第55話 冬の来ない温かさ①
テオが出ていったあとも、商館の前の通りには荷車の車輪と呼び込みの声が途切れず流れていた。開け放した扉から入る風が取引台の注文票をめくり、コレットが石鹸の包みに使った紙を重し代わりに載せる。壁際の棚には朝届いた布と油の瓶が並び、その向こうでは、セレスティーヌのために淹れた茶が半分ほど残っていた。
保証金の帳簿を片づけたリールは、テオが名前を書いたばかりのページを閉じた。
「お待たせしました。まだお話があるんですよね」
「ええ」
セレスティーヌは茶器を脇へ寄せた。
「リールさん。わたくしと商売をしませんか」
「商売ですか?」
「今されている、冒険者の保証金の仕事です。あれを一緒にできないかと思っています」
リールは閉じた帳簿に手を置いたまま、続きを待った。
「保証金を出したいだけなら、セレスティーヌ様がお一人でできるでしょう」
「できます」
「でしたら、どうして私と?」
「わたくしが直接、誰に出すかを選ぶと意味が変わるからです」
「どう変わるんですか?」
「ブーケ家が、冒険者ギルドとは別に、この方には仕事を受けさせてもよい、この方には出さない、と決めているように見えます」
「私なら違う?」
「あなたは商人です。自分のお金を失うかもしれない立場で、誰に出すかを決めている」
「私に選ばせたいんですね」
「はい」
「でも、それなら別の商人でもいいでしょう」
取引台の向こうで、コレットが午前中の注文票に紐を二度回し、結び終えたところで、セレスティーヌが答えた。
「誰でもよいとは思っていません」
「どうしてですか?」
「一度断った方が、条件を変えて戻ってきたら、二度目には出した。先ほどのテオさんにも、行くこと自体を止めるのではなく、一人では行かないという条件を付けた。ギルドのランクだけでは決めていませんよね」
「私が損をするので」
「だからです」
それなら、セレスティーヌが私を使いたい理由は分かる。
けれど、それだけだった。
「それは、私を使いたい理由ですよね」
「ええ」
「セレスティーヌ様が、そこまでして冒険者にお金を出したい理由は?」
「できるだけ、冒険者を死なせたくありません」
「それは昨日も聞きました」
侯爵家が冒険者ギルドへ金を出し、受注資格にまで関わっている理由としてなら分かる。だが、それで足りないから今度は商人の保証金にまで入ろうとしている。
「セレスティーヌ様は、ギルドを作った側なんですよね。それでも足りなくて、今度は私の商売にもお金を出したい。冒険者を死なせたくないから、だけですか?」
コレットが束ね終えた注文票を棚へ収めた。通りを通った荷車が石畳の継ぎ目を踏み、車輪の音が扉の前で一度大きくなる。セレスティーヌは冷めた茶を一口飲んだ。
「……すべてをお話ししないと、納得していただけないようですね」
「全部でなくてもいいです。私がお金を出す理由が分かるくらいには」
「そうですね」
茶器が受け皿に戻った。
「昔の冒険者は、今よりずっと多く死んでいました。強い魔物に挑んで帰らない方もいましたし、怪我をして治療費を払えず、そのまま冒険者を続けられなくなる方もいました。装備を失い、次の依頼を受けるお金がなくなって消えていく方も珍しくありませんでした」
「今みたいに、ギルドが治療費を出したりは?」
「ありませんでした。依頼ごとの危険度も、今ほど細かく分けられていません」
セレスティーヌは、取引台の端に置かれた保証金の帳簿に指を添えた。
「魔物に追われる隊商を想像してください。歩ける者は先に進めます。ですが、怪我をして歩けなくなれば遅れます。荷物を失えば食料もなくなる。そのまま追いつかれれば、そこで終わりです」
「昔の冒険者が、それだった?」
「ええ。実力が足りなかったのだから仕方がない。準備できなかった本人が悪い。そう考えられていました」
「セレスティーヌ様は、そう思わなかった」
「歩けなくなったなら荷車に乗せればいい。怪我をしたなら治せばいい。装備を失ったなら、戻る方法を用意すればいいと思いました」
だから、ランクを作った。依頼の危険度を分け、受けられる相手を絞り、怪我をした者には治療を用意した。救助にも金を使い、危険だった場所の情報を次に残す。
昨日聞いた制度が、そこでつながった。
「それで、死ぬ人は減ったんですか?」
「減りました。怪我をしても治療を受け、また仕事に戻れる方も増えています」
「だったら、成功してるじゃないですか」
「成功しています」
「今でも、十年間Dランクのまま冒険者を続けている方もいます」
「十年? そんなに長く続けられたなら、セレスティーヌ様には成功なんですよね」
「はい」
「じゃあ、何が問題なんですか?」
「冒険者だけではありません」
セレスティーヌが続ける。
「怪我をした方を支える場所があります。仕事に戻れない方のために残している仕事もあります。利用する方が減っても、無くせばそこで働いている方が困る組織もあります」
「それでも、残すんですか?」
「なくした結果、生活できなくなる方がいるのであれば、すぐに無くすことはしません」
商売なら、客が減れば売上も減る。売れなければ品や値段を変え、それでも客が戻らなければ、人を減らすか店を畳むしかない。
いや、ちょっと待って。
客が減っても、別のところから金が入り続けるなら、縮める必要がない。ギルドに冒険者が残れば依頼の仲介があり、怪我をすれば治療があり、それを支える仕事も残っていく。
売れなくても終わらない。
それどころか、残るほど次の金が入る。
リールは閉じた保証金の帳簿から手を離した。
「……それ、仕事が必要だから残っているんじゃなくて、残っているから仕事が必要になってませんか?」




