第20話 受け取らなかった紙
雨が上がった朝、商会前で直した道は、端の一か所だけ少し沈んでいた。荷車が通れないほどではないが、車輪が同じところを通るたび、水が溜まり始めていた。
以前なら、その場でオルメイへ伝言を出していた。今回はメルドたちへ傷んだ場所を知らせるだけでいい。昼前にはオルメイが道具を持って現れ、修繕に使う石も一緒に運ばれてきた。
「今回は、材料代も俺の工賃もメルドたちの方へ請求する。お前に払わせる分はねえぞ」
「分かってるわ。そこまで含めて管理を渡したもの」
「ならいい」
オルメイが沈んだ場所を直しているあいだに、リールは商館へ戻った。コレットがまとめたその日の支払いには、道路の材料も人手も加わっていない。
そのまま次の仕入れを確認していると、荷車が一台、直し終えた場所を通って商館の前へ止まった。
荷の受け取りが終わるころ、前に道を延ばしてほしいと相談に来た赤毛の女商人が商館を訪れた。
「表はもう直ったんですね。うちの前は、いつ頃になりそうですか」
「こちらでは、もう順番を決められません。要望は向こうへ渡してありますので、そちらの確認を待ってください」
「費用を出すと言っても?」
「それだけで先にはできないそうです。私から工事を約束することもできません」
赤毛の女商人は分かったと返したものの、店の前の道が直ったわけではない。相談を書いた紙も、昨日から机の端に残ったままだった。
扉が閉まると、コレットがその紙へ目をやった。
「……あの人、自分でも金出すって言ってた奴だよねぇ」
「ええ」
「それでも受けないんだ」
「もう、どこを先に直すか決めるのはうちの仕事じゃないもの」
「でもさ。直してほしい店から金を預かって、オルメイに回すだけでも商売になるじゃん。アタシたちが間に入るなら、その分の金だって取れるだろ」
「できるでしょうね」
利益にはなる。だからコレットがそこに引っかかるのも分かる。けれど、できる仕事を見つけるたびに商会へ抱え込んでいたら、手放した意味がない。
「じゃあ、なんでやらないの?」
「私が持っている必要がないからよ」
「……利益になるのに?」
「利益になるものを、全部うちで持つつもりはないわ」
「でも、荷の記録は続けるんだよね」
「ええ。そっちは商売に使うもの」
「……そこが、アタシにはよく分かんないんだよねぇ」
コレットはそれ以上聞かず、荷の記録へ戻った。
利益になる仕事を見つけるところまでは早い。けれど、それを自分たちで持つか、外へ渡すかまではまだ見ていない。
そこまで見えるようになるには、もう少しか。
近くで同じ記録をつけていた湊が、机の端に残った工事の紙を手に取った。
「これ、もうリールさんは使わないんですよね」
「候補としては向こうに渡してあるから、商会からオルメイへ出す予定はないわ」
「じゃあ、俺が持っていってもいいですか。昨日の話、オルメイさんに聞いてみたいです」
「どっちにも頼まなくていい方法?」
「はい。できるかどうかも分からないですけど」
「構わないわよ。オルメイが仕事中なら邪魔しないでね」
「分かってます」
湊は紙を持って、先に工房へ戻ったオルメイを追った。
* * *
工房へ着いたとき、オルメイは道具についた泥を落としていた。湊が持ってきた紙を見ても作業を続けたまま言った。
「今日はリールに言われて来たんじゃねえんだろ」
「はい。俺が勝手に来ました」
「珍しいな。で、今度は何だ」
湊は紙を作業台に置いた。昨日まで、リールが次に直そうとしていた道が書かれていた。
「オルメイさんじゃなくても、道を直せるようにできませんか」
「喧嘩売りに来たなら帰れ」
返事が早すぎて、湊も自分の言い方が悪かったことにすぐ気づいた。
「違います。オルメイさんと同じことを、誰でもできるようにしたいんじゃないです。少し壊れるたびにオルメイさんが来るまで何もできないとか、道が欲しい人が順番を待つしかないのを、少し変えられないかなって」
「だったら最初からそう言え。俺の仕事を何年やってきたと思ってんだ」
オルメイは紙を引き寄せ、空いているところへ商会前でやった作業の順番を書き始めた。
「水をどこへ逃がすか、下の土がどこまで弱ってるか、何をどれだけ入れるか。そこを決めるのは、見りゃ誰でも分かる仕事じゃねえ」
「そこはオルメイさんみたいな人が見る」
