第87話 結び目の先
翌朝、リールが釘の入った木箱を浜へ運ぶと、昨日まで板が並んでいた場所に、舟の骨組みが立ち上がっていた。漁船の修理をしていた職人も加わり、大工と一緒に板を曲げている。火に掛けた鍋からは、温めた松脂の匂いが流れてきた。
リールは板を押さえている大工のそばへ木箱を下ろした。
「釘は、ここへ置いておきます」
「助かるよ。その端を、ちょいと押さえてくれるか」
横木から浮きかけた板へ体重を掛けると、木槌の振動が掌へ伝わってきた。大工に手を離していいと言われたところへ、テオが近づいてきた。
「なあ、リール。朝から悪いんだけどよ」
「何?」
「昨日の続きなんだけどよ……」
テオは肩に掛けた鞄の口へ手を伸ばしたが、後ろから板を運んできた若者のために、脇へ退いた。若者は板の端を砂へ下ろし、反対側を持つ仲間と、大工の指した場所を見ている。
「……いや。こっちが終わってからでいいや」
「そう? じゃあ、あの長い板を運ぶの、手伝ってもらえる?」
「おう。お前ら、そのまま持ち上げんなよ。先に向きを変えるぞ」
鞄を道具の脇へ置いたテオは、若者たちと板を担ぎ、大工の待つ骨組みへ運んでいった。浜へ下りる道では、コレットが荷車を止め、積まれた板を大工へ示していた。
「これ、布屋さんの壁に使う分だったんだよ。長いのも残ってるけど、持ってくる?」
「そっちは残しておこう。今ある分を挽けば足りる」
コレットは荷車を押してきた男へ、残りは倉庫に置いておくよう頼んだ。リールが近づくと、板の間から出ていた縄を引き抜いて渡してきた。
「あとで舟を繋ぐのに使うって。濡れないところに置いておいて」
「分かったわ」
* * *
翌日の昼前、最初の舟が水際へ運ばれた。縁を押していたリールの手から重さが抜けると、若者たちから声が上がった。手を離しても沈まないのを確かめ、互いの肩を叩いている。リールも綱を持ったまま、波に揺れる舟を眺めた。
反対側の綱を引いていたテオが、舟越しに声をかけた。
「……なあ。こいつを並べて、五万をどうやって止めるんだよ」
「私も、どう使うかまでは聞いていないわ」
「お前もかよ……」
若者たちが次の舟を運びに戻っていくと、テオは岸へ引き寄せた舟の縁をつかんだ。
「軍とやり合った冒険者なんざ、聞いたこともねえぞ。俺たち、魔物を倒して、人を守ってたんだよな」
「ここでも、人を守るためよ」
「分かってる。けど、相手も人だろ。兵を殺す支度してるんだぞ、俺たち。……これじゃ軍じゃねえか」
握っている綱の先で、舟が波に押された。リールが引き戻そうとすると、テオも縁を押さえた。さっきまで若者たちと押していた舟が、二人の間で軋んだ。
「私も、こんな仕事をするつもりじゃなかったわ」
テオは浜に残る骨組みを見ていたが、やがて舟の縁から手を離した。
「……次のも、下ろすか」
「ええ。手伝うわ」
綱を杭へ結んで戻ると、若者たちが舟の周りを空けた。リールもテオの隣へ入り、縁に手を掛けた。
昼には、食堂の夫婦が浜へ鍋を運んできた。妻が蓋を持ち上げると、木を挽いていた者たちまで顔を向けた。
「今日は、港で揚がった魚ですよ。冷めないうちに食べてください」
リールが代金を渡していると、魚を届けに来た男が、メリオシーに声をかけた。
「昼からは、俺らもこっちへ回るか。舟なら、少しは手伝えるぞ」
「漁は、いつもどおりお願いできますか。舟を揃えても、島の暮らしが干上がってしまっては困りますもの」
「そうか。じゃあ、明日も魚は持ってくるよ」
「ええ。お願いしますね」
男が空の籠を抱えて港へ戻ると、メリオシーは道の端へ寄り、椀を運ぶ若者たちを通した。リールも椀を受け取ると、隣のシェイムが、通りかかったテオを呼び止めた。
