第52話 今日決めること
その日の昼前、商業ギルドでは二つの窓口の前を商人と荷運び人が入れ替わり、開け放した入口の向こうを荷車が行き来していた。少し離れた取引台では、リールが帳簿を広げていた。
「今日、ルミナシアまで出せる荷車はないか」
ノノが行き先を聞き返し、今日の記録をめくった。アラインカプス領から東へ進み、ヴァレー領との境にある港町までなら、朝のうちに荷を下ろした荷車が一台、昼にはそちらへ戻る予定だった。
「こちらでしたら、帰りに積めるか確認できます」
「頼む。荷箱が三つだ。今日中に向こうへ届けたい」
ノノが荷車の持ち主を呼びに行くと、商人は受付台に両手をついたまま息を整えた。
リールは、そのやり取りから顔を上げた。以前なら、急ぎの荷を出すために空いている荷車を一台ずつ探していた。それが今は、どこから戻る荷車があるのかを商業ギルドでも確認できる。
空のまま帰っていた荷台が、ちゃんと次の仕事として数えられている。
荷運び人が戻ってくると、箱の大きさと重さを確かめ、帰り道から外れないことが分かるまでに時間はかからなかった。
「これなら載る。昼の鐘が鳴る前には出るぞ」
「助かる。あとは護衛だな。ここで一人つけられないか?」
ノノが首を横へ振った。
「護衛の依頼は冒険者ギルドです」
「今からか?」
「はい」
「向こうで依頼を出して、受ける奴を待ってたら昼を過ぎるだろ」
「こちらでは冒険者の受注資格を確認できませんので」
「参ったな……」
商人は額を拭いながら外へ出た。リールが入口の向こうに目を向けると、男は通りがかった二人組に声をかけていた。二人とも腰に剣を下げていた。
「悪い。直接は受けねえ。今、昇格見てるんだ」
「俺もだ。仕事ならギルドに出してくれ」
二人が通り過ぎると、商人は今度は入口の脇を歩いてきた別の男を呼び止めた。
日に焼けた顔に深い皺があり、腰には使い込んだ短剣、左腕には縁の削れた小盾を付けていた。
「あんた、冒険者か?」
男が足を止めた。
「そうだが」
「ルミナシアまで荷車を護衛してくれないか。今日中に出したい」
「何積んでる」
「雑貨だ。荷箱が三つ。俺と御者だけで行く。ルミナシアまでで銀貨八枚出す」
「隣町までで八枚だぁ? ずいぶん出すな」
「冒険者ギルドに払う依頼手数料が要らないからな。その分乗せても、俺は安く済む」
「なるほどな」
男は一度、荷車を見た。
「ゲリオンだ。昼前に出るんだな?」
「ああ」
「よっしゃ、なら行く」
商人が荷車の方へ戻っていくと、取引台から見ていたコレットが身を乗り出した。
「あれぇ、いいんですかぁ?」
「何が?」
「冒険者ギルド通してないですよぉ?」
冒険者本人と商人が直接決めた仕事を、商業ギルドで止める理由があるのか。そこまではリールも知らなかった。荷運び人を呼びに行っていたノノが戻ってきた。外ではもう、ゲリオンが荷台の周囲を回って車輪と箱の積み方を見ていた。
「冒険者本人へ直接仕事を頼んではいけない決まりはありますか?」
「商業ギルドにはありません。こちらで扱うのは荷車の仲介までです」
「じゃあ、あの人たちがそれでいいなら?」
「こちらで止める理由はありません」
ノノは次に待っていた荷運び人の札を受け取った。昼の鐘が鳴る前、入口の向こうでは荷箱を積み終えた荷車が通りへ出ていく。ゲリオンも小盾の位置を直し、その横について東門へ歩き始めた。
* * *
東門を出てからしばらくして、ゲリオンは街道脇に立っている若い女を見つけた。
記録帳らしいものを胸元に抱えたまま、道ではなく、その先に広がる畑を見ている。荷車が近づいても動く気配がない。
「おい」
女がこちらを向いた。
「こんなとこに一人で立ってると危ねえぞ」
「……すみません。考え事をしながら歩いていたら、ここまで来てしまって」
「考え事ぉ?」
ゲリオンは荷車の速度に合わせて歩きながら、女を見た。街へ戻る様子もなければ、どこかへ向かっているようにも見えない。
「俺ぁこの荷をルミナシアまで送るとこだ。往復しても半日だ。考え事して突っ立ってるくらいなら、一緒に歩くか。話くらいなら聞いてやるぞ」
