第53話 戻ってくるもの
同じ日の午後、西門近くにある大商家の倉庫では、西へ出す二台の荷車への積み込みが終わっていた。
荷台には複数の商会から預かった箱と樽が縄で固定され、御者も出発を待っている。それでも門へ向かえないのは、護衛依頼に必要な確認が一件だけ戻ってこないからだった。
「まだ出てないのか」
倉庫へ入ってきた商人が、自分の印を付けた三つの箱を見つけて足を止めた。
大商家の責任者は、届いていた確認書を確かめた。
「あと一件だ。人をやってる」
「俺のところは?」
「あんたのところはもう取れてる。途中で引き返すのも、荷を捨てる判断も、こっちへ任せる。それで受けてる」
「だったら、俺の荷は出せるだろ」
「同じ荷車に載せるんだぞ。途中で魔物が出て、残りの荷をどうするか決められなきゃ便そのものが動かせん」
昨日までなら、こんな確認を待って荷車を止めることはなかった。
商人は荷車を見上げた。
「今日中に着けたいんだ」
「分かってる。確認が取れ次第出す」
「何時になる」
「向こうが返事を寄越せばすぐだ」
商人は自分の荷を指した。
「降ろしてくれ」
「何?」
「俺の三箱だけ降ろしてくれ。商業ギルドへ持っていく」
「今から荷車を探すのか?」
「探すっていうか、戻る奴を聞くんだよ。午前中に西から荷を運んできた荷車がある。荷を下ろしたら、夕方までには向こうへ戻るらしい」
責任者は商人を見た。
「戻る荷車だと?」
「空で帰るところに載せてもらうんだよ。帰り道なら、新しく一台頼むより安い」
「そんな都合よく行き先が合う荷車を、誰が探す」
「商業ギルドで聞ける。今日どこに戻る荷車があるか、分かるようになってるんだ」
昨日まで、そんな話は聞いたことがなかった。
「誰がそんなこと始めた」
「リール商会の案だよ。最初はあそこで帰りの荷を紹介してたらしい。荷運び人も空で戻るより金になるし、こっちも安く送れる。助かってんだ」
また、石鹸商人か。
「本当に今日出せるのか?」
「向こうに載るか確認してもらってる。三箱なら大丈夫だろうって話だ。だから降ろしてくれ」
責任者が倉庫の入口を見ると、その向こうに荷台を空にした荷車が一台止まっていた。御者が商人を見つけ、片手を上げた。
もう話は進んでいる。
「……降ろせ」
近くにいた作業員二人が荷台へ上がり、三つの箱を固定していた縄を外した。先に積んだ樽をずらし、箱を一つずつ地面へ下ろしていく。
三箱だけだ。
積み終えたはずの荷台に床板が見えた。外で待っていた御者も倉庫へ入り、商人と一緒に荷を通りへ運び出した。
「来月の王都便はまた頼むよ。あっちは途中で倉庫も使うし、自分で全部探すのは面倒だからな」
「ああ」
商人は御者とともに倉庫を出ていった。
荷を下ろした作業員の一人が、床板の見えた荷台を見上げた。
「残り、詰め直しますか?」
「寄せろ。確認が取れたらすぐ出す」
作業員が樽と箱を動かし、緩んだ縄を締め直している間に、降ろした荷は通りの荷車へ積み直された。御者が馬を進ませると、荷はそのまま西門の方へ遠ざかっていく。
こちらは、まだ出られない。
* * *
夕方、オルメイの工房では、リグレットが作業台の前で弓を引いていた。
弓身の両側には削った角板が沿わせてあり、ネロズワルドの腱から作った新しい弦が張られている。リグレットが弦を胸元まで引き込んでも、以前のように弓身が負ける様子はなかった。
「うわ、重っ」
「当たり前だ。前と同じ力で引ける弓作ってどうすんだ」
「リグちゃん、か弱い乙女なんだけど」
「その乙女が飛竜の腱持って帰ってきたんだろうが」
リグレットは弦を戻し、今度はゆっくり二度目を引いた。
「でも、いいね。前より最後まで引ける」
「矢も今までと同じじゃ合わなくなる。飛ばす前に持ってこい」
「はいはーい。じゃあ明日は矢のお買い物かなぁ」
湊が作業台に残っていた削り屑を端へ寄せていると、工房の扉が開いた。
振り向いたところで手が止まった。
「シェナさん」
記録帳を抱えたシェナが立っていた。
あれから何度も考えた。追いかけるなら何を言うのか、今度会ったら何を話すのか。
もう決めている。
「湊さん。話があります」
「はい」
シェナは工房の中へ入り、湊の前で足を止めた。
「あのときの『一緒にいたい』は、どういう意味だったんですか」
意味を知らずに言った。そこは変えられない。
「婚約の意味だとは知りませんでした」
シェナが記録帳を抱く腕に力を入れた。
「やっぱり、そうだったんですね」
