EPILOGUE:ずっとキライでいてくださいね♡
「っつーわけで、固定の長期任務持ちのヤツ以外は一旦休暇な」
アルおじからそんな通達があったのは、大規模な人身売買ルートの摘発を終えてから数日後のことだった。
ベータさんに「休暇ではなく追加の指示が降りるまでの待機だ」なんて訂正されていたけど、わたしとしても実質"休み"で間違いないと思う。
なんてったって、わたしとF様のペアに百合営業の絡まない任務が回されることって少ないし。
後処理とかただの監視とか、そういういかにも影らしいお仕事って本当に初期の頃しかしたことないんだよね。
集められていた手隙の影たちもまばらに帰っていき、人の少なくなった室内でわたしはF様に何の気なしに話しかけた。
「Fさまぁ。お休みなにします? 変装して街とか――」
「黙りなさい。お前と違ってわたくしには成すべきことがいくらでもあるのよ。街に出たいのなら勝手に一人で行けばいいわ」
けれど、いつもよりも機嫌の悪そうなF様の塩対応に遮られてしまった。
推しに冷たくされるのには慣れているけど、今日はどうしてこんなにツンツンモードなのか、思い当たる節が全くない。
「え……。また魔法の改編とか研鑽ですか……? たまには少しくらい遊んでもいいと思うんですけど」
「黙れと言ったでしょう。……ちょっとアルファ! 話があると言っていたこと、忘れてないでしょうね」
「あ? あー、おう。顔見ただけで何の話か分かるわ……めんどくせぇなあ……」
めげずに話しかけてみるけど、やっぱりピシャリと跳ね除けられた上に、F様はアルおじと何か約束していたみたいでそのまま連れ立って部屋を移動してしまった。
「うえっ……。なんでぇぇ……?」
「振られてやんの。Mまたなんかしたの? ホント懲りないよねぇ」
「っ、今回は! 何もしてないですっ……!」
誰かの茶化す声に反論しつつ、今はこれ以上イジられたくなくて、わたしは行くあてもなく部屋を後にした。
(アルおじとお話しだなんて一体なんの話なんだろ……。もしかして、またペア解消のお願い、とか……?)
そんなことを考えてしまったら、もうそうとしか思えなくて。
重苦しいため息を吐きながら、わたしは一度自分の部屋に帰った。
「初めて名前で呼んでくれたし……だいぶ仲良くなれた気がしてたけど……。やっぱりわたしってFさまに嫌われてるんだよね……」
別に好きになって欲しいなんて贅沢は言わないけど、一度得てしまった『推しの相棒』というポジションを失うというのは、あまりにも辛くて受け入れがたい。
そもそもが前世でどれだけ徳を積んだのかっていうくらいの幸運でしかなかったんだけど、過ぎた宝でも今さら取り上げられてしまうのは耐えがたい苦痛なわけですよ……。
「うっ…………なんて欲深いオタク……! いいかげん身の程を知るべきなのでは……!?」
前世で――必ずしも"正しいこと"をしたからといって、それが正解になるとは限らないと知ったあのとき。
正義が人を傷つけうると知って、なにをするのも怖くなってしまったわたしにとって。
断罪された後ですら『いつだって自分自身が正しくて、悪いのは全て愚かな他人』という軸がブレることのなかったゲームの悪役令嬢様の圧倒的な傲慢さは、あまりにも眩しかった。
暗部に入ってからのわたしは、勝手に心を救われて敬愛している推しに対して、あまりにも分不相応に距離が近過ぎただけ……。
「それだけなんだよ……」
ぽつりと呟くと、小さな声だったのに部屋が静かすぎてやけに響いた気がした。
「街に行くんじゃなかったの? ……なによこの部屋。お前のせいでジメジメして不快だわ」
「ほぎゃっ! えっ、Fさま!? 早かったですね……」
音もなくF様が部屋に入ってきて、驚き過ぎて少し飛び上がってしまった。
確かにわたしもジメッとしてたけど、部屋の湿度が高いのは旧型の空調魔道具と季節のせいだと思うんだけどなぁ。
「そうね。わたくしにとっては無駄な時間でしかなかったわ」
するりとわたしの前を横切って、F様は自分のスペースにある作業机に向かうと、公爵家からくすねてきたお高い魔道具のランプを起動した。
「……えっと。またペア解消のおはなし、断られたんです……?」
「はぁ? …………フン。まあそんなところね」
一気に明るくなった室内で、魔法研究用の資料を広げながら、F様はこちらを見向きもせずにそう言った。
