第14話 三つ葉のない帳簿
朝の鐘が鳴る前、シェナは商業ギルドの受付脇にある席に座った。取引台の帳簿からは、昨日まであった三つ葉が消えていた。
木札を持ってきた男には帳簿どおり銅貨が渡され、ガランの木箱も枚数を数えただけで精算まで終わった。
ここまで、商館への問い合わせは一度もない。
昼の鐘を過ぎてから、川向こうの洗濯場で働く女が受付へ来た。ノノへ名を伝えたあと、新しい求職票を取らずに尋ねた。
「前に書いた求職票の続きは、ここでできますか」
チコが取り出したのは、昨日、商館で途中まで受け付けた求職票だった。
「うん、大丈夫だよ! こちらで続きから受け付けまーす。えーっと、あと寝床だけだよね。必要?」
「いえ、家があります。昼の鐘より前、遅くても二つ目の鐘までに終わる仕事なら、朝から働けます」
ノノは空欄を埋め、求人票の束から染物屋の一枚を選んだ。朝のうちに水桶を運び、布を広げ、二つ目の鐘までに作業場を空ける仕事で、寝床は出ない。
「洗濯場とは運ぶものが違いますが、水桶と濡れた布を扱います。試すのは半日で、朝から二つ目の鐘までです」
「二つ目の鐘で、本当に帰れますか」
「求人票には、そこまでと明記されています。継続して勤務する場合も、稼働時刻は変わり――」
横からチコの声が割り込む。
「うんうん、そこ気になるよねー。仕事ってさー、この鐘が鳴ったら終わるって書いてても帰れないときあるし」
ノノが眉を寄せて、隣のチコを見る。
「……ですので、この紹介では二つ目の鐘までです。条件が変わる場合は、別の条件として確認します」
「……明日から働けるなら、今日のうちに洗濯場へ辞めると伝えます」
「辞める前に、一日だけ休める日はありますか」
「明日なら、代わってもらえます」
「では、辞めると伝えるのは待ってください。明日の半日だけ試して、染物屋で続けて働くことが決まってからで間に合います」
「向こうに断られたら?」
「その紹介はそこで終了します。洗濯場を辞めていなければ、翌日は今の仕事へ戻れます」
女が仕事を受けると、ノノは染物屋へ確認を取り、商業ギルドの印を押した紹介状を渡した。
シェナは昨日の求職票に、再開した日付と紹介状の番号を書き足した。
* * *
夕方、呼び出しを受けたリールが商業ギルドへ着くと、チコが最後の帳簿を閉じるところだった。長机には、昼に再開された求職票と染物屋の紹介状の控えが残っている。
リールは換金帳には手を伸ばさず、求職票を受け取る。換金の数字は後でいい。昨日止まった一件が、そのまま続けられたか。
シェナが、まだ使っていない求人票をその横へ置く。
「問題は次です。今後持ち込まれる求人票まで、この用紙にそろえるかは決めていません」
チコが口を挟む。
「三つ葉も、商会名も入れないままにするわけ?」
メルドが答えた。
「商業ギルドが受け付ける書類です。必要なのは店の名と、求人の条件です」
「ねえ、商会に入ってない店が別の紙で持ち込んできたらさ、アタシらがこれに書き直すわけ? ……ぶっちゃけ、めんどくね?」
商館から出す求人も、商業ギルドの用紙に合わせればいい。けれど、それなら、わざわざ商会の名前を外した意味は――
いいえ、違うわ。
名前がないなら、どちらの用紙でもない。
リールは染物屋の求人票と、新しい用紙を重ねる。
「書き直すくらいなら、商館から出す求人もこれにそろえます。加盟していない店にも、最初から同じ用紙を渡せば済みます」
「……え、ちょっとちょっとリールさん! 待って待って。商会の名前、外したんだよね? なのに、リールさんからこっちに合わせんの!?」
「ええ」
「いや、『ええ』じゃなくてさ。普通、逆じゃない?」
逆に見える。けれど、名前のない用紙に、こちらも向こうもないわ。
「先輩、止めなくていいんですか? このままだと、商会だけじゃなくて、加盟していない店まで同じ用紙を使い始めますよ」
「そのために商会の名前を外したんでしょう」
「……そこまでやるとは思ってませんでしたけど」
「私もです」
メルドがリールへ向き直った。
「明日から、その形で受け付けてください」
リールはその返答に言葉を足さず、染物屋の求人票を長机へ戻した。
* * *
数日後、移管後の受付記録を確かめにメルドが商業ギルドへ来たとき、三つ葉のない求人票が商会へ加盟していないパン屋から届いた。商業ギルドの受付で受け取った用紙に、店主が必要な条件を埋めて戻したものだった。
ノノは受付帳を開き、前日の続きの番号を紹介状へ書き入れる。リール商会への加盟を尋ねる声はない。
メルドは加盟店の名簿を開いた。
パン屋の名はない。
名簿を閉じても、求人票はほかの店から届いた用紙と同じ束になっていた。
三つ葉のない帳簿の次の行には、商会へ加盟していないパン屋の印が押されていた。
第一章「三つ葉の商会」はここまでです。
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