第56話 冬の来ない温かさ②
商館の外では、通りを行く荷車が石畳を鳴らし、その隙間を縫って買い物籠を下げた人々が店から店へ渡っていた。開けた扉の向こうから乾いた車輪の音と値を呼ぶ声が入り、取引台の上では朝から増えた注文票が紙の重みで端を反らせている。棚の前ではコレットが届いた油瓶を数え、リールとセレスティーヌの間には、もう湯気のなくなった茶が残っていた。
「……それ、仕事が必要だから残っているんじゃなくて、残っているから仕事が必要になってませんか?」
「そうなっているものも、あると思います」
「分かってるんですか?」
「分かっているからといって、なくせるとは限りません。そこで働いている方がいて、その仕事がなくなれば生活できなくなるのであれば、残す理由にはなります」
客が減っても、そこで働く人がいること自体が、店を畳めない理由になる。
「利用する人が減っても、そこで働く人のために残す。それを続けたら、いつまで経ってもなくせなくなりませんか」
「誰にも必要とされていないのなら別です。ですが、利用する方が減ったことと、必要がなくなったことは同じではありません」
「以前、テオが工房を辞めると言ったとき、私は止めませんでした」
「働き続けることもできたのでは?」
「できました。でも、本人は冒険者に戻りたがってましたから」
「そして、戻れなくなったあとに保証金を出した?」
「はい。工房に戻ってくればいいとは思わなかったので」
工房には、空きが出れば戻れる。テオが戻りたがったのは冒険者の方だった。
「工房へ戻すのではなく、冒険者に戻れるようにした?」
「本人が戻りたいのは、そっちでしたから」
「わたくしなら、もう一度工房で働けないかを考えたでしょう」
「テオは冒険者を辞めたいって言ってませんでした」
「だから、あなたと組みたいのです」
そこまで聞いて、ようやく保証金の話へ戻った。テオ一人を冒険者に戻したいだけなら、セレスティーヌが金を出せば済む。わざわざ組む理由にはならない。
「保証金で、ですか?」
「ええ。まずは」
「その前に確認させてください。ギルドの基準は、ブーケ家だけでは変えられないんですか?」
「変えられません。基準を決めるのは冒険者ギルドですし、王国もヴェールも関わっています」
そこを動かせるなら、ここに来る必要はない。
「じゃあ、私にやらせたいのはギルドの中の話じゃないんですね」
「意見は出せます。ですが、わたくしだけで決定することはできません」
組みたい理由はそこか。
「ギルドは通す。私は金を出すか決める。セレスティーヌ様が欲しいの、その差ですか」
「ええ」
「ですが、ギルドでは受けていい人に、私が何度も金を出さなかったら、そのうち『ギルドの判断がおかしいって言ってるのか』って話になりますよね」
「その可能性はあります」
「セレスティーヌ様はブーケ家に戻れます。でも私だけが、勝手に別の基準を作った商人ってことにされたら困ります」
セレスティーヌの声は、リールが商会を失う話をしても変わらず落ち着いていた。
「ですから、護衛を一人置きます」
「護衛?」
「商館に常駐させます。ブーケ家がつけた護衛だと分かる形で」
「隠す気がないんですか?」
「隠してしまえば、あなた一人が勝手に始めた商売にできますから」
扉の外を荷車が通り、積んだ木箱が車体の揺れに合わせて鳴った。
「でも、護衛一人で王国やヴェールとの揉め事を止められます?」
「止められません。ですが、あなた一人の判断として切り離すことは難しくなります。ブーケ家も関わっていると、誰の目にも分かるようにします」
「私だけ切って終わりにはさせない?」
「そのために置きます」
絶対に守れるとは言わない。その方がまだ信用できた。
「ブーケ家の名前を置くだけなら、護衛じゃなくてもいいですよね」
「名前だけではありません。商館を守れる者を置きます」
「その人、冒険者なんですか?」
「登録はしています」
「ランクは?」
「Fランクです」
「F?」
「冒険者として、上のランクへ上がる必要がなかった方です。ギルドで受けた依頼も多くありません」
「でも、ブーケ家がここを任せられるくらいには強いんですよね。ランクって実力そのものじゃないんですか」
「違います」
FよりD、DよりC。高いランクほど強い。冒険者を見るときには、それが当たり前だった。
「ダンジョンの入口に、奥へ進むほど厳しくなる門があると考えてください。ギルドが、この方ならここまで通してよいと判断して渡す札が冒険者ランクです」
「札を持っていても、その先を歩き切れるとは限らない?」
「ええ。必ず成功できるという証明ではありません。ただ、何の基準もなければ、昨日冒険者になった方でも最も危険な依頼へ行けてしまいます。ランクと受注資格を作ってから、力量以上の依頼へ行って帰らない方は減りました」
