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境界線の商人  作者: カミツキ
四章 銀貨争奪船

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第86話 待っていた波

 翌日の昼前、リールが家の食卓で茶を飲んでいると、テオが小箱を持って向かいに座った。


「なあ。昨日のことなんだけどよ」

「お茶の感想を伝えたら? そのあとで、あなたからも渡せばいいでしょう」

「その、あとでってのが……。また言えなくなりそうなんだよ」

「だったら、先に箱を出せばいいのよ」

「それで、今日も少しだけ付き合ってくれねえか」

「私がいたら、渡せるの?」

「……いねえよりは」


 戸が続けざまに叩かれ、チコの声がした。リールが玄関へ向かうと、頬に髪を貼り付けたチコは肩で息をしていた。リールの顔を見るなり、声を詰まらせた。


「王国が、この島に兵を出すって」


 リールは戸を押さえていた手を離し、チコを中へ入れた。テオが箱を鞄へしまい、食卓の椅子を引いたが、チコは立ったまま鞄から折り畳んだ紙を出した。


「これ、役所に出た布告。ノノちゃんと写したんだよ。リールさんを捕らえるために、軍を集めるって」

「捕らえる……?」

「木札を持った人たちが、ギルドに押し寄せて、扉まで壊されちゃって。兵が入ってきたら、外でも石を投げる人が出てさ。通りの店も荒らされて、大変なんだよ」


 差し出された紙には、木札によって民を惑わせ、騒乱を招いた者として、リールの名が記されていた。潜伏先とされたブエスビタス島の名もある。その下には、動員する兵の数が記されていた。


「五万……」

「もう兵を集め始めてるって。港でも、軍の船へ積む荷を揃えてた」


 背後から紙を覗き込んでいたテオが、リールの肩越しに声を上げた。


「五万って、こっちに何人いると思ってんだよ」


 預かった金を取り上げておいて、返せなくなったら私を捕らえる?


 紙を押さえた指の下で、自分の名前が半分隠れた。


「メリオシーに伝えないと」


 リールは紙を握り、テオの方へ向き直った。


「コレットを呼んで、一緒に来て。イサリさんにも、すぐに会いたいと伝えてもらえる?」

「ああ」


 戸口へ向かったテオの鞄が、腰で小さく跳ねた。箱の入った鞄を押さえながら出ていく背中を見送り、リールはチコを連れて家を出た。


 * * *


 メリオシーが布告の写しを読み終えるまで、リールは卓の向こうで待っていた。追いついてきたコレットとテオが隣に立っても、紙に書かれていた数が頭から離れなかった。


 若手たちが荷を運ぶ港も、コレットが案内してくれた店も、その兵を迎えることになる。窓を開けたばかりの家へ、家族を呼ぼうとしている人がいる。


「私が王国へ戻ります」


 コレットが、リールの腕を掴んだ。


「戻るって……捕まえに来るんでしょ?」

「ここへ来られる前に、私が出ていけばいい。私一人のために、島の人たちまで」

「リールさん」


 メリオシーは布告をそっと卓へ置いた。


「ようやく寄る瀬を見つけたのですもの。追手に押されて、また荒波へ出ていくことはありませんよ」

「でも、五万ですよ。ここにいる人たちで、どうやって」

「アンタ一人を沈めりゃ、あとは凪か」


 卓の脇にいたイサリが、布告に載っていた島の名を指した。


「アンタを口実に、島ごと押さえる気なんだろ。アンタを渡したあとで、素直に引き揚げると思うか」


 リールは紙の上へ視線を落とした。潜伏先とされた島の名が、自分の名前と並んでいた。


「それに、ブーケのお嬢から請けた護衛だ。守る相手を水底(みなそこ)へ送って、仕事を済ませた顔ができるかよ」


 腕を掴んでいたコレットの指に力が入る。


 あの椅子へ戻りたかった。こんなふうに、兵に連れていかれるためではなかったのに。


「王国には、上陸を認めないと返事を出します」


 メリオシーは布告を引き寄せた。


「噂ばかりが溢れる前に、島の皆さんにも私からお話ししましょう。リールさんも、お一人で渦中へ戻ろうとなさらないでくださいね」


 イサリは卓から離れ、窓を押し開けた。港へ入ってくる船の帆が見え、その手前の水面を、小舟が横切っていた。


「この時を待ってたんだよ。アタシから逆巻けば、島を潰す口実をくれてやるだけだからな」

「……待っていたんですか」

「おう。向こうから兵を寄越すってんなら、もう遠慮は要らねえ」


 窓の外から、人を呼ぶ船員の声が届いた。港では、まだいつもどおりに荷が運ばれている。リールは自分の腕に重なったコレットの手を見てから、イサリへ尋ねた。


「勝てる策があるんですね」

「ある。向こうはまだ、こっちの底を知らねえ」


 リールは腕を掴んでいた手を包み、コレットへ告げた。


「……今は、ここにいるわ」


 コレットは握っていた手を緩めたが、指先はまだリールの袖に触れていた。


「イサリさん。力を貸してください」


 窓際まで進むと、イサリが振り返った。


「そのために、舟が要る。何隻もな」

「舟を、今からですか」

「帆も舵も要らねえ。水に浮く舟を、並べられるだけ作ってくれ。大工どもと話をしてきてほしい」


 リールは窓の下に続く道を見た。店の普請へ向かう荷車が、材木を積んで通っていく。


「大工さんと相談してきます。うちの人たちにも、手伝ってもらえるか聞いてみます」

「材木と、舟を作る場所はこちらで用意しましょう」


 メリオシーも席を立ち、リールたちと一緒に部屋を出た。


 * * *


 午後、リールが港の倉庫から浜へ戻ると、道具屋の男が、店に使うはずだった材木を下ろしていた。


「店はあとで構いません。家族を呼ぶ場所を、先に守ってください」

「ありがとうございます」


 男は材木を下ろす若者のところへ戻った。砂へ描かれた舟の形に沿って、先に届いた板が並べられていた。


 大工が底板へ印を入れるそばで、コレットの合図に合わせて、空の荷車が次の一台に場所を譲った。店の柱を立てていた若者たちが、今は舟の底板を抱え、浜へ下りてくる。


 リールは給金を約束した若者たちの名を帳簿へ書き入れた。帳簿を閉じると、脇にいたイサリが浜の先へ歩き出した。


 波が退いたばかりの砂へ、イサリの足跡が刻まれた。リールが隣へ並ぶと、イサリは沖の帆を眺めた。


「青濤会(せいとうかい)の力を、見せてやろうじゃねえか」

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