未知の力、未知の天恵
刃が到達する寸前、悪魔は僅かに体を傾けた。
本来ならば、なんの意味もない抵抗だ。
首を切り落とすはずの刃は、ほんの少しだけ狙いが逸れ、しかしその勢いは留まることなく、悪魔の体を深々と引き裂いた。
「これで……」
エミルがそうこぼした直後だった。
悪魔が勢いよく振り返り、自身の血に濡れた鉤爪を横薙ぎに振るう。
想定外の出来事にエミルは目を見開くが、地面から足が離れている状況での回避は不可能だった。
咄嗟に剣で防御をする。
だが、衝撃までは殺し切れず、向かいの壁まで吹き飛ばされた。
砂煙が上がり、どうなったか確認することはできない。
「エミルッ!」
『ヨソ見シテイル場合カ?』
突撃の事態に動揺する俺に、悪魔の攻撃が放たれる。
回避を試みるが、避け切れない。
反射的に剣で受け止めるが、最初に受けたときと比べて、明らかに力が増していた。
弾かれるように後ろへ跳び、なんとか距離を離す。
ジンジンと痺れる腕に力を込め、剣を落とすまいと強く握りしめた。
横目で、エミルが無事か確認する。
小さなクレーターのようになった壁、その下で倒れているのが目に入った。
どうやら死んではいないようだ。
事前に付与していた能力のおかげか、それとも追加で付与を行ったのか、どちらにしても無事ならよかった。
しかし意識を失っているようで、その場から動くことができる状態ではなさそうだ。
『人間ニシテハ中々ダッタガ、ヤハリ脆イナ』
悪魔の傷口から煙が上がり、裂かれた肉体を埋めるように魔力が湧き立つ。
それだけで、ヤツの身体は元通りになってしまった。
『後ハ、オマエダケダ』
「っ!」
悪魔はそう言うと、地を蹴った。
数十メートルはあった彼我の距離が一気に縮まり、そのまま鉤爪で薙ぎ払われる。
力が、速さが、一撃の重さが、これまでとは比較にならないほど向上していた。
腕が振るわれるたび空気が唸り、攻撃の余波だけで吹き飛ばされそうになる。
「チッ! 『クレイウォール』!」
攻撃をなんとか回避、続けざまに放たれた鉤爪に対しては土魔法で防御する。
生み出された土の壁はあっさり砕け散るが、勢いを削ぐことには成功した。
剣で受け止め、後ろへ飛び退く。
「どうする……考えろ、俺……」
激しく脈打つ心臓とは裏腹に、俺の思考は驚くほど冷静だった。
悪魔の力が増した原因は、間違いなくあの言葉だ。
『悪魔駆動』
スキルか魔法かは知らないが、身体強化系の効果があるのは確実だろう。
傷が治ったことを考えると、自己再生の効果もあるかもしれない。
問題は、なぜあのタイミングで使ったのか。
こちらの隙を突くためと考えるのが普通だが、そんなことをするくらいなら、最初から能力を使えばいいはずだ。
あれ程の力であれば、俺達二人を相手にしても圧倒できただろう。
あえてそれをしなかった……というよりも、出来なかったと考える方が自然だ。
発動に条件があるのか、魔力の消費が激しいのか。
後者だとすると、このまま耐えていれば、勝機はある。
『喰ラウガイイ!』
悪魔が放つ怒涛の連撃を、紙一重でかわし続ける。
見てからの回避はほぼ不可能だ。
直前の動作から、鉤爪が振るわれる場所を予測する。
さらに……
「『クレイショット』!」
拳サイズの岩を撃つことしかできない下位魔法だが、今はそれでいい。
『多重詠唱』で即座に魔法を複製。
宙に浮かんだ無数の魔方陣から、数十、数百の岩が悪魔に向けて降り注いだ。
『効カヌワ!』
やはり悪魔にはかすり傷一つつけられないが、狙いはそこではない。
『グッ! コレハ……』
炎魔法や風魔法とは違い、土魔法が生み出す土塊は質量を持っている。
相手に命中して少しすれば消滅してしまうが、それまでの間は確かに物質として存在し続ける。
ならば、たとえ魔法が効かない相手だとしても、大量の岩を押し付け続ければ動きを阻害することくらいのことはできる。
『小癪ナ!』
悪魔は岩の段幕を突き破り、こちらへ鉤爪を叩きつけた。
だが、先ほどより動きが鈍い。
後ろに移動して回避する。
「よし……!」
逃げに徹していれば、悪魔の攻撃にもかろうじて対処できる。