通していい人を札で絞れば、安全にはなる。その代わり、必要な札を持つ人間が足りなければ依頼が残る。
「王国は、そっちを困るんですね」
「ええ。Dの札が必要な依頼が残っているのに、持っている方がいなければ誰も向かえません」
「だから、札を渡す条件を広げる」
「そういう判断が出ることはあります」
札を渡す人数を増やしても、その人間まで急に強くなるわけではない。
「増えるのは、Dの依頼を終えられる人じゃなくて、Dの札を持ってる人です」
その先まで考えると、リールも分かった。
「Dランクになっても、Dの依頼を安定して終えられない人が出る」
「ええ」
依頼を残したくない王国が、札を持つ人間を増やしたがる理由は分かった。
「なら、ヴェールは?」
「必要な札を持っていて、怪我をしても救助して治せる場所であれば、それ以上、門の前で止める必要はないと考えます」
「帰ってこられるなら、通していい?」
「そういう考え方です」
依頼に失敗すれば保証金は共通財源に入る。怪我をした者はそこから治療を受け、治ればまた依頼へ戻ってくる。
失敗しても、制度の外へは出ない。
「失敗する人が増えても、治してまた戻ってくる。死んだ人数だけ見てたら、増えたって分からないですよね」
「ええ」
シェイムが助かったのも、この仕組みがあったからだ。危険の分類に関わったヴェールが、その後の治療先にもなっている。
「怪我人を増やしたいって話じゃないのは分かります。でも、通していいかを決める側が、怪我をしたあとの治療にも入ってくるんですよね」
「ええ」
「それ、同じところが決めすぎじゃないですか」
「わたくしも、そこは問題だと考えています」
通りから値を呼ぶ声が入り、コレットが棚に戻した油瓶の底が木板に触れた。その音が消えてから、セレスティーヌの声が続いた。
「ランクをなくしたいわけではありません。必要な制度です。ですが、依頼を回すために札を持つ方を増やし、治して戻せるからと門の前でも止めない。それを続ければ、人を死なせないために作った仕組みが、どこで危険を止めるのか分からなくなります」
「でも、ギルドの中ではブーケ家だけじゃ止められない」
「はい」
冒険者ランクを決めるのはギルドだ。ただ、その運用には王国、ヴェール、ブーケ家、それぞれの考えが影響している。
それに対して、自分が見ていたのはもっと単純だった。
自分の金を出して、この人が帰ってくると思えるか。
「ギルドのランクと、私が金を出す相手。そのズレを記録する」
「出した方だけではなく、断った方も含めてお願いします」
断った相手まで残すなら、欲しいのは保証金を出した結果だけではない。
「保証金を増やして仕事に戻れる人も増やしたい。でも同時に、私が誰に出して、誰に出さなかったかも欲しい」
「ええ。お金だけではなく、あなたの判断もお借りしたいのです」
「分かりました。それなら、条件を聞かせてください」
リールは閉じたままの保証金の帳簿を、二人の間に寄せた。セレスティーヌの視線もそこへ落ちる。
「一件の保証金について、半分をブーケ家から出します。残り半分は、これまでどおりリール商会から出してください」
「全部そちらが出してくれた方が助かりますけど」
「それでは、あなたが間違えても自分のお金を失わなくなります。今のあなたは、自分も損をする立場で誰に出すかを決めている。そこを変えれば、判断まで変わってしまいます」
二十枚なら十枚ずつ。これまで一人に二十枚出していた金で二人に出せるうえ、失敗しても商会が失うのは半分で済む。ただし、自分の金も減る以上、今までと同じように相手を選ぶ必要は残る。
「誰に出すかは、今までどおり私が決めるんですね。ブーケ家が出してほしいと言っても」
「あなたが断れば、この事業では出しません」
「失敗して保証金が没収されれば、半分ずつ失う。成功したら、それぞれの元金を戻す」
「その通りです。手数料の分け方は、実際に商会でどれだけ手間がかかるかを見て決めましょう」
「分かりました」
「その代わり、記録を残してください。ランクと依頼、結果、それから本人がいくら用意していたか。出した方だけではなく、断った方もお願いします」
出した相手だけなら、金の行方を残せばいい。断った相手まで記録するなら、欲しいのは結果だけではない。
「断った理由も残した方がいいですか?」
「できれば」
「その記録と、ギルドのランクを比べる」
「まずは」
「まずは?」
「今お話しするのは、そこまでです」
リールは保証金の帳簿を開き、さっきテオが名前を書いた行に指を置いた。
「次から、断った人も残します」
「お願いします」
「その代わり、私が出さないと決めた理由まで、あとから勝手に変えないでください」
「ええ。そのために、あなたへお願いしていますから」




