第9話 朝までに全部
報告が届くたび、三つ葉の木札の行き先が増えている。
最初はガラン食堂だけだったものが、今ではパン屋や野菜売りの箱にも入る。
期限もなく、誰が最初に銅貨を預けた木札なのかも、もう追えない。
その朝、商館の取引台へ置かれた帳簿には、まだ戻っていない木札が二百四十枚と記されていた。
リールが取引台の下から袋を出すと、中の硬貨が重く鳴った。
シェナは帳簿と中身を見比べ、メルドへ顔を上げた。
「合っています」
メルドは帳簿の数字へ目を戻した。
「これが全部、今日戻ってきても返せますか」
「ええ、返せます」
「では、確かめます。朝まで新しい木札は出さないでください。木札を扱っている店にも、商館へ持ってくるよう知らせてください」
「戻らなかった木札は?」
「その分の銅貨が残っていれば構いません」
リールは入口に、『新しい木札は発行しません』と書いた紙を貼った。
* * *
昼前から、木札を持った者が商館へ戻り始めた。
預かり金と売上箱は、取引台の両端へ離して置かせた。どちらに手を伸ばしたかは、それだけで分かる。
最初にまとまった木札を持ち込んだのは、野菜売りだった。
「なぁ、明日から使えなくなるのか?」
「いいえ。監察局の確認が終われば、また使えます」
湊は木札を一枚手に取った。
「これ、食堂で使った木札ですか?」
「そこまでは知らんぞ。俺は客から受け取っただけだ」
野菜売りは受け取った銅貨を確かめて帰った。
どこを通った木札でも、銅貨へ戻せる。それでは止める理由にならない。
縄を売る男も木札を持ってきたが、そのうち一枚を取引台へ置かなかった。
「明日の昼に妻が使うんだ。戻さなくても、あとで食事には替えられるんだろう?」
「ええ。また後で使えます」
「なら、これは持って帰るぞ」
男は木札を一枚握ったまま帰った。預かり金は動かない。
夕方になると賃金の支払いが始まり、豆と肉の代金も出ていく。それでも、リールの手は預かり金へ伸びない。
一枚でも足りなければ、それで終わる。
「……食券のつもりだったのに。もう、昼飯を食べたかどうか、誰も気にしてないですね」
「どこで使われても、同じ木札として返しているからよ」
夜になっても商館の扉は閉じなかった。
仕事を終えた者や、市場で木札を受け取った店主が、まだ木札を持ってくる。
夜明け前、夜警の男が木札を持ってきた。
「昼に使うつもりだったんですが、交代が来なくて……今からでも返してもらえますか」
「ええ、問題ないわ」
夜警が帰っても、まだ戻らない木札はあった。その分の銅貨も残っている。賃金も食材代も未払いはない。
結局、どこにも穴は出なかった。
* * *
窓の外では、店を開ける音がし始めていた。
荷車が通りを抜け、向かいのパン屋が戸板を外している。昨日までなら、その店の箱にも三つ葉の木札が入っていた。
朝の鐘が鳴った。
「……結局、何も出ませんでしたね」
「困りました。不正なら、ここで止められた」
不正はない。だから止められない。
だが、このまま放っておけば、銅貨に戻せるからこそ木札は信用され、その信用が広がるほど銅貨へ戻す必要がなくなる。
パンも野菜も木札で買えるなら、交換のたびに銅貨を挟む理由はない。今は食券一枚でも、そのうち木札だけで用が済む。
なら、今のうちに線を引く。
「運用を禁止する理由はありません。ただし、条件を加えます」
リールがメルドを見る。
「木札と交換する銅貨は、今までどおり売上とは分けてください」
「ええ、そこは変えません」
「それから、賃金の代わりに木札を渡さないこと」
「賃金に使うつもりはありませんけど」
「今は、でしょう。木札がもっと広がったあともです」
「……賃金は銅貨で払う。木札を受け取るかどうかは、本人に任せる。それなら?」
「構いません」
「発行数と換金数も、今後は監察局へ報告してください」
「誰が使ったかまでは?」
「そこまでは必要ありません。発行した数と、銅貨へ戻した数だけで構いません」
「なら、今の帳簿で出せます」
メルドは新しい紙を一枚取った。
「もう一つ、監察局から警告文を出します。木札を交換する者が必ず読める場所へ掲示してください」
メルドが書いた警告文は、木札を交換する取引台の真上へ掲げられた。
『王国は、三つ葉の木札を王国貨幣とは認めず、その価値を保証しない』
警告文の下には、メルドの署名と王国監察局の銀印がある。
翌朝、メルドが商館へ来たときには、開店前から十人以上が並んでいた。前日に木札を換金した市場の商人も、三つ葉の食堂を利用する者も、手に銅貨を持っている。
「保証しないって書いてあるぞ」
「でも昨日、監察局が朝まで見てたじゃないか」
警告文を読んで列を離れる者はいなかった。リールが扉を開けると、列はそのまま商館の中へ進んだ。
警告文の真下で、木札がまた人の手へ渡っていく。