「テオさんの分、ここにありますよ」
「ああ。あと、あれを運んだらな」
「さっきも、そうおっしゃっていました」
「……言ったか?」
「はい。私も待っているので、一緒に食べませんか」
シェイムが並べた椀の隣には、ちぎったパンを載せた布があった。テオは材木の方へ顔を向けたが、彼女の隣へ腰を下ろした。
「おう。食うか」
リールもコレットの空けた場所へ座った。木槌の音が途切れた浜へ、波の音が戻ってきた。椀を両手で包むと、綱を握っていた指が温まった。向かいでは、テオがパンをちぎり、半分をシェイムへ渡していた。
その翌日も、港から材木を積んだ荷車が来た。舟を浮かべて空いた場所へ、また底板が並んだ。リールが夕方の給金を渡す頃にも、コレットは大工に呼ばれ、風にあおられる紙を押さえながら浜を歩いていた。
家へ帰ると、食卓には四人分の夕食が届いていた。テオは食べ終えると、明日の仕事を伝えに若手の宿舎へ出かけた。シェイムも空いた皿を重ね、明日も早いのでと二階へ上がった。
リールが食卓の端へ帳簿を置く間に、コレットは食堂へ返す籠に椀を収めた。
「道具屋さん、家族へ手紙を出すの、待つって」
コレットは籠の中で重なった椀をずらし、蓋を閉じた。
「部屋は、もう使えるのにね」
「……そうね」
「もう来ていいですよって、早く言いたいんだけどな」
港の方から、船員の呼び交わす声が届いた。
「そのときは、私も一緒に迎えに行くわ」
「うん。朝早くても、ちゃんと起きてよ」
籠を戸口へ置いたコレットが窓を閉めると、船員の声は聞こえなくなった。
* * *
数日後、最後の舟が水へ下ろされた。
浜沿いに浮かぶ舟は、新しい板の色を海へ映し、綱の届く範囲でゆっくりと向きを変えていた。帆柱は一本もなく、低い縁の向こうに空の舟底が見える。漁の舟が港へ戻っていくと、その引き波が、繋がれた舟を順に揺らした。
リールはコレットと、岸の杭へ綱を掛けていった。濡れた縄を引くたび、掌の擦れたところがひりついた。
最後の舟を岸へ寄せた大工が、イサリに声をかけた。
「これで、頼まれた分は揃ったぞ」
イサリは舟の縁に手を掛け、中を覗き込んだ。
「上等だ。荒瀬を越える支度はできたな」
大工は腰から布を抜き、額の汗を拭った。若者たちも、使っていた木槌や鋸を道具箱へ収め始めた。
リールは杭に掛けた綱を引き、結び目を締めた。隣のコレットへ残りを渡そうとしたとき、坂の上から名前を呼ばれた。駆け下りてきた島の男が、浜のイサリを見つけて足を止めた。
「対岸に兵が。列が、丘の向こうまで続いてる」
イサリは男について坂を上り始めた。リールもコレットに綱を渡し、テオと一緒にあとを追った。
宿舎の脇を抜け、裏手へ続く坂を上ると、家々の屋根が足元へ下がっていった。木を挽く音はもう聞こえず、草の間を吹き抜ける風が、リールの袖を強く引いた。
高台の先には、海を挟んで王国の陸地が見えた。低く続く丘の裾を、黒い筋が横切っている。海岸へ下る道に沿って曲がり、途中に揺れる旗が見えた。
「あれが……」
先に立っていたイサリの隣へ進むと、筋の中に細かな光が点滅した。島と向こう岸の間では、陽を受けた海が穏やかに光っていた。
リールは手を額へかざし、対岸を見つめた。旗の下に続く列は、曲がりくねった道に沿って幾度も折れ、その先も丘の陰へと続いていた。息を切らして坂を上がってきたテオが、隣で足を止めた。
「……まだ、後ろがいるのかよ」
あれが、みんなここへ来る。
息を吸おうとしても、胸の奥がつかえた。列の終わりを探している間にも、兵は海岸へ向かって進んでいた。
先頭が見えなくなっても、後ろからは、まだ次の旗が現れた。




