、崩れた道で荷車を止め、緩んだ荷の綱を締め直していた。彼を頼れば、これから戻れなくなる若い冒険者も減らせるだろう。


「あなたはご自分で判断できるでしょう。けれど、その判断ができずに帰ってこられない方もいます」

「そいつと俺の話を、一緒にすんな」

「同じギルドでお守りします。あなたにだけ、決めたことを外れてよいとは申し上げられません」


 ゲリオンは鼻から息を吐き、肩の紐を引いた。


「俺ぁ、そこまでは頼んでねえ。王都までは着いた。次の仕事は、受けねえぞ」


 クリストフがこちらを見た。セレスティーヌは、引き留めるための金額を口にしなかった。


 護衛の仕事も今までどおりにと認めれば、若い方を任せられるでしょう。けれど、ご自分の判断で外へ出ていく方まで、帰ってこられると約束して、お預かりすることはできません。


「分かりました。ここまでの報酬は、クリストフからお受け取りください」

「おう。精算までに、荷を下ろすところは見といてやる」


 ゲリオンが荷車へ向かうと、クリストフはその背中を見送ってから、セレスティーヌのそばへ寄った。


「惜しいな。あいつは、若い連中を見てやれる」

「ええ。わたくしも、お願いしたかったのです」


 泥に沈んだ看板の端を、靴先が踏まないよう避けた。セレスティーヌは弟と並び、外門へ続く道を歩き出した。


「クリストフ。新しいギルドへの呼びかけには、あなたの正式なお名前を使ってください」

「もう家柄を隠す必要もないのか」

「ええ。ブーケ家が引き受けると、皆さんに分かるように、クリストフ・フォン・ブーケとしてお返事をください」


 セレスティーヌは足を止め、向き直ったクリストフを抱きしめた。クリストフも両手を彼女の背に回し、セレスティーヌの長い髪に顔を埋める。


「おかえりなさい、クリストフ。つらい思いをさせましたね」

「姉さんのためなら、俺はなんだってやるさ」


 身体を離すと、クリストフは泥で滑るところへ先に足を置いた。差し出された手を取ると、弟はセレスティーヌを外門の向こうへ導いた。


 外では、ゲリオンが荷車を寄せる場所を示していた。セレスティーヌは弟の手を離し、荷台の前へ進んだ。


「クリストフ。各支部へ、王都の再建に力を貸してほしいとお伝えください。人を雇い、資材を買い入れる費用は、わたくしが出します」


 クリストフが荷台へ上がり、差し出した箱を、セレスティーヌは両手で受け取った。

重みを受け継ぐとき、箱に添えられた弟の泥だらけの指先を、愛おしむようにそっと撫でる。


 わたくしのためなら、ためらいなくどこまでも手を汚してくれる、本当に可愛い弟。


 その従順な顔を見つめ、セレスティーヌは静かに微笑んだ。

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