こっそりと後ろから覗き込むと、古代語で書かれた禁術の本を解読しているようだった。
「Fさま……。また新しい禁術覚えるつもりなんですか? ご実家や元取り巻きさんたちへのイヤガラセに禁術使うのって、さすがに過激がすぎると思うんですが」
真剣な眼差しでストイックに研鑽に励む姿は、本当に心底かっこよくて素敵なんだけど。
任務中に悪党たちに行使するだけならまだしも、F様の場合は普通に私怨の憂さ晴らしにも使うからヒヤヒヤしちゃう。
「うるさいわね。適度に弱体化させているし、長くても数日で解呪してやってるんだから問題ないでしょう? 生温いくらいだわ」
「《解呪》かけてるのわたしですけどね?」
「そうね。お前が勝手に始めたことよね。わたくしは別に、あの者たちが神官の手配に手間取って長く苦しんでいてもいい気味としか思っていないのだけど?」
歪みすぎて歪みねえF様まじリスペクト。
でも、上からお叱りが来ないのが不思議なレベルの暴挙だと思います。
「Fさま、本当に執念深いですよねぇ……」
「何とでも言えばいいわ。わたくしは誰のことも許していないの。わたくしを守れなかったオルティス公爵家の人間も、わたくしにすり寄っていたくせに手のひらを返した女たちとその家門も。当然お前のこともね」
ちらりと目線だけを向けられて、凍てつくような冷たさと薄れることのない憎悪の宿った瞳に、小さく息を飲む。
苛烈で自己愛の強いF様のことが狂おしいほどに好きだけど、変わらない熱が嬉しくもあるのにどこか苦しい気持ちになるのはどうしてなんだろう。
「そんなにイヤなら、本当にコンビ変えてもらいます……? Fさまだけじゃなく、わたしからも…………二人一緒にお願いすれば、さすがにアルファだって真剣に考えてくれるんじゃないですかね……」
「…………は?」
低い低い声を漏らして、F様は椅子から立ち上がる。
「っ、どっ……どうされました……?」
「お前から、ペア解消を願い出る? ですって……?」
「ひぇ……」
乱雑に襟首を掴み上げられて、つま先立ちになる。
息苦しさは食い込んだ黒装束のせいなのか、F様から発せられる怒りのオーラのせいなのか判別がつかなかった。
「な、な…………なんで怒ってるんですか……? Fさまがお望みなんですよね? い、いつもペア解消したがってるじゃないですか……」
ギリ……と、衣服を掴むF様のこぶしと噛み締めた奥歯から軋むような音がする。
ここまでお怒りなのは、運命が変わった断罪劇の最中にわたしに扇子を全力投球してきたあの時以来、見たことがなかった。
……避けたんだけど。
そのせいで扇子が王子の顔面にクリーンヒットして、王族への暴行でF様が死罪になったんだけど。
「わたくしを殺したのは殿下じゃなくてお前なのよ」
「あ……え? は、はい……」
確かにわたしが避けたりしなければ、あんなことにはならなかったとは思うけど。
F様が骨の一本や二本はへし折るつもりで扇子なんか投げなきゃ、わたしだってビンタくらいなら甘んじて受けるつもりでいたのに。
(……それにしても突然そんな話を持ち出すなんて、F様はどうしちゃったんだろう? アレはわたしだけの責任じゃないと思うけど、つい頷いちゃった……)
一触即発じみた空気の中。
本気の怒りを向けられていることに、呼吸は浅くなり、ドクドクと嫌な音を立てて心臓が暴れていた。
「フレイヤさま……」
「っ、そうよ! わたくしの魂はいつまでもフレイヤ・オルティスのまま……。けれどフレイヤ・オルティスは死んでしまった! その名を名乗ることも許されず、世間では正しく死んでいなければいけないのよ……!」
「あ゙っ……う……」
掴み上げていた手を思い切り振り下ろされて、わたしは床に叩きつけられた。
思わず顔を顰めたのは、打ち付けられた身体よりも胸の方がずっと痛かったからだった。
「…………この世でただひとり。お前を除けば、もう誰も、わたくしがわたくしだったことを知る者は、いないの」
「あ、アルファだって……! 一応わたしたちの素性は知っていますよね……?」
温度のない虚無のような顔を見上げながら苦し紛れにそう言うと、F様は眉をぎゅっと寄せて忌々しそうに吐き捨てた。
「あの男は、罪人として捕らえられたわたくし以外を知る者ではないじゃない」
「…………確かに、そうかも……です」
だったら本当に?
