終章~聖地ハーエル~
「カルアさま、こちらもお願いします!」
「はい、今行きます」
聖地ハーエルは、今日も賑やかな声が飛び交っていた。
カルアは、拠点として聖地ハーエルを選んだのだった。今の聖地は、暴徒と化した民に破壊されたが、カルアが再建したのだった。最もナディアのいたころのように豪華とはいえず、寂れた印象のほうが強い。もう教会としての役目は果たしていないが、代わりに悩める者が多く集まるようになった。
今、この聖地には、ナディア教の教徒だったものが集まっている。教徒だった者は迫害され、大半の国が追い出したのだ。
カルアは、暗示にかかっていた彼らを少しずつナディアの洗脳から解放していった。アレイにその方法を聞き、広めたのだ。それを聞きつけてか、今では多くの者が訪れるようになっていた。
一時は、ナディア教への批判は止まなかったが、時が過ぎればナディア教の教えを恋しがる教徒も多くいた。それがカルアにはなによりも嬉しかった。以前よりずっと肩身が狭くなってしまった教徒であったが、それでも公然と教徒であると認める者がまだいるのだ。
カルアは毎日忙しく働いた。ナディアの死から二年という月日が流れていたのだった。
その間、教徒や伝導師が普通の生活を送れるよう近隣の国に働きかけていた。それが功を奏してか、徐々にだが受け入れてよいと申し出てくれる国も増えてきた。
人を殺していた伝導師の処遇を巡って意見がわかれたときもあったが、彼らもまたナディアの被害者ということで落ち着いた。
被害者であることを声高に主張したのは、なんとディエス司祭であった。聖ラザス教の信者や聖職者に呼びかけ、みなを説得してくれたのだ。もちろんセラフィックも後押しをしてくれたおかげでナディアのように処刑されることはなかったのだ。
伝導師の幾人かは罪の重さに耐えきれず自害して果てたが、大半はカルアを手伝いたいと申し出ていた。洗脳を解かれても聖女ナディアへの敬愛の気持ちは消えていなかったのだ。
彼らの多くは、戒律に反したからといって殺すつもりはないようだったが、もう一度ナディア教を布教するのを夢見ているらしい。
「ふんっ。小娘には負けぬぞ」
ナディア教が衰退し、聖ラザス教が命を吹き返してきれているようだが、その一番の功労者であるディアス司祭は、本来なら教皇になるべき人物なのに、教皇になったら自由に動けないとみなを説き伏せ、司祭の地位に留まり、聖ラザス教会を広めることに尽力をつくしているようだ。
目下、関心はカルアのいる聖地にあるようで、よく訪れてはナディア教の教徒にラザスの素晴らしさを説いていた。彼らも興味を持ったのか、聖ラザスの信者は日々数を増やしているようだった。
「たとえ獣族の娘だろうと負けぬぞ!」
カルアは知らない。聖地に訪れる者の中には、カルアに心酔している者たちもいるということを。昔のナディアのように慈愛深い微笑みを浮かべるようになったカルアの中に新しい聖女の姿を見た教徒は、自然とこれまでと同じようにカルアを「さま」付けで呼び、変わらず伝導師として受け入れるのだった。
そしてまた、ディアス司祭もカルアに対抗して布教に力が入るのだったが、両者の関係はいたって良好だ。初めて会ったときの緊張感が嘘のように仲がよかった。
それは多分、ナディア教に代わり聖ラザス教が台頭するようになったからだろう。
あんなに恨んでいたナディアの伝導師や教徒をディアス司祭は公平に扱っていた。そしてそれは、現教皇に強い影響力を及ぼした。ディエス司祭の任命によって教皇になった者は、ディエス司祭の意向に逆らえないようだった。
「カルアさまぁ、お客様です!」
小さな女の子がカルアを呼びに来た。
それは、二年前の争いによって両親を奪われた孤児であった。カルアがすべてを失った五歳という年が同じこともあり、自分の過去が重なった。カルアはナディアによって救われたが、彼女にも自分がそういう存在になれればよいと思いこの子を育てる決意をしたのだ。
「ありがとう、エフェラ」
女の子の頭を撫でると彼女は嬉しそうに笑った。両親を失ってしばらくは無表情だったのが嘘のような明るい笑顔だった。
傷というのは、いつか癒えるのだろう。
カルアもナディアのことを思い出しても胸が痛まなくなっていた。それは多分悲しみが薄れたのではなく、死というものを受け入れるようになったからだろう。
「あのね、あのねっ、とってもかっこよかったのよ! ううん、きれいだったかも」
女の子ははしゃいだように言う。
「あら、素敵なお客様? まあ嬉しい。今度の使者の方は見目がいいのね」
カルアのもとにはたびたび、各国の使者が訪れるようになっていた。お客様というのもどこかの国の使者だろうと思って歩いていったカルアは、そこに忘れもしなかった青年が立っていることに気づいて呆然と呟いた。
「陛下……」
少し男らしくなっただろうか。背も伸び、体格がよくなった気がする。
「カルア」
けれど優しい声音や柔らかな美しい顔立ちは変わらない。
華やかさが増したような美貌を前に、カルアは震えた。
「どう、して……」
「ねえ、カルア。僕は考えたんだ。最初はカルアを迎えられるよう環境を整えようと思ったんだけれど、君はちっとも僕を恋しがってくれないだろ? 寂しいのは僕ばかり。だったらいっそ自分から会いにいけばいいとね。王だから身動きがとれないのならば、そんな重りはいらないと思わない?」
