第84話 声の届く岸
七日間の搬送を終えたリールたちは、夕方、フェオリスへ戻った。商業ギルドの前で若手たちが担架を荷車に積み終えると、リールは先に宿へ帰るよう伝えた。四人は肩に荷袋を掛け、通りの向こうへ歩いていった。
テオは担架を支えていた肩を回し、入口の脇に立つシェイムを呼んだ。
「仕事も終わったし、俺たちも宿へ帰るか」
「ちょっとだけ、寄りたいところがあるの。待っていてもらえる?」
「じゃあ、またあとでここに集合な。俺はオルメイさんとこに顔出してくるか」
「あ、それなら私は、マトリカリアに寄ってきますね」
シェイムが杖を持ち直し、通りへ出たテオの後ろへと駆け寄った。
「日が暮れる前には戻れよ」
「あなたもね」
リールは二人と別れ、広場を抜けた。露店を片づける人々の間を通り、解体屋へ続く道を歩いた。
解体屋の裏口へ近づくと、水を流す音に、包丁が作業台を打つ音が混じった。獣脂の臭いが、開けっ放しの戸口から通りまで漂っている。
イベリーは前掛けを締め、切り分けた脂を桶へ移していた。リールが戸口の手前で足を止めると、イベリーは桶を抱え上げ、奥へ呼びかけた。
「工房の分は、こちらへ置いておきますね」
「おう。そっちが済んだら、こっちも頼む」
桶を置いて作業台へ戻るイベリーの姿が滲み、リールは頬を伝った涙を袖で拭った。
工房は返してもらえなかったと、ひと言伝えればいい。名前を呼べば、手を拭いて来てくれるはずなのに。
リールは拳を握りしめ、戸口から身体を背けた。通りへ出ても、包丁が作業台を打つ音は聞こえていた。
商業区へ戻る頃には、軒先の商品が店の中へ運び込まれていた。リールは角を曲がり、以前の商館がある通りへ入った。扉は閉じられ、窓の内側にも灯りはなかった。入口の前まで進んでも、人が出入りする気配はない。敷居に溜まった砂が、通りを吹き抜けた風に押され、戸の下へ細く寄った。
リールは扉に手を置いた。掌へ、乾いた木の硬さが伝わってくる。ここで一日の仕事を終えれば、机には明日の注文票が残っていた。朝には、またあの椅子に座り、コレットと仕事を始めていた。指を滑らせると、扉の縁で小さなささくれが引っ掛かった。リールはそこから手を離さず、閉じた扉を見つめた。
まだ、諦めない。絶対に、あの椅子へ戻る。
指先に付いた木屑を払い、戸口を離れた。商業ギルドへ向かう通りには、夕食を買う人が行き交っていた。
入口の脇には、もうテオとシェイムが戻っていた。シェイムは小さな紙袋を両手で持ち、テオの話を聞いていたが、こちらに気づくと顔を上げた。
「リールさん、こっちです」
リールは鞄を肩へ掛け直し、二人のところへと歩いた。
「待たせたわね」
* * *
追加の二日間の搬送を終え、約束の日に工房で石鹸を受け取ると、リールはテオたちと帰りの船に乗った。
島の桟橋へ下りたときには、東の入り江に新しい屋根が見えた。石鹸の箱を荷車へ載せるのを見届け、若手たちには宿舎で休むよう伝えた。テオとシェイムも荷袋を担ぎ、坂の上へ歩いていった。
リールは港沿いの道を東へ進んだ。入り江へ近づくにつれ、木を挽く音が大きくなり、潮風に新しい板の匂いが混じった。
浜から延びる通路の先では、道具屋に壁が張られていた。柱の間から向こうの海まで見えていたところに、今は窓が開いている。隣の棟では、屋根に上がった大工が板を受け取り、下の若者が次の板を差し上げていた。
荷車を押してきた男に道を譲ると、車輪が床板を鳴らして通り過ぎた。荷台から下ろした扉を二人の若者が、まだ戸のない入口へ運んでいくと、奥からコレットの声がした。
「そっちのは、上の部屋の戸だよ。下の分は、こっちに置いて」
若者たちが扉を立て掛け直すと、コレットが建物の中から出てきた。袖をまくった腕には木屑が付き、手には大工の使う物差しを持っていた。
「リールさん! おかえり」
「ただいま。ずいぶん進んだのね」
「まだ見せたいところ、全部はできてないんだけどさ。こっち、もう入れるよ」
コレットは物差しを大工へ返し、リールを道具屋の入口へ招いた。床へ踏み込むと、外の陽射しが屋根に遮られ、汗ばんだ首筋を海風が通った。
壁際では、道具屋の男が長い柄の道具を立て、取り付けたばかりの棚との間を確かめていた。こちらに気づくと、道具を壁へ寄せて通る場所を空けた。
「戻られたんですね。もう少しで、荷を入れられそうです」
「ご家族も、こちらへ?」
「棚が済んだら、呼ぶつもりです。先に、上を片づけておかないと」
男は大工に呼ばれ、道具を持って奥へ戻った。リールが窓辺へ歩くと、壁板の間から差していた光が、床の上に細い縞を作っていた。海へ開いた窓の向こうを、小舟がゆっくり横切った。船頭が櫂を上げるたび、しずくの落ちたところへ輪が広がった。
コレットは窓際を通り、隣の棟へ続く通路を指した。まだ壁板を張っているところで、木槌を持った若者が二人に手を上げた。
「布屋さんの方も見ていく? 台が入ったんだよ。あれ、けっこう大きいんだから」
「ええ。案内してくれる?」
「こっち。足元だけ気をつけて」
コレットが先に戸口を出ると、リールもその後へ続いた。板の下を通る波の音に、隣の店で釘を打つ音が重なった。