ひとまず窮地は脱したはずだ。
あとは、このまま耐久をしていれば……
『……ククク、ナカナカドウシテ。オマエハ厄介ダナ』
悪魔が再び笑みを浮かべた。
こちらに纏わり付くような、粘っこい、悪意に満ちた笑いだ。
ああいった笑顔を見せる手合は、大抵がろくでもないことを考えている。
アイツはそういう奴らの中でも特に悪辣なタイプだ。
あの笑みを二度も目にすれば、嫌でも理解できる。
「なにを考えている?」
悪魔に向けて問いかけた。
無視されるなら別にかまわない。
もし相手が会話に応じたのならば、時間稼ぎになる。
どちらにしてもマイナス方向に働くことはない。
『オマエハ強イ。コレマデ我が戦ッタ誰ヨリモ』
「そりゃどうも」
『オマエヲ殺スノハ、少々骨ガ折レソウダ』
「……なにが言いたい」
『オマエハ殺ス。ダガ……』
悪魔が、自身の背後を指差す。
その先には、地面に倒れ伏したエミルの姿があった。
『アノ小娘ヲ殺ス方ガ簡単ソウダナ』
「お前っ!」
『ククク、知ッテイルゾ。人間ハ、仲間ヲ守ルモノナノダロウ?』
悪魔は俺に背を向け、エミルの方へ歩き出す。
背を向けたといっても、こちらに対して隙が生まれたわけではない。
悪魔の背中からは、近づけば殺すという確かな殺気が放たれていた。
……最悪だ。
考えられる可能性の中でも、特に嫌なものを選ばれた。
あの悪魔の口振りからして以前も同じ手を使ったのだろうか。
ただ戦うのと、動けない仲間を守りながら戦うのでは難易度が桁違いだ。
退けば仲間に危険が及ぶ、という枷をかけられ、敵との距離を離す選択肢が制限される。
そして行動の制限は、そのまま敗北に直結する。
自由に動ける者と、相手の前から退くことができない者、どちらが有利かなど、子供でも理解できる。
「待て!」
助けようと思うが、体が動かない。
恐怖で身がすくんでいる、というのとは少し違う。
理性と感情は当然別物で、今の俺には理性の側がストップをかけていた。
頭の中の冷静な部分が、俺に語りかけてくるのだ。
『近づけば殺されるだけだ』
『むしろ見捨てれば、さらに時間が稼げるぞ』と。
「……違う」
呼吸が浅く、早くなる。
無意識に強く握った手から血がにじむ。
ここまで感情的になっているのは、彼女を助けられないかもしれない恐怖からか、動けない自分に対する怒りか。
どちらでもあるが、一番の要因は他にある。
……昔の出来事だ。
そう珍しいことでもない。
家屋が、村が焼け、魔物が人々を食い荒らす。
『魔獣暴走』と呼ばれる現象。
俺の故郷は、それに巻き込まれた。
暗い夜の空を、赤い光が照らしていた。
村を囲むように大量の魔物が押し寄せ、逃げ道はどこにもなかった。
敵の放つ魔法が家を砕き、燃やし、そこ逃げ出た村人に、魔物が群がる。
まさに、悪夢だった。
そんな中、俺の両親は魔物の包囲が比較的薄い箇所を強引に攻め、道を切り開いた。
元冒険者だったという両親の実力は相当なものだったが、それでも無傷というわけにもいかなかった。
『逃げて!』
少々子煩悩な部分はあったものの、別に不満があったわけではない。
いつも我が子のことを気に掛けていた。
……最期の瞬間まで、自分の命より、息子の命を優先した。
思えば、あの瞬間からだったかもしれない。
俺がことあるごとに、『死にたくない』と考えるようになったのは。
誰かの犠牲によって守られた自分の命が失われることが、堪らなく恐ろしかった。
バルゴス達からのひどい扱いに抗議しなかったことも、雑用に全力で取り組んでいたのも、全てはパーティー内で安心できるポジションを築きたかったからだ。
実力では劣るが、いないと困る。
そんなポジションを目指していた。
結局、そんな努力は無意味だったが。
今の状況は、あの日と似ていた。
目の前で魔物に襲われそうになっている人がいる。
助けようとすれば、自身に危険が及ぶだろう。
だが見捨てれば、むしろ自分の命を助ける結果となる。
【選ぶのだ】
突如、声が聞こえた。
『選択者』の声のようだが、あれとは違い、確かな自我のようなものを感じる。
……誰だ?