「! まさか……!」
「ちょうどよいことに、血筋には問題があるけれど優秀な兄上と血筋は申し分のない愚かな弟が僕にはいる。兄弟というのは支え合うものだろ?」
くすりと笑ったセラフィックが、彼の突飛な発想に呆気にとられているカルアに近づく。
「僕がただのセラフィックになっても君のそばにいてもいいだろうか?」
一瞬、彼の言葉が理解できないように固まっていたカルアは、次の瞬間、かぁっと顔を赤らめた。
「それとももうほかにいい人ができてしまった? そんな報告はディアスとアレイの二人からは聞いていないのだけれど」
どうやらディアスたちとセラフィックの交流は今でも密に続いているらしい。二人によって、カルアの行動はすべてセラフィックに筒抜けだったのだろう。
「……」
答えなければとわかっているのに、なぜか声が出なかった。気恥ずかしくて、髪の毛もぼさぼさだったことを思い出したのだ。
セラフィックのことはずっと想っていた。
離れてみてようやくセラフィックに対する感情に気づいたのだ。肉親に対する愛情とはまったく違う、もっと熱く……そして甘い想い。
この二年間、カルアに言い寄ってくる男は数多いたけれど、カルアの心に住んでいたのはセラフィックただ一人であった。
それでもこの想いは叶わないと思っていた。
カルアはこの聖地で生涯を迎える覚悟であったのだ。
けれどセラフィックは王の座を捨ててまでカルアのもとへ来てくれた。それを嬉しいと思わない女はいないだろう。
「陛下……」
「もう王ではないよ。セラフィックだ」
「セラフィック様……」
セラフィックはあかぎれだらけのカルアの手を大切そうに包むと口づけをした。
「!」
恥ずかしさと驚きで手を引っ込めようとしたカルアの手をセラフィックが力強く握った。
「答えを聞かせて? ひとりよがりだったら僕は弟よりも愚か者だね」
さすがに不安に思ったのか、困ったように首を傾げた。
「私は……」
カルアは真っ赤な顔のままゆっくりと口を開いた。
喉はカラカラで、使者相手に話しているほうがよほど楽だった。心臓が飛び出るんじゃないかというほど激しく鳴る。唇が触れた指先が酷く熱く、触れる温もりが体中に広がっていく。
まるで熱に浮かされているようだった。
「セラフィック様を、お、お慕いしております」
「カルア!」
答えを聞いた瞬間破顔したセラフィックは抱きついた。
刹那、周囲から歓声と拍手が響いた。
カルアとセラフィックの会話に耳をそばだてていたんだろう。祝福が広がる中、カルアに想いを寄せていたらしい男たちが泣いていた。
そして、セラフィックの後ろのほうでは存在を忘れられているダーガ補佐官が苦笑しながら、それでも嬉しそうに立っていた。そこにセラフィックの訪れを事前に知らされていたアレイとディアス司祭が近づいていった。
「ダーガ補佐官は、陛下のお供か?」
「これは、ディアス司祭とアレイ殿」
ダーガ補佐官は二人に挨拶した。
「王座を捨てるとは、陛下らしい」
愉快そうに笑ったディエス司祭とは対照的に、アレイとダーガ補佐官の顔色は悪かった。その場にいたダーガ補佐官はもとより、セラフィックの気性をだれよりも理解しているアレイは、そのときの情景が簡単に思い浮かんでしまったのだろう。
「ディエス司祭はその場にいなかったから笑えるんだ。恐ろしかったぞ! 陛下にだれも否と唱えられぬ迫力があったからな。……ディエス司祭が余計な進言をなさらなければっ」
「カルアを一生独身にさせておくのか? わたしはただカルアがいい男どもに言い寄られていると事実を語っただけだ。陛下が行動しなければなにも変わらないだろうからな。式はわたしが直々に執り行ってやろう」
にやにやと笑うディエス司祭は、ここ二年でずいぶんと俗世にまみれていた。司祭としての威厳はどこへいったのか、今のディエス司祭には、好々爺のような親しみやすさがあった。
「わたくしはカルアさまがどこへ行こうとカルアさまのおそばにおりますもの」
にこにこと楽しそうに言うアレイは、楽とはいいがたい聖地での暮らしも心地よさそうだった。
窮屈な城での生活よりも、のびのびと活気溢れる聖地での生活のほうが性に合っているのかもしれない。
「アレイさま! 聞きたいことがあるのですが」
「はい、今参ります。――それでは、失礼いたします」
優雅に頭を下げ、呼ばれたほうへと駆けていった。アレイもまた、カルアと同じように聖地の者から頼られている存在であった。
おのおの生活を楽しんでいる様子をみて、ダーガ補佐官はがっくりと項垂れた。貧乏くじを引くのはいつも彼であった。セラフィックの護衛というだけで、セラフィックに振り回されるのだ。
王を退いたといってもあの兄弟がこのま\ま大人しくしているわけはないだろう。近いうち必ずセラフィックは再び王となる。
それがわかっているからこそ、警備も万全でない聖地で、護衛という立場は重い任であった。もしセラフィックになにか遭ったのなら、ダーガ補佐官ひとりの首ではすまないだろう。
「まあまあ、今は祝福しようじゃないか」
ディアス司祭はダーガ補佐官の肩をポンと叩いた。
「未来の王と王妃のためにな!」
雲一つない空に、ディエス司祭の声が朗らかに響き渡った。
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