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境界線の商人  作者: カミツキ
三章 銀貨開戦

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第57話 誰といるか

 翌朝、商館の前に立っていた女は、リールが想像していた侯爵家の護衛とは何一つ合っていなかった。腰に剣を提げ、上着を肩へ引っかけたまま、入口の柱へ片足を預けている。連れてきた男が荷箱を入口脇へ下ろそうとすると、「そこ塞ぐな。客の流れを堰き止めんじゃねえ」と先にどかした。


 女が商館へ入ってきたところで、コレットの手から注文票が一枚落ちた。


「……姐さん?」

「おう。随分と潮が巡ったな、コレット」

「なんで姐さんがここにいんだよ!」

「なんでって、仕事だよ」

「青濤会(せいとうかい)の頭(かしら)が直々に来る仕事かよ!」


 女はそのまま取引台まで来た。


「アンタがリールか」

「はい」

「青濤会のイサリだ。ブーケのお嬢から、しばらくここの水際を預かれって話が来てる」

「……侯爵家の人が来ると思ってたんですけど」

「ハッ。話が濁ってんな。アタシはブーケの人間じゃねえよ」

「コレット、知り合いなの!?」

「知り合いっていうか……昔、世話になってたっていうか……」

「世話してやったな。飯食わせて、仕事教えて、喧嘩の尻拭いまでしてやった」

「余計なことまで言うなよ!」

「見た目は変わっても、本流は昔のまんまか」

「誰のせいだと思ってんだよ!」


 入口の鈴が鳴り、若い冒険者が一人入ってきた。コレットはそのまま取引台へ回り込む。


「いらっしゃいませぇ。今日は何をお探しですかぁ?」

「矢を入れる革袋ってあります?」

「ありまぁす。こちらですよぉ」


 客が棚の方へ行くと、イサリが鼻で笑った。


「なんだその声。水面だけ随分きれいに取り繕うようになったな」

「うっさいなー、商売なんだよ」


 * * *


 通りに面したオルメイの工房では、戸口を開けたまま朝の仕事が始まっていた。火床には新しい炭が入り、作業台ではオルメイが金具の縁を削っている。湊は床へ落ちた削り屑を箒で集め、その横ではリグレットが昨日仕上がった弓に、買ってきた矢を一本ずつ合わせていた。


「Fランク君、朝から暗くない?」

「誰のせいだと思ってるんですか」

「えー。リグちゃん、ご飯付き合ってあげただけなのに」

「そのあとが大変だったんですよ」

「それはシェナちゃんに言ってよ」


 箒の先が作業台の脚に当たり、集めかけた削り屑が一本だけ向こうへ残った。


 昨日、食堂から飛び出したシェナを追わなかった。追いかけたところで、また何を聞けばいいのか分からなくなりそうだったし、本人から「察してください」とまで言われている。


