第69話 売っていいもの
数日後、リール商館の前には、石鹸を積む荷車が止まっていた。開いた扉から運び出される木箱を避けて客が入り、取引台ではコレットが、明日の受け取りを頼む女の名前を書き留めている。リールは棚から包んだ石鹸を取り、待っていた男へ渡した。
「次も同じ数でお願いします。家の者が、ほかのものでは落ちないと言うのでね」
リールは差し出された代金を受け取った。
「ありがとうございます。次の分も用意しておきます」
入口の鈴が鳴り、レヴィンが数人の職員を連れて入ってきた。入口脇にいたイサリが道を空けると、彼は棚の商品を見ず、取引台まで来た。
「リールさん。今日は王国から、商会の営業について通告をお持ちしました」
買い物を終えた客が包みを持って出ていくと、コレットは明日の注文票を伏せた。レヴィンが広げた書面には、清膚病という見慣れない名があった。
「石鹸を使った方から、肌が変わったという相談が寄せられていましてね」
肌の色が以前より明るくなり、表面が滑らかになる状態だという。リールは棚から石鹸を一つ取り、書面の隣へ置いた。朝、コレットと包んだものだった。
「汚れが落ちたんです。きれいにするために売っているものですよ」
「王国周辺では、この状態が清膚病と呼ばれていましてね。名前があった方が、相談しやすいということです」
その言い方、エズだ。
「肌がきれいになったことを、病気として広めるのはやめてください」
レヴィンは清膚病の書面を脇へ寄せ、その下に重ねていた命令書をリールの前へ広げた。
「石鹸の製造と販売は、ヴェール大聖堂へ移します。工房の設備も在庫も、引き渡していただきますよ」
リール商会の国内営業を停止し、事業資産を没収するという命令だった。保証金の立替事業は冒険者ギルドへ移し、商会名を変えても、リールが国内で事業を再開することは認めないとあった。
「この石鹸を、ヴェールが売るんですね」
「ええ。大聖堂の管理下で販売します」
レヴィンは、隣に置かれた包みには触れもしなかった。今しがたまで売っていたものを確かめずに、引き取って売ると決めている。
「設備も在庫も、うちが代金を払って用意したものです。引き取るなら、その分を払ってください」
「ああ、代金のお話ですか。今回は没収ですから、お買い取りする話ではありませんよ」
「だから、払わずに持っていくということですね」
「今日は、その決定をお伝えしに来たんです」
レヴィンが入口で待つ職員を呼び、工房へ行くよう指示した。職員は場所を尋ねることもなく、商館を出ていった。
別の職員が、取引台の端にあった保証金の帳簿へ手を伸ばした。コレットが帳簿を押さえる。
「待って。これ、ブーケ家の金も入ってるんだけど」
「ブーケ家の分は分けて扱いますよ。没収するのは商会の持分です。帳簿は、その確認にも必要ですから」
リールは命令書をレヴィンの前へ押し戻した。
「レヴィンさん。保証金まで、その病名を理由に取り上げるんですか」
「そちらはギルドで引き継ぎます。受付で相談を受けて、誰に出すかも、オレたちが決めますよ」
「うちの金で、ギルドが貸すんですね」
「ええ。商会が負担した分も、戻ればこちらで受け取りますよ。返す先が変わることは、オレたちからお知らせしますから」
出す相手は自分で決めると、先日は断った。それなら金ごと持っていくの?
「私は、この事業を売るとも、渡すとも言っていません」
「そうおっしゃるでしょうね。ですが、今日は引継ぎに来たんです。お売りになるかどうかを伺っているわけではありませんよ」
彼が職員へ帳簿を受け取るよう促すと、コレットは押さえた手にもう片方も重ねた。
「ここの金まで? 勝手に持ってくなよ」
「商会の金は、そちらも引き取りますよ」
コレットは帳簿を押さえたまま、リールの返事を待っていた。
ここで帳簿を抱えて出ても、工房にはもう職員が向かっている。コレットの手から無理に引き剥がすところまで、させるっていうの?
「コレット。手を離して」
「でも――」
リールはコレットの脇に立ち、帳簿を取りに来た職員へ告げた。
「渡すことに同意したわけではありません」
一歩退くと、職員が帳簿を抱え上げた。今日、返済に来るはずの冒険者の名も、その中に書いてあった。
レヴィンは工房に残す材料と、商館にある商品の引継ぎを指示していた。別の職員が取引台へ箱を運んできたため、リールは朝の代金が入った売上箱をその前に置いた。
「ここで働いている人たちは、どうするつもりですか」
「続けたいという方には、新しい管理者から条件をお伝えします」
「働くかどうかは、本人に聞いてください。私がまとめて引き渡す話にはしません」
「もちろん。お一人ずつ伺いますよ」
コレットは伏せていた注文票を引き寄せたが、レヴィンが手を出した。
「受けているご注文も、置いていってくださいね」
「明日取りに来る客の分だよ。渡せないなら、知らせないと」
「ご注文は引き継ぎますよ。お客様にも、そちらから知らせますから」
リールは石鹸の包みを棚へ戻した。棚板に触れた紙が擦れ、いつもと同じ音がした。
レヴィンが、私物は明日の午前中までに持ち出すよう告げた。商館と工房の仕事には、それ以上手を入れないようにとも。
入口脇で待っていたイサリが、リールの隣まで来た。
「こいつらが私物を引き揚げるときゃ、アタシもつくぜ」
「構いませんよ。私物は没収の対象にしていませんから」
「なら、入口は塞ぐんじゃねえぞ」
イサリが入口へ進むと、リールもコレットを連れて通りへ出た。朝から荷を待っていた御者が呼び止めたが、背後から出てきたレヴィンが、今日の積み出しは新しい管理者に確認するよう告げた。御者はリールに尋ねかけた言葉を飲み込み、レヴィンの説明を聞いていた。
* * *
翌朝、リールがコレットとイサリを連れて商館へ戻ると、入口にはヴェール大聖堂の管理下で販売を行うと書かれた掲示が出ていた。扉は開いていて、取引台には昨日とは違う男が立っていた。
奥に置いてあった自分の鞄へ私物を収めた。鞄を持って取引台の前へ戻ると、荷物を抱えたコレットが入口でイサリと待っていた。昨日伏せられた注文票は、男の手元に広げられていた。
昨日、石鹸を注文した女が入ってきた。
「昨日頼んだ石鹸なんだけど、買えるの? 営業が止まったと聞いたから」
取引台の男は注文票から女の名前を探し、棚から包みを取った。
「はい。今日から、大聖堂の管理で販売しております」
女はリールを見つけた。
「リールさん。いつものものよね?」
包みの角には、昨日コレットが折った跡があった。工房で作り、商館で包み、女のために取り置いた石鹸だった。
「……昨日、ご注文いただいたものです」
「よかった。急に使えなくなると困るもの」
女が代金を置くと、男は注文票に渡し済みと書き込み、ヴェール大聖堂の名がある受取書を添えた。女が紙包みを開き、三つ葉の印がある石鹸を確かめる間に、男は代金を売上箱へ収めた。
コレットが戸口から呼んだ。
「リールさん。行こう」
リールは鞄を肩に掛け、取引台を離れた。




