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境界線の商人  作者: カミツキ
三章 銀貨開戦

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第48話 帰ってきたあと

 冒険者ギルドへ戻ると、受付の前にいた冒険者たちが道を空けた。シェイムはそのままヴェール大聖堂へ運ばれ、湊たちだけが受付に残った。


 濡れた装備のまま立つ湊たちの前で、クリストフは未帰還者の記録を開いていた。


「未帰還ではなく、救助ありで戻ったと記録してください。依頼の成否は本人から話を聞いてからにします」


 湊はその紙に、シェイムの名前が書かれているのを見た。


 救助あり。


 あれだけ泣いて何もない通路を指して、叫んでいたことも、ここではその一言だけなのか。


 隣ではリグレットが弓の弦を確かめ、ゲリオンは濡れた小盾を受付脇の布で拭っていた。二人とも、もう帰るつもりなのだろう。


「リグレットさん」

「ん?」

「あの……俺に、弓を教えてもらえませんか」


 リグレットはすぐには返事をせず、背負いかけた弓を下ろし湊を見た。


「何年やるの?」

「……何年?」

「弓。どれくらい続けるつもり?」



 分からない。



「それは……」

「一年? 三年? 冒険者やってる間ずっと?」


 リグレットは急かさなかった。


「じゃあ、何で弓やりたいの?」

「俺、剣も槍も使えないから……。今日みたいなことがあったとき、何かできた方がいいと思って」

「今日は運んだじゃん」


 湊は口を閉じた。外套の端にかかった重さはまだ腕に残っている。曲がり角で壁へぶつけないよう持ち上げ、ゲリオンに言われるたび足元を見た。あれも仕事だと言われた。


「……戦えるようにも、なった方がいいと思うんです」

「何で?」

「何でって……」

「そこまでして、何で冒険者やりたいの?」


 もっとこの世界を見たい。行ったことのない場所へも行ってみたい――そう思っていたはずなのに、その先でシェイムは、もう見たくないと泣いていた。


「Fランク君?」

「分かんないですよ!」


 思ったより大きな声が出て、受付にいた何人かがこちらを振り向いたが、それでももう止められなかった。


「俺だって分かんないから聞いてるんです! 行きたいって思ったのは本当で、だから今日も行ったけど、シェイムさんがあんなふうになって……俺は戦えなくて」


 息を吸ったはずなのに、言葉がそのまま続いた。


「運ぶのも仕事だって言われて、それも分かりました。でも、じゃあ俺はこのままでいいのかって言われたら分かんないし、弓を覚えたらいいのかと思ったけど、何年やるのって言われても分かんないし……」


 何を言いたかったのか、自分でも途中から分からなくなっていた。


「じゃあ、どうしたらいいんですか! リグレットさんは、どうして冒険者になったんですか!」


 小盾を拭いていたゲリオンの隣で、リグレットはしばらく湊を見ていた。


「……それ、本当に私の理由が聞きたい?」


 わかってる、聞きたい訳じゃないんだ。


「私が理由を言ったら、Fランク君もそれで決めるの?」

「おい、今日は決めんな」


 ゲリオンは濡れた小盾を膝へ置き、布で縁を拭った。


「帰ってきたばっかだろ。あんなもん見た直後に、何年先までやるかなんぞ決められるか。明日になっても弓やりてえなら、そのときもう一回頼め」



 明日まで待ってもいい。



 そう思うだけで、さっきまで喉につかえていたものが少し下がった。


 ゲリオンが布を返してクリストフの手元の記録に目を向けると、クリストフも顔を上げた。


「そういや、あの嬢ちゃん何ランクだ?」

「シェイムさんですか。Fランクです」


 小盾を拭いていた手が止まった。


「……F?」

「はい」


 ゲリオンはシェイムの名前が残る記録へもう一度目を落とした。


「あの調査、Fで受けられんのか?」

「ええ。受注条件は満たしています」

「条件の話ぁしてねえよ」


 さっきまで湊へ向けていた声とは違い、怒鳴ってもいないのに受付の空気が少しだけ変わった。


「でかいのが出るって分かってんだろ」

「ルゥラニュクスとの交戦を前提にした依頼ではありません。入口周辺の調査です」

「入口周りなら出ねえって分かってんのか?」


 ゲリオンは返事を待ちながら小盾の縁をもう一度布でなぞり、水気がなくなったところで机の脇へ立てかけた。


「俺だって入口近くを見るだけなら入る。知らねえ道は増やさねえし、あいつが出たら帰る。そういう話なら分かる。けど、あの嬢ちゃん一人だったろ」

「はい」

「Fになってどれくらいだ?」


 クリストフが記録をめくった。


「まだ長くはありません」

「ダンジョンの依頼は?」

「今回が初めてです」


 ゲリオンの眉間に皺が寄った。


「それで行かせたのか」

「入口周辺の調査は、Fランクでも受注できる依頼として出しています」

「何見てそう決めた」

「調査範囲とこれまで確認された魔物、救援までの距離です。未踏区域へ進む依頼とは分けています」

「じゃあ、あの嬢ちゃんが、でかいの見て引き返せるかどうかは?」

「……そこまでは、受注時に個別では見ていません」


 湊が口を挟んだ。


「ルゥラニュクスが確認された後も、条件は変わってないんですか?」


 クリストフが湊の方を向いた。


「変わっていません」

「どうしてですか?」

「入口周辺の調査まで止めれば、内部の情報が集まりません。ルゥラニュクスがどこまで行動するのかも、まだ分かっていません」


 ゲリオンが鼻を鳴らした。


「分かってねえから調べる。調べねえと分からねえ。そりゃそうだ……。で、分かってねえ場所に誰を入れるかは、何で決めてんだ?」


 クリストフは、開いた記録に視線を落とした。


「まあ、俺ぁギルドの人間じゃねえ。決めるのはそっちだ。ただな。魔物は依頼書に書いたとこで止まってくれねえぞ」


 そう言って、ゲリオンは受付を離れた。


 * * *


 同じころ、王都の冒険者ギルド本部では、別の紙に商人の名前が並び始めていた。


「レヴィンさん。支払った人間は、今までも記録しています」


 ギルド本部職員が言うと、レヴィンは届いた報告書から顔を上げた。


「ええ、知っていますよ。では、その記録を見れば、同じ商人が何度払ったかも分かりますか?」

「調べれば分かります」

「どの依頼に払ったかは?」

「そちらも記録を追えば」

「なるほど、なるほど。では、最初から並べておいた方が楽でしょう?」


 職員が報告書へ目を落とした。


「依頼の横に、ですか」

「ええ。誰が保証金を出したのか、そこで見えるようにしてください」

「全支部ですか?」

「いえいえ、そこまでは必要ありませんよ。まずは、この報告が上がった支部だけで結構です」


 職員が紙を受け取ったものの、その場を離れなかった。


「第三者負担を問題として扱うのでしょうか」

「問題、ですか?」


 レヴィンは報告書を机へ戻した。


「保証金が足りず止まっていた受注が、その金で動いたんですよね?」

「はい」

「受注資格そのものを変えたわけではない」

「そうです」

「なるほど、なるほど。では、今は何を止める必要があるのでしょう?」

「それは……」

「ないのでしょう? なら、そのままで結構ですよ」


 報告書の端には、同じ商人の名前が何度か書かれていた。


「ただ、誰の銀貨で誰が動いたのか。オレはそこを見ておきたいんです」

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