第39話 石鹸と弓
ガラン食堂では、リールが空いた卓に座り、周りでは仕事着のまま昼食を取る者たちが卓を埋めていた。隣では、一人の女が椅子の背にもたれて食後の杯を傾けている。
リールは周りの卓へ声をかけた。
「今、冒険者の依頼を受けてない人って、ここにいる?」
ガラン食堂のあちこちから、顔が上がる。
「昔やってたけど、俺は辞めたぞ」
「登録だけならまだ残ってる」
「荷場の奴に一人いるんじゃねえか?」
「俺も残ってるけど、戻る気はねえよ」
これだけ別々の答えが返ってくるとは思わなかったわ。
リールは声のした卓を順に見た。
「あなたたちの中で、冒険者に戻るつもりはあるのに、今は別の仕事をしてる人は?」
「ああ、それなら」
髪の長い女が食堂の奥へ顎を向けた。
「リグレット、アンタそうじゃなかった?」
「はいはーい。呼んだ?」
返事をした女は、隣の卓から椅子ごとこちらを向いた。
「工房勤めの冒険者なら、ここに一人。まだ辞めた覚えはないよー」
「工房って、石鹸工房よね」
「そうそう。毎日せっせと石鹸作ってますとも。弓より石鹸の方が稼いでくれるんだから、世の中分かんないよねぇ」
リグレットは自分の椅子を引きずり、リールの卓へ寄せた。
「今も冒険者に戻るつもりはあるの?」
「あるよ。できれば討伐に戻りたいねぇ」
「じゃあ、どうして今は工房にいるの?」
「お金。次に行きたい依頼、保証金が高いんだよね。ランクは足りてるし、弓も元気。足りないのは保証金だけ」
「それなら、採取や採掘の依頼を受けて貯めることもできるでしょう?」
「あー、できるできる」
リグレットはあっさり認めた。
「でも、それでちゃんと稼ごうと思ったら結構きついよ。採掘なんて一日やったら、次の日まで腕が重いし。採取も数を集めなきゃ大した金にならないしねぇ」
「それでも、工房だけで貯めるより早くないの?」
「毎回ちゃんと成功できればね」
返事の調子が変わった。
「私、そこまで強くないんだよ」
声は明るいままだった。
「ばんばん依頼こなして、はい次、はい次って稼げるなら、とっくにやってるって。採取でも採掘でも失敗したら、その分また遠のくでしょ? 討伐に行くために金貯めてるのに、途中で減らしてたら何してるか分かんないじゃん」
「だから工房?」
「そ。働いた分はちゃんと残るから」
リグレットはそこで笑った。
「石鹸は襲ってこないしねぇ」
近くの卓から笑い声が飛んだ。
「お前、採掘でも一回やらかしてたじゃねえか」
「それ今言う? せっかく私が堅実な働き者みたいな顔してたのに」
「どこがだよ」
「あはは。ひどいなぁ」
軽口を返してから、リグレットはリールへ向き直った。
「まあ、そんな感じ。私、ソロで何でも片づけられるほど強くないんだよね。討伐ならパーティで行く方が向いてるし」
「全部貯まるまで待つつもり?」
「そうだけど。何?」
「その前に、討伐へ戻れる形があるかもしれないわ」
リグレットの笑い声が止まった。
「……それ、保証金出してくれるって話?」
「出すとは言ってないわ」
「そこは景気よく、任せなさいって言うところじゃない?」
「誰にでも出してたら、うちが先に潰れるでしょ」
「あはは、それは困る。私のお給料なくなっちゃう」
「次に受けたい依頼、もう決まってる?」
「あるよ」
「保証金はいくら足りないの?」
「そこまではまだ計算してないけど」
「じゃあ、全部貯める前に一度商館へ来て」
「保証金が足りないって言いに?」
「それと、受けたい依頼を教えて」
「……何か考えてる?」
「来てから考えるわ」
リグレットは一度だけ目を細め、それからいつもの調子で笑った。
「じゃあ、そのときはよろしく。リグちゃん、討伐に戻れるなら遠慮しないよー」
「それでいいわ」
* * *
翌日の午後、オルメイが作業台の小瓶を逆さにした。口を下に向けたまま待っても、布に落ちたのは一滴だけだった。
「湊、商館行って油買ってこい。これじゃ次の修理に足りねえ」
「これと同じのでいいですか?」
「ああ。一瓶でいい」
空になった小瓶を受け取り、湊はリールの商館へ向かった。
帳場ではコレットが注文書をまとめていた。差し出した小瓶を見るなり棚を確かめ、それから帳簿を開く。
「油ですかぁ? ちょっと待って。……あー、ない。昨日出したので最後だ」
「えっ。オルメイさん、次の修理に使うって」
「そう言われてもなー、今、どこも品薄なんだよ。ほら、新しいダンジョン見つかっただろ? みんな準備で使ってるからさ」
「そんな……。じゃあ、油の材料って、どこで採れるんですか?」
「そうだな、この辺だと、北街道沿いの森かな。溜油果って言うひょうたん見てぇな形した実だよ。搾ると油が採れるんだ」
「溜油果の採取依頼って、出てますか?」
「出てるよぉ。でも、ずっと残ってるやつだねぇ」
採取する分とは別に持ち帰れば、オルメイの油にもできる。
森か、ダンジョンじゃないし……。
そう思ったのに、暗い岩肌と、動かなくなったテオの姿が一瞬だけ戻った。空の小瓶を握る指に力が入る。
