第48話 帰ってきたあと
冒険者ギルドへ戻ると、受付の前にいた冒険者たちが道を空けた。シェイムはそのままヴェール大聖堂へ運ばれ、湊たちだけが受付に残った。
濡れた装備のまま立つ湊たちの前で、クリストフは未帰還者の記録を開いていた。
「未帰還ではなく、救助ありで戻ったと記録してください。依頼の成否は本人から話を聞いてからにします」
湊はその紙に、シェイムの名前が書かれているのを見た。
救助あり。
あれだけ泣いて何もない通路を指して、叫んでいたことも、ここではその一言だけなのか。
隣ではリグレットが弓の弦を確かめ、ゲリオンは濡れた小盾を受付脇の布で拭っていた。二人とも、もう帰るつもりなのだろう。
「リグレットさん」
「ん?」
「あの……俺に、弓を教えてもらえませんか」
リグレットはすぐには返事をせず、背負いかけた弓を下ろし湊を見た。
「何年やるの?」
「……何年?」
「弓。どれくらい続けるつもり?」
分からない。
「それは……」
「一年? 三年? 冒険者やってる間ずっと?」
リグレットは急かさなかった。
「じゃあ、何で弓やりたいの?」
「俺、剣も槍も使えないから……。今日みたいなことがあったとき、何かできた方がいいと思って」
「今日は運んだじゃん」
湊は口を閉じた。外套の端にかかった重さはまだ腕に残っている。曲がり角で壁へぶつけないよう持ち上げ、ゲリオンに言われるたび足元を見た。あれも仕事だと言われた。
「……戦えるようにも、なった方がいいと思うんです」
「何で?」
「何でって……」
「そこまでして、何で冒険者やりたいの?」
もっとこの世界を見たい。行ったことのない場所へも行ってみたい――そう思っていたはずなのに、その先でシェイムは、もう見たくないと泣いていた。
「Fランク君?」
「分かんないですよ!」
思ったより大きな声が出て、受付にいた何人かがこちらを振り向いたが、それでももう止められなかった。
「俺だって分かんないから聞いてるんです! 行きたいって思ったのは本当で、だから今日も行ったけど、シェイムさんがあんなふうになって……俺は戦えなくて」
息を吸ったはずなのに、言葉がそのまま続いた。
「運ぶのも仕事だって言われて、それも分かりました。でも、じゃあ俺はこのままでいいのかって言われたら分かんないし、弓を覚えたらいいのかと思ったけど、何年やるのって言われても分かんないし……」
何を言いたかったのか、自分でも途中から分からなくなっていた。
「じゃあ、どうしたらいいんですか! リグレットさんは、どうして冒険者になったんですか!」
小盾を拭いていたゲリオンの隣で、リグレットはしばらく湊を見ていた。
「……それ、本当に私の理由が聞きたい?」
わかってる、聞きたい訳じゃないんだ。
「私が理由を言ったら、Fランク君もそれで決めるの?」
「おい、今日は決めんな」
ゲリオンは濡れた小盾を膝へ置き、布で縁を拭った。
「帰ってきたばっかだろ。あんなもん見た直後に、何年先までやるかなんぞ決められるか。明日になっても弓やりてえなら、そのときもう一回頼め」
明日まで待ってもいい。
そう思うだけで、さっきまで喉につかえていたものが少し下がった。
ゲリオンが布を返してクリストフの手元の記録に目を向けると、クリストフも顔を上げた。
「そういや、あの嬢ちゃん何ランクだ?」
「シェイムさんですか。Fランクです」
小盾を拭いていた手が止まった。
「……F?」
「はい」
ゲリオンはシェイムの名前が残る記録へもう一度目を落とした。
「あの調査、Fで受けられんのか?」
「ええ。受注条件は満たしています」
「条件の話ぁしてねえよ」
さっきまで湊へ向けていた声とは違い、怒鳴ってもいないのに受付の空気が少しだけ変わった。
「でかいのが出るって分かってんだろ」
「ルゥラニュクスとの交戦を前提にした依頼ではありません。入口周辺の調査です」
「入口周りなら出ねえって分かってんのか?」
ゲリオンは返事を待ちながら小盾の縁をもう一度布でなぞり、水気がなくなったところで机の脇へ立てかけた。
「俺だって入口近くを見るだけなら入る。知らねえ道は増やさねえし、あいつが出たら帰る。そういう話なら分かる。けど、あの嬢ちゃん一人だったろ」
「はい」
「Fになってどれくらいだ?」
クリストフが記録をめくった。
「まだ長くはありません」
「ダンジョンの依頼は?」
「今回が初めてです」
ゲリオンの眉間に皺が寄った。
「それで行かせたのか」
「入口周辺の調査は、Fランクでも受注できる依頼として出しています」
「何見てそう決めた」
「調査範囲とこれまで確認された魔物、救援までの距離です。未踏区域へ進む依頼とは分けています」
「じゃあ、あの嬢ちゃんが、でかいの見て引き返せるかどうかは?」
「……そこまでは、受注時に個別では見ていません」
湊が口を挟んだ。
「ルゥラニュクスが確認された後も、条件は変わってないんですか?」
クリストフが湊の方を向いた。
「変わっていません」
「どうしてですか?」
「入口周辺の調査まで止めれば、内部の情報が集まりません。ルゥラニュクスがどこまで行動するのかも、まだ分かっていません」
ゲリオンが鼻を鳴らした。
「分かってねえから調べる。調べねえと分からねえ。そりゃそうだ……。で、分かってねえ場所に誰を入れるかは、何で決めてんだ?」
クリストフは、開いた記録に視線を落とした。
「まあ、俺ぁギルドの人間じゃねえ。決めるのはそっちだ。ただな。魔物は依頼書に書いたとこで止まってくれねえぞ」
そう言って、ゲリオンは受付を離れた。
* * *
同じころ、王都の冒険者ギルド本部では、別の紙に商人の名前が並び始めていた。
「レヴィンさん。支払った人間は、今までも記録しています」
ギルド本部職員が言うと、レヴィンは届いた報告書から顔を上げた。
「ええ、知っていますよ。では、その記録を見れば、同じ商人が何度払ったかも分かりますか?」
「調べれば分かります」
「どの依頼に払ったかは?」
「そちらも記録を追えば」
「なるほど、なるほど。では、最初から並べておいた方が楽でしょう?」
職員が報告書へ目を落とした。
「依頼の横に、ですか」
「ええ。誰が保証金を出したのか、そこで見えるようにしてください」
「全支部ですか?」
「いえいえ、そこまでは必要ありませんよ。まずは、この報告が上がった支部だけで結構です」
職員が紙を受け取ったものの、その場を離れなかった。
「第三者負担を問題として扱うのでしょうか」
「問題、ですか?」
レヴィンは報告書を机へ戻した。
「保証金が足りず止まっていた受注が、その金で動いたんですよね?」
「はい」
「受注資格そのものを変えたわけではない」
「そうです」
「なるほど、なるほど。では、今は何を止める必要があるのでしょう?」
「それは……」
「ないのでしょう? なら、そのままで結構ですよ」
報告書の端には、同じ商人の名前が何度か書かれていた。
「ただ、誰の銀貨で誰が動いたのか。オレはそこを見ておきたいんです」