わたしだけが、目の前のこの方が『フレイヤ様』であることを認識できる、唯一の存在だってことになるの……?
(そして、その逆も……)
地べたにへたり込んで動けないでいるわたしと目線を合わせるように、F様は片膝をついてしゃがみ込んだ。
「お前を許す日なんて一生来ないけれど……」
「あ……わ…………」
顎を掴まれて、F様の青い瞳が真正面からわたしを射抜く。
さっきまでの虚無とは程遠い、なにもかもを焼き尽くすみたいな憎悪に燃えた、わたしの愛した世界を呪う悪役令嬢そのものの眼差しで。
(……やっぱりわたし、フレイヤさまの自分が一番正しいと信じて疑わない精神が、本当に好き……)
たとえ真っ当な人からは地獄の業火に見えたとしても、暗闇を照らしてくれたフレイヤ様の炎はわたしにとっては太陽みたいなものだったから。
この火が消えないままでいてくれるのは、恨みの対象としてわたしがいるからだなんて。
そんなの幸福がすぎて破裂してしまいそうだった。
「わたくしがわたくしとして生きた誇りを忘れないために、お前は死ぬまでわたくしに呪われていなければいけないのよ」
「はい……♡」
きっといま、わたしは恍惚に潤んだ瞳をしていると思う。
「逃げようだなんて許さないわ」
わたしの方から逃げるだなんて、あるはずないのに。
ペアを変えたいと言っていたのが本心じゃないと分かった今、二度とこの場所を離れる決心なんかしない。
「一生わたしを呪ってください♡ ずっと変わらないフレイヤさまのまま、わたしをキライでいるか……ころっと反転して好きになってください♡」
灯りに吸い寄せられる羽虫のように、F様の熱にあてられてつい余計な願望までダダ漏れにしてしまい。
F様は"気持ち悪い"と言わんばかりの顔になると、わたしの顎から手を離して少し身を引いた。
「好きになるだなんてあり得ないわ。ずっと嫌いよ!」
「わたしは大好きです♡」
間髪入れずに返すと、F様は立ち上がってわたしを上から見下ろしながら深く息を吸った。
「わたくしはお前のことなんて大っっっ嫌いなのよ……!」
窓が揺れたと錯覚しそうな大声で拒絶されたけれど、わたしの心はもう一ミリだって傷付かなかった。
「えへ♡ えへへ……じゃあ、ずっとキライでいてくださいね♡」
「なに嬉しそうに笑ってるのよ……。本当に気持ちの悪い女ね……」
(だってね、フレイヤさま。好きの反対は、無関心なんですよ……)
歪に濁った恨みつらみでも、ここまで特大の感情を向けてくれているなんて、知らなかったんだもん。
あなたがあなたのままでいるためにわたしを必要としてくれているのなら、ずっと嫌われたままでいたいです。
……そんなふうに思っていたけれど。
後日アルおじとF様がなにを話していたのか聞いたときに、もしかしてF様の中でわたしの存在が実は『好き』に片足突っ込みかけているのでは? なんて。
解釈違いを起こしそうになってしまったのは、ここだけのおはなし。