だけど、今度は誰かについていくだけじゃない。採取なら、自分の名前で受けられる仕事だ。
「じゃあ、俺が受けます」
「え、今度は一人で行く気か?」
「森ですよね。俺、Fランクでできるの採取くらいですから」
「森でも魔物は出るよ。ダンジョンじゃないから安全ってわけじゃないからね」
そのとき、商館の扉が勢いよく開いた。
「リールさーん、お金」
入ってきた女が、片手を上げる。
「いらっしゃいませぇ」
奥からリールも出てきた。
「リグレット、何その入り方」
リグレットは笑った。
「いやぁ、昨日言われたからさ。保証金が足りなかったら、ギルドへ行く前にこっち来いって」
「お金をあげるとは言ってないでしょう」
「だから相談相談。ちゃんと来たんだから褒めてよ」
「で、結局何の依頼を受けるつもり?」
「北街道の沼地に出るネロズワルド。前から行きたかったやつが、まだ残ってるんだよねぇ」
「北街道?」
湊が思わず口を挟んだ。
「俺も今から、溜油果を採りに北街道沿いの森へ行くところなんです」
「はいはい、途中まで一緒だね。君も冒険者なの?」
「はい。最近冒険者登録をしたばかりなのでFランクですけど」
「Fかぁ。なるほどねぇ。森で別れて、帰りにまた合流すればいいか 」
帳場に片手をついたまま、リールが身体をリグレットの方へ向けた。
「昨日、討伐ならパーティの方が向いてるって言ってたでしょう。一人で行くつもりなの?」
「できれば誰かと組みたいよ。ギルドで探してみる。いなかったら一人かなぁ」
「そこまでして行きたいの?」
「そのために石鹸作ってたんだって。今度こそ行けるなら、もう待つのはいいかな」
最後の一言だけ、リグレットの声から笑いが消えた。
ネロズワルド。俺には、さっきから名前しか分かっていない。
「そもそも、ネロズワルドってどんな魔物なんですか?」
「ねばねばの飛竜」
「ねばねば?」
「見れば分かるよ。嫌でもねぇ」
リグレットは笑ってから、財布を取り出して帳場へ置いた。
「で、本題。これが今ある分」
「その依頼の保証金はいくら?」
リグレットが額を答える。リールは財布の中身を数え、足りない分を確かめた。
「その不足分だけ、商会から出すわ」
「こっちは、そのまま私の分?」
「ええ。そこまで肩代わりはしないわ」
「まあ、それはそうか」
リグレットが財布を覗き込む。
「成功して保証金が戻ったら、商会が出した分を返して。それとは別に手数料をもらうわ」
「手数料まで取るの?」
「その依頼、成功報酬はいくら?」
「銀貨十枚」
「なら、成功したらそのうち銀貨四枚をもらうわ」
「四枚も取るの?」
「ええ。失敗したときは取らないわ」
「保証金が戻らなかったら? リグちゃん、絶対勝つって思われてる?」
「思ってないわ」
「えっ?」
「商会が出した分はこっちの損失。あなたには請求しない。あなたが出した分も、そのときは戻らないわ」
リグレットの指が、財布の口で止まった。
「……私の借金にはしないの?」
「しないわ」
「それ、私もリールさんも損するじゃん」
「そうね」
「ホントにそれでいいの?」
「よくはないわ。だから、まずあなたで試すの」
「出た。実験台にされるやつ」
「嫌ならやめる?」
「やるやる。戻れるなら遠慮しないって言ったでしょ」
リールは不足分の硬貨を数え、商会の金袋に入れた。
「商会の分は、ギルドで直接払うわ」
「そこまで一緒に来るの?」
「お金だけ渡すわけにはいかないでしょう」
リグレットが声を上げて笑った。
「じゃあ、それでお願い。全部貯まるまでまた石鹸作ってるより、ずっといいし。あとは魔力回復薬、二本ほしいな。そっちは自分で払うよ」
「二本ですかぁ?」
「ネロズワルド相手なら、そのくらい持ってた方が安心でしょ。余ったら持って帰るし」
コレットが二本の瓶を帳場へ置いた。
「そうだ。ネロズワルド倒したら、素材も持って帰りたいんだよねぇ」
素材、と聞いて湊の目がリグレットに移った。
「素材も売れるんですか?」
「売れるもの置いて帰るの、もったいないじゃん」
「じゃあ、それも俺が運びますよ」
「いやいや。君、溜油果も持って帰るんでしょ。どんだけ持つ気?」
洞窟からテオを運び出したときは、自分でも驚くほど身体が動いた。人一人なら背負えた。だけど、溜油果に飛竜の素材まで増えたら運べないよな。
「リールさん、荷車って借りられますか?」
「いいわよ。依頼を受けたら取りに戻ってきて」
「助かるぅ。これでリグちゃん、帰りまで力仕事しなくて済む」
「引くのは俺ですよね?」
「もちろん。そこは任せたよー」
リグレットが入口へ向かう。
「じゃ、行こっか。討伐と採取」
「はい」
リグレットが扉へ手をかけると、通りを行く荷車の車輪音が商館の中まで入ってきた。湊も空になった小瓶を握り直し、そのあとを追う。
扉を押さえて待っていたリグレットが、追いついた湊に目を細めた。
「本当に荷物は任せたからね? Fランク君」




