第10話 開いたままの扉
三日後の朝、鍛冶屋からテオの剣が戻ってきた。
テオが布を解き、鞘から半ばまで抜く。欠けていた刃は磨き直され、柄を振っても緩みはない。湊が作業台の向こうから覗くと、テオは剣を収めた。
「鞘だけじゃなくなりましたね」
「そこを喜ぶのかよ。まあ、これで依頼を受けられる」
テオは剣を腰へ戻し、そのまま帳面を開いていたリールの前へ立った。
「剣が戻った。今日でここを辞める」
「今すぐ仕事を終えるの。それとも、今日の鐘まで?」
「仕込みの途中で抜けたら、残った連中が困るだろ。今日までは働く」
作業台の向こうから、湊が尋ねた。
「次の宿は、もう決まっているんですか」
「いや、今夜探す。見つからなければ、ギルドの廊下か馬小屋だ」
「明日の朝までに部屋を空けるために?」
「そういう契約だろ」
湊は、退職日を書き込もうとしたリールへ向き直った。
「ここまで働いた人を、辞めた次の朝に出す必要はないでしょう」
そこへ、木札の発行記録を受け取りに来たメルドとシェナが入ってきた。メルドの目が、テオの腰へ戻った剣から、リールの前で開いた退職欄へ移った。
「では、退職の手続きも確認させてください」
「賃金を減らさないなら、好きに見ろ」
空いている部屋はある。テオを一晩残せば、次の働き手を入れるのが一日遅れる。それだけなら、追い出す理由にはならない。
「テオ。宿が見つからなかったら、明日の朝も部屋は使っていいわ。移れる朝に鍵を返して」
「いいのか?」
「馬小屋で寝るために仕事を辞めるなら、何のための退職なのよ」
テオが口を開くより先に、シェナが契約書から顔を上げた。
「でも、それを全員に認めるなら、空いた部屋へすぐ次の方を入れられなくなります」
「ええ。辞めた日に次を入れるのはやめます」
シェナはもう一度、テオの契約書を見た。
「……テオさんだけ、ではないんですね」
「ええ。今いる人も、これから入る人も同じです」
「退職理由も、商会で記録しますか」
辞める理由まで、商会のものにする必要はない。
「いいえ。精算と鍵の返却だけ分かれば十分です」
* * *
仕事を終える鐘が鳴ると、テオは前掛けを外し、担当札と一緒にリールへ返した。途中で引き継ぐ作業は残っていない。
リールが今日までの賃金を渡すと、テオは手の中の硬貨を見た。
「今日で辞めても、今日の分は全部か」
「今日の鐘まで働いたでしょう。減らす理由がないわ」
テオは袋から使い残した木札を取り出した。
「仕事を辞めても、こいつは使えるんだな」
「ええ。辞めても使えるわ」
テオが鍵を出した。
退職日と、部屋を出る日は同じでなくていい。
「それはまだ持っていて。宿へ移る朝に返して」
「辞めたあとも、ここに戻っていいのか」
「そのための鍵でしょう。ただし、工房の仕事には入らないで」
リールは同じ内容を、働く時間や賃金を書いた紙の隣へ掲げた。テオはそのまま、冒険者向けの宿と翌日の依頼を探しに出ていった。
工房の仕事が終わってしばらくした頃、剣を腰に下げたテオが戻ってきた。
「宿は見つかった。入れるのは明日からだ」
前掛けも担当札も、もうテオの身にはない。そのまま仕事場へは戻らず、鍵を持って二階へ上がっていった。
* * *
翌朝、階段を下りてきたテオは、剣だけでなく寝具まで抱えていた。リールの前まで来ると、鍵を差し出す。
隣にいた湊が、テオへ声をかけた。
「もう戻らないんですか」
「冒険者で食えなくなったら、また働かせてくれ」
「そのとき空きがあればね」
テオは開いた入口から通りへ出ていった。入れ替わるように、扉の脇で掲示を読んでいた男が近づいてきた。
「今出ていった人、本当に辞めたのか」
「はい。剣が直ったので、冒険者へ戻りました」
湊が答えた。
「入ってから出られない仕事じゃないなら、応募したい」
掲示は昨日から同じ場所にあった。それでも男は、テオが本当に出ていくのを見てから応募した。後ろで掲示を読んでいた女も、空いた仕事へ応募したいと言った。
辞められると書いてあるだけでは、足りなかったらしい。リールは応募を希望する者へ、名前とできる仕事を尋ねた。
出るために開けておいた扉の前へ、入りたい者が並んでいた。