「でも、あれから色々考えました。一緒にいたいと思ったのも、本当です」
「……はい」
「シェナさんがいなくなるのが嫌だったから、あのとき言いました。婚約の言葉だって知ったあとも、それは変わりませんでした」
作業台の向こうで、リグレットがまだ新しい弓を持っている。オルメイもそこにいたが、湊はシェナから目を外さなかった。
シェナは記録帳に視線を落とした。
「私は、まだ返事はできません。それと、任務から外れると言ったことも、もう一度考えます。ただ……記録したことを、なかったことにはしません」
「記録してもいいです」
「えっ?」
シェナが顔を上げた。
「俺の故郷のことだけじゃないです。一緒に働いたことも、普段話したことも。シェナさんが監察に必要だと思ったなら、記録してください」
「でも、湊さんは、それで――」
「今度からは教えてください。何を記録するのか、俺にも」
シェナは記録帳を見てから、湊へ顔を戻した。
「……分かりました」
食事のときも、マトリカリアで話したときも、自分が話したことの中には記録に残されたものがある。嫌だったのは、それを自分だけ知らなかったことだった。
「それなら、もう大丈夫です」
「……本当に?」
「はい」
「これからもずっとシェナさんと一緒にいてください」
「あの……」
シェナが記録帳を抱え直した。
「だから、その……心の準備がですね……。えっと」
「返事は今じゃなくていいです」
「え?」
「俺はずっと迷って、分からなくなってました。工房で働くのか、冒険者を続けるのか、弓を覚えるのか。シェナさんのことも」
そのたびに誰かに聞いた。
でも、これはもう聞かなくていい。
「一緒にいたいです。そこは、もう迷いません」
「だから!」
シェナの声が工房へ響いた。
「そういうことをまっすぐ言わないでください!」
「えっ」
記録帳を胸元に抱えたまま、シェナは工房を飛び出していった。
扉が閉まり、通りを走る足音が遠ざかっていく。
リグレットが新しい弓を肩へ掛けた。
「Fランク君……。ご飯行こっか」
「……はい」
* * *
次の通りまで来たところで、シェナは足を止めた。
また逃げた。
返事は今でなくていいと言われた。湊は待つと言ってくれたのだから、あの場にいればよかった。
なのに、
――これからもずっとシェナさんと一緒にいてください。
そこだけが、工房を出てから何度も戻ってくる。
シェナは来た道を振り返った。
今度こそ、ちゃんと話そう。
工房まで戻ると、中にいたのはオルメイだけだった。作業台にはさっきまでリグレットが持っていた弓もない。
「オルメイさん。湊さんは?」
「さっきリグレットと飯食いに行ったぞ」
「二人でですか?」
「ああ、工房から二本先の食堂じゃねえか」
「ありがとうございます」
シェナはまた通りへ出た。
食堂の扉を開けると、すぐに二人を見つけた。
壁際の卓で向かい合い、リグレットは新しい弓を椅子の横へ立てている。湊の前には煮込みとパンがあり、何かを相談しているのか、リグレットの話を真剣な顔で聞いていた。
さっきまで、自分にはずっと一緒にいてほしいと言っていたのに。
「湊さん」
声をかけると、湊がこちらを向いた。
「シェナさん?」
「どういうことですか」
「えっ?」
「さっき迷わないって言いましたよね! これからもずっと一緒にいてほしいって言ってくれましたよね!」
「はい。言いましたけど」
なんで、こんなに嫌なんだろう。
「どうしてリグレットさんと二人でご飯に行っているんですか! 誰でもよかったんですか!」
「ち、違います!」
湊は椅子から身体を起こした。
「シェナさんがまた逃げたから、何が駄目だったのかリグレットさんに相談してて」
「またすぐ人に答えを聞くんですか!?」
「じゃあ、逃げずに答えてください!」
「えっ」
「俺はちゃんと言いました。シェナさんも、逃げないで答えてください」
「それは……」
「なんでそんなに怒るんですか!」
どうして。
返事はまだしていない。工房から逃げたあと、話し直そうと戻って、ここまで湊を追ってきた。リグレットと向かい合う湊を見つけた瞬間、会えたことより先に、嫌だと思った。
「私も……」
湊と目が合う。
「湊さんと……一緒に……」
「えっ?」
「察してください!」
シェナは踵を返し、食堂の扉を押し開けた。
「また!?」
背中から湊の声が追ってくる。
「Fランク君」
「……はい」
「めんどくさいよ?」
「俺がですか!?」
「二人とも」
シェナは扉を閉め、食堂を出ていった。