【選ぶがよい。己が命か、他者の命か】
声は答えず、ただ語りかけてくる。
俺の命か……他人の命……
【選択するのだ。汝が選択を私は照らそう】
その声は繰り返した。
自分か、他人か。
二つに一つ、どちらかを選ぶのだ、と。
俺の知らない『選択者』の機能か、それともただの幻聴か。
どちらでもいい。
俺の答えはすでに、決まっている。
悪魔の背中に向かって跳躍。
ヤツは、俺の行動を予知していたかのごとく振り返り、神速の一撃を放つ。
「『クレイウォール』!」
土の壁を生成、即座に蹴り、横に跳んだ。
まさか空中で回避されるとは思っていなかったのだろう。
悪魔の表情が驚愕に歪んだ。
跳んだ先にも再び土の壁を作り、跳び、さらに壁を蹴る。
ヤツの横を大回りし、前に回り込む。
ちょうど、悪魔とエミルを結んだ直線上に割り込んだ形だ。
『ヤハリ、仲間を助ケルカ』
当然だ。
出会ってからそう長いわけではないが、エミルは、バルゴス達よりずっと仲間だ。
【汝は、他者の命を選ぶのか】
それは違う。
他人を助けることと、自分の命を投げ出すことはイコールじゃない。
自分と他者、その両方を選び取る。
昔の俺なら不可能だったが、今の俺には、それを為せるだけの力がある……。
要は、エミルに手を出される前にヤツを倒せばいいのだ。
その可能性は、もう示されていた。
――あの悪魔のスキル、『悪魔駆動』を取得する!
【『悪魔駆動』はスキルポイントを6,000消費することで取得可能です】
……やはり、あの力の正体はスキルだったか。
スキルなら、『選択者』で取得できる。
スキルポイントを結構ごっそり持っていかれるが、今は別に構わない。
悪魔がスキルを発動する前の時点で、ヤツには力負けしていたのだ。
俺がスキルを取得しただけで優位に立てると思えないが、それでも多少は対抗できるようになるはず……
【……『悪魔駆動』の取得がキャンセルされ……した…………】
突然、声にノイズのようなものが混ざりだした。
……なんだ?
もしかして、スキルが取得できない?
一抹の不安が頭をよぎる。
ここまできて、そんなイレギュラーは望んでいない。
【私は、汝が選択を尊重する。両方を望むなら、それもよかろう】
またあの声だ。
やたら選択、選択、と口にするが、もしや『選択者』の機能の一つなのか?
「お前は……」
そう口にした瞬間、先ほどから聞こえていたノイズがピタリと止んだ。
【…………天恵:『悪竜駆動』を取得しました。残りスキルポイントは2,400です】
【汝は強欲だな。実に人間らしい】
最後に聞こえたその声は、どこか嬉しそうだった。