 察せるなら、こんなに困っていない。


 開いた戸口の前で、人影が止まった。


「湊さん」


 シェナだった。昨日と同じ記録帳を胸に抱えたまま、今日は工房の中へ入ってくる。


「シェナさん」

「昨日は……すみませんでした」

「食堂で、また逃げました」


 昨日は扉の向こうへ消えたままだったシェナが、今日は自分から工房に入ってきた。


「でも、今日は来てくれたじゃないですか」

「……はい。昨日、湊さんに逃げずに答えてくださいと言われました。それなのに、結局また自分が逃げました」


 奥ではオルメイの鑢が金具を削り続けている。昨日ならすぐ口を挟んできたリグレットも、矢を弦へ合わせたまま何も言ってこない。


「なので、今日は答えに来ました」


 急かせば、昨日と同じになる。湊は箒を持ったまま、シェナが続きを口にするのを待った。


「婚約を今すぐ決めるとか、そういうところまでは、まだ分かりません」

「そこまで今決めてほしいとは思ってません」

「でも、私も湊さんと一緒にいたいです」

「よかった……」


 思ったより先に声が出た。


「そんなに安心するなら、昨日追いかけてきてくれてもよかったじゃないですか」

「追いかけても、また何を言えばいいか分からなかったんですよ」

「……私が察してくださいなんて言ったからですか」

「察せたら追いかけてました」

「そこは察してくださいよ!」

「だから分からないんですって!」

「それは……。リグレットさんと二人でいたからです!」


 そこまで言って、シェナが記録帳で口元を隠した。


「へえー」

「……何ですか」

「何でもないよ?」

「絶対何かありますよね」

「ないない。それよりさ」


 リグレットは選び終えた矢を机へ置いた。


「Fランク君、今のとこずっと住むつもり?」

「え?」

「リグちゃんの知り合いがさ、空き家持て余してて困ってるんだよね。住む人いないと傷むし、誰か入ってくれないかなーって」

「それで俺に?」

「うん。部屋余ってるし」


 リグレットの目が湊からシェナへ移った。


 嫌な予感しかしない。


「二人で住めば、家賃も半分で済むよ?」

「き、急に一緒に暮らすんですか!?」


 シェナの声が工房に響き、オルメイの手まで止まった。


「朝からうるせぇぞ」

「す、すみません!」


 シェナが頭を下げる横で、リグレットは不思議そうに首を傾げた。


「あれ? 嫌なの?」

「いやじゃ……ないですけど」

「じゃ、聞いとくね」

「待ってください、まだ何も――」

「嫌じゃないんでしょ?」

「そうですけど! そういう問題じゃなくてですね!」

「だから、まだ決めたわけじゃなくて――」


 シェナがリグレットへ食い下がっている横で、胸の前に親指が一本立った。こちらにだけ見せている。


 昨日までなら、その手にどうすればいいか聞いていた。


 今日は、住む本人が目の前にいる。


「シェナさん。俺は一緒に住めたら嬉しいです。家を見てから決めませんか」

「……はい」


 湊がどう返すべきか迷っているうちに、オルメイがまた金具を削り始めた。


「オルメイさん、いや、親方」

「おぅ……。んあ!?」

「俺、決めました。この間の返事ですけど、ここで働かせてください」

「冒険者はどうすんだ」

「辞めます。シェナさんと一緒にいたいって言ったのに、毎回無茶して帰ってくるか分からないままなのは嫌なんです」


 さっきまで途切れなかった鑢の音が消え、火床で炭のはぜる音だけが近くなった。オルメイは削りかけの金具を持ったまま、何も言わない。


 ちゃんと聞かれた。


「Fランクくん、冒険者だと幸せにできないってこと?」

「違います。一緒にいたいって言ったのに、明日帰ってこられるか分からない仕事をずっと続けるの、俺が嫌なんです。」


 シェナは記録帳を抱いたまま湊を見ていた。いつもなら何かあればすぐ開く帳面も、今日は胸元から動かない。


「へー。だってさ、シェナちゃん」

「いや、その……。ここで言わなくてもよくないですか!?」


 背後ではシェナがまだ何か言っている。目の前では、オルメイが削りかけの金具を持ったまま返事を待っていた。


「……親方。俺じゃ駄目ですか」

「馬鹿野郎。職人でもなんでもねえ奴が、あの道作るかよ」

「……オルメイさん」

「親方っつったのはおめぇだろ。話すなら手ぇ動かせ。住むとこ決めても仕事は減らねえぞ」

「はい」


 湊は箒を動かし、床に散った削り屑を集め直した。明日の朝もここに立つと思えば、火床の脇に残った屑まで目についた。


 背後では、シェナの話だけがまだ終わっていなかった。


「だから、嫌じゃないのと一緒に住むのは別の話なんです!」

「でも一緒にいたいんでしょ?」

「リグレットさん!」


 工房の奥から、オルメイの舌打ちが聞こえ、そのあとに鼻で笑う音が混じった。


「ったく、朝から騒がしい連中だな」


 オルメイはそう言いながら、金具を削る手を止めなかった。

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