女はルミナシアへ続く街道と、後ろの街を見比べた。
「……ご迷惑ではありませんか?」
「俺は歩くだけだ。お前も歩くだけなら変わらねえよ」
荷車が先へ進み、女もその横へ並んだ。
最初に口を開いたのは、東門の屋根が後ろへ小さくなってからだった。
「婚約を、申し込まれたみたいなんです」
「みたいだぁ?」
「一緒にいたい、と言われました」
「そりゃ婚約だろ」
「やっぱり、そうですよね」
「なんだ。違うのか?」
「本人が、その意味を分かって言ったのかが分からなくて」
ゲリオンは前を行く荷車に目を戻した。
「ずいぶん面倒な奴だなぁ」
「はい」
「でも、嫌いではないんだろ」
「嫌いではありません」
「じゃあ好きか?」
街道脇の草が風に倒れ、荷車の車輪が乾いた土を踏んでいく。
「……分かりません」
「なら、まだそれでいいんじゃねえの」
「でも、返事をしないと」
「今日しろって言われたのか?」
「いいえ」
「なら今日は考えとけ」
昼を過ぎるころには潮の匂いが混じり始め、街道の先にルミナシアの屋根と帆柱が見えてきた。荷車は港近くの倉庫へ入り、商人が三つの荷箱を下ろすあいだも、ゲリオンは倉庫の出入口と街道側を交互に見ていた。
荷がなくなると、御者は空いた荷台を確かめてから馬首を西へ向けた。
女も帰るらしい。
来たときと同じように荷車の横を歩き始めた。
「で、『一緒にいたい』って言った奴は、どんな奴なんだ」
「すぐ人に答えを聞きます」
「……またそういう奴か。この前もな、先のこと全部今決めようとしてる若ぇのがいたんだよ」
「その方も悩んでいたんですか?」
「ああ。何年冒険者やるだの、弓覚えるだの。依頼から帰ってきたばっかで頭ぐちゃぐちゃなのによ」
「そういう方が?」
「しまいにゃ、なんで冒険者やってんのかって話にまでなって、答えられなくなってやがった」
「その方は、どうしたんですか」
「今日は決めんなって言った。帰ったばっかで頭も回ってねえのに、何年先まで決められるかってな」
「その人も、自分で決められなかったんですね」
「決められねえっていうより、決めなくていいことまで今決めようとしてたんだろ」
女は道の先を見たまま、記録帳を抱え直した。
「……婚約も、今日決めなくていいんでしょうか」
「向こうはすぐ答え聞きてえだろうけどな。結婚したら明日で終わりじゃねえんだぞ。この先ずっと一緒にいる相手を、今日言われて今日決める必要はねえよ」
「はい……。あなたは、どうだったんですか?」
「なんだ、おめぇもすぐ答え聞くじゃねえか」
「……すみません」
「謝んな」
ゲリオンは鼻から息を吐いた。
「まあ、男の肩持つわけじゃねえけどよ。そいつも腹括って言ったんだろ。俺も女房に言うときゃ、柄にもなく緊張したからな」
女の足が止まりかけ、すぐにまた動いた。
「……そうだったのかもしれません」
「何か思い当たるのか?」
「声が、なかなか出ていませんでした」
「そりゃ緊張してたんじゃねえか」
どんな男か知らない。ただ、隣を歩いている女が、さっきより前を見て歩くようになったことだけは分かった。
アラインカプス領へ戻る道の先に、東門の屋根が見え始めた。
「帰ったら、彼に会ってみます」
「返事すんのか?」
「それは、まだ分かりません。でも、もう一度ちゃんと話します」
「おう。いいじゃねえか」
ゲリオンは左腕の小盾を直した。
「会ってみて、どうしようもねえ奴だったら俺んとこ連れてこい。鍛え直してやる」
女の視線が、ゲリオンの左腕に付けた小盾から腰の短剣へ下りた。どちらも、何度直したか分からないほど傷が残っている。
「……お願いします」
「そこは冗談だ」
「そうなんですか?」
「半分くらいな」
女はもう一度ゲリオンを見た。
「やっぱり長く冒険者を続けている人は、こういうことにも慣れているのでしょうか」
「さぁな。俺だって女房に怒られることくらいある」
東門へ着くと、女は頭を下げた。
「ありがとうございました」
「おう。気ぃつけて帰れよ」
女は街の中へ戻っていった。




