第76話 戻ってきたもの
港の坂の上の宿舎へ若手たちが移ってからも、荷運びの仕事は続いていた。リールがコレットと港の倉庫へ行くと、船から下ろされた木箱を、クランの若者たちが奥へ運び込んでいた。戸口では、荷主の商人が倉庫へ預ける荷の置き場所を指示していた。
「そちらは返品です。王国へ返すので、入口の近くへ置いてください」
若者が下ろした箱には、ヴェール大聖堂の名があった。コレットがその前で足を止めると、商人は蓋を開け、中の包みを一つ取り出した。
「石鹸なんです。管理が変わっただけで、工房も同じだと聞いて仕入れたんですが」
紙の中から出てきた灰色の石鹸には、大聖堂の印が押されていた。リールは受け取って裏返し、縁まで指でたどったが、三つ葉はどこにもなかった。
「売れなかったんですか」
「これまで三つ葉の石鹸を扱っていた店へ卸したんです。でも、客がいつもの印の品を欲しがるそうで。残った分を返されてしまいました」
包み紙には、王国に残してきた工房の住所が記されていた。
「……三つ葉のを、待ってくれてるんだね」
コレットの声に、リールは紙を畳む手を止めた。
「この工房は、以前、私の商会が使っていたものです」
「では、リール商会の? こちらでまた作っていらっしゃるんですか」
「今は工房も、脂の仕入れ先もありません」
リールは商人に断って石鹸の端を少し削り、倉庫の水場で手を洗った。泡を流したあとに指を擦り合わせると、以前と変わらず滑らかで、獣脂の臭いもほとんど残らなかった。
倉庫の前では、若者が海藻の籠を別の荷車へ移していた。籠からはみ出した干し葉は、くすんだ緑色をしていた。
この石鹸を練り直せれば、脂から作らずに済む。海藻を少し混ぜたら、この色も残るだろうか。
自分の金で整えた工房の品を、今度は私が金を払って買うのね。
「この箱の分を、買い取らせてください」
「こちらで売られるんですか」
「少し加工してみたいんです。次に島へ寄られたとき、できたものを見ていただけませんか」
「王国から戻るときにも、この島へ寄ります。それなら、伺いましょう」
値段を決めて代金を渡すと、リールは荷運びを終えた若者に、買った箱を家まで運んでもらった。
* * *
リールは港の貝細工の店で、火を使える奥の一室を借り、鍋と作業台を入れた。海藻は採取の護衛を頼んでくれる倉庫の男から少し買い、乾かして細かく挽いてもらった。
石鹸を少量ずつ温め直して海藻を混ぜ、見本を作ると、灰色の中に緑がかった細かな粒が残った。コレットと使って泡立ちや洗い上がりを確かめる間、店の女は、そばで貝の髪留めを仕上げていた。
「それ、少し削ってもいいかい」
リールが見本を渡すと、女は小刀で角を落とし、外側に薄い切れ込みを入れた。石鹸を指の中で回すうちに、丸い縁が花びらになって重なっていった。
「こんな花にしてみたんだけど、どうだい」
作業台へ置かれた小さな花に、コレットが顔を寄せた。
「石鹸で、こんなの作れるんだ」
「貝の飾りでも花を作るからね。ただ、薄くしすぎると欠けそうだ」
リールは花を持ち上げ、掌に載せた。小刀の通った跡が花びらの内側に残り、干した海藻の粒が、その縁を淡く色づけていた。
箱を開けた人がこれを見たら。
「贈り物にできそうですね。この形で、十輪お願いできますか」
「貝細工の注文もあるから、毎日は無理だよ」
「手の空く日で構いません。作業する日と給金を決めましょう」
「箱も要るね。これを紙で包んだら、花びらが潰れちゃう」
コレットは小箱に布を敷き、花が動かないように収めた。
リールは女と仕事を頼む日を決め、大工には小箱と、新しい三つ葉の木印を注文した。コレットと材料代や手間賃を合わせ、商会に残す分を含めて、商人へ出す値段を決めた。
* * *
商人の船が再び島へ入った朝、作業台には十輪の花が並んでいた。どれも灰色がかった淡い緑色で、花びらの開き方が少しずつ違う。底に三つ葉を押した花を、女が一輪ずつ小箱へ収めていた。
リールが商人を案内すると、浜の仕事を終えたテオとシェイムも、報告に来て入口から作業台を覗いた。
「これが、あの石鹸ですか。花の形にしたものは、初めて見ました」
商人は開いた箱へ手を伸ばしかけ、花びらの手前で止めた。
「底を持っていただければ大丈夫です」
リールが一輪を取り出して渡すと、男は掌に受け、窓から入る光の下で眺めた。
「島の海藻を加え、こちらの方が一輪ずつ仕上げています。底には、うちの印を付けました」
男が花を傾けると、三つ葉が現れた。
「贈り物を探している方へ、お持ちいただければと」
「セレティアで婚礼の品を扱っている店があります。あそこなら、見せるだけでも喜びそうだ。洗うのにも使えるんですね?」
「ええ。こちらで試してみてください」
リールは製作の際に出た欠片と水を用意した。男は指先で泡立て、洗った手を布で拭いてから、もう一度花を手に取った。
「一輪、おいくらですか」
「箱込みで、銀貨十枚です」
男は花を小箱へ戻し、蓋を閉じてから、もう一度開けた。
「これが出てくるなら……婚礼の祝いに選ぶ方もいるでしょうし、贈答品として見栄えもします。店では十五枚を付けても、買う方はいそうですね」
戸口にいたシェイムが、テオの袖を引いた。
「一輪で十五枚……。前にお昼を食べたときは、二人で銀貨二枚だったのに」
「そりゃ、俺も貰ったらすぐには使えねえな」
テオの返事を聞きながら、リールは男が開けた箱の脇へ、残りの花を寄せた。
「今、お渡しできるのは、この十輪です」
「では、全部いただきます。次も注文できますか」
「ええ。数と納期は、作り手と相談してお返事します」
女が商人に声をかけた。
「箱は立てず、上に重い荷を載せないでおくれ」
「上へ荷を積まないようにします」
リールは銀貨百枚を受け取り、商会の名を入れた受取書を男へ渡した。
「次のご注文は、半額を先にお願いします。残りは、商品をお渡しするときに」
「店へ見せたら、次の数を知らせます。今度は、こちらから注文を持ってきたいですね」
十輪の小箱を収めた木箱を若者が抱えると、男は船で積む場所を伝え、一緒に港へ下りていった。
リールは通りへ出て見送り、戻ってきてから、作業台の向かいに座った女へ、約束していた給金を渡した。女は銀貨を袋へしまうと、残してあった見本の花を持ち上げた。
「次は、もう少し開いた花にしてみたいんだけど」
「お願いします。試作の日の給金も、同じように払います」
女が小刀を取ると、リールは新しい三つ葉の木印を布で拭き、作業台の引き出しへしまった。