「みたいな、じゃねえ。分かる奴が見るんだ。そのあとで、決めたところまで掘る、必要な石を運ぶ、言われたとおり戻す。そこまで俺が全部やる必要はねえ」
「じゃあ、誰でもできるところを増やせば」
「その言い方をやめろって言ってんだ。誰でもできるんじゃねえ。俺がやらなくてもいい仕事を分けるんだ」
湊は書き足された順番を追い、掘ることや材料を運ぶことだけでも人手がかなり要ると分かった。
「こういうところ、魔法を使ったら早くできませんか。全部じゃなくて、人の手だと時間がかかるところだけ」
「属性が合えば、早くできる作業はあるだろうな。ただ、魔法が使えるから道まで分かると思うなよ。でかい槌を持っただけで職人になれるわけじゃねえのと同じだ」
「だったら、魔法が使える人がいるところは、その人にも手伝ってもらえますよね」
判断する者と、決められた作業をする者を分けるなら、魔法も後者へ入れればいい。
「使える奴は限られるし、同じ属性でも出せる力は違う。何度でも使えるわけでもねえぞ。早いからって、最初から一人分を丸ごと魔法で数えるな」
オルメイが気にしているのは、魔法を使うことそのものではない。使える人がいる前提で仕事を組むことだ。
「魔法がなくても作れるやり方は残す。そのうえで、使える人がいるときは早くするなら?」
「それなら考えられる。どの作業を縮められるかは、使う奴と魔法を見てからだ。最初から全部同じにはできねえ」
紙には、オルメイが決める仕事のあとに、ほかの者へ渡せる作業が続いていた。
全部を一人へ集めなくていい。それなら、順番を待つしかなかった人も減らせる。
「じゃあ、これ、もう少し考えてみてもいいですか」
「勝手に誰でもできる道とか呼ばねえならな」
「呼びませんって」
紙の空いていたところは、オルメイの字で半分ほど埋まっていた。
* * *
湊が商館へ戻ると、リールは朝と同じ机で荷の記録を確認していた。オルメイの判断を残したまま、そのあとの作業なら別の人へ渡せるところまで話した。
「そこまでは分かるわ。オルメイがやらなくていい仕事を分けるなら、人手も増やせるでしょうね」
「それと、魔法です」
湊は紙を開いたまま、その先を続けた。
「属性が合う人なら、時間がかかる作業を短くできるところもあるって。魔法がなくても作れるようにはして、使える人がいるところだけ早くできれば――」
「魔法を入れるの?」
湊は、魔法がなくても作れる形は残し、属性が合う者がいる場所だけ作業を早める案だと伝えた。
「私は、そのやり方を商会では使わないわ。誰を連れてくるかで、終わる日が変わる仕事なんて扱いにくいもの。人が替わっても同じように回せる形じゃないと、商会の仕事にはしないの」
湊は手元の紙を見る。オルメイと決めたのは、魔法がなくても作れる手順を残すことだった。使える人がいれば早くなる。でも、いなければ作れないわけじゃない。
だったら、商会の仕事にしなくてもいいんじゃないか。
「でも、道を欲しい人が、リールさんか監察の人に順番を決めてもらうまで待たなくてよくなるかもしれません」
「待たなくていい人が増えるだけでしょう。近くに使える人がいなければ、結局そこで止まるわ」
それは分かる。全員を助けられる方法ではない。でも、助けられる人まで同じ順番へ戻す必要があるだろうか。
「それでも、できる人が増えるなら意味はあると思います。魔法を使える人に、使わないでくれって言うのも違うと思うんです」
「私は魔法が嫌いなの。昨日まで必要だった仕事が、魔法使いが一人来ただけで要らなくなる。何年かけて覚えたかも、どれだけ真面目に続けたかも関係ない。私は、あれを便利だとは思えないの」
それでも、魔法を使わないとは言えない。
道を直したい人がいて、使える力を持つ人もいる。その二人をつなぐ方法まで捨てる理由は見つからなかった。
「俺は、もう少しオルメイさんとやってみたいです」
「そうすればいいわ。あなたがやることまで止めるつもりはない。ただ、商会では使わない。それだけ」
湊は持っていた紙を差し出した。
「じゃあ、これはリールさんに」
「その紙は、あなたが持っていて」
「元はリールさんが使ってた紙ですよ」
「今そこに書いてあるのは、あなたとオルメイが決めたやり方でしょう。私が使わないものを商会へ置いておく必要はないわ」
湊は紙を持ったまま、商館を出た。




