迷宮の主
――そこは、重苦しい空気を纏っていた。
扉の向こうから漏れでる邪悪な魔力、だけではない。
何よりも、数十年もの間ずっと攻略されること無く、そこに有り続けたという存在感。
それは冒険者を拒む壁のようであり、挑戦者を求める門のようでもあった。
「なかなかに不気味ですね……」
「大丈夫、俺達なら勝てるはずだ」
不安がない、と言ったら嘘になる。
相手は未知の怪物だ。
それに対してこちらは男一人と少女一人。
普通なら勝利の可能性は無に等しい。
だが――
「そうです! 少し、剣を貸してください」
「構わないが、どうするんだ?」
彼女は、俺が手渡した剣の刀身を撫でる。
「『付与:堅牢』。これでしばらくは、この剣が折れることはないしょう! どんな化け物が相手でもへっちゃらです!」
自信に満ちた少女――エミルを見ていると、身体の芯から力が溢れてくるような、勇気をもらえるような気がするのだ。
これから臨む戦いが避けられないのなら、自分の気持ちはポジティブであるのに越したことはない。
俺とエミルは扉を開き、『迷宮主』の部屋に足を踏み入れた。
◇
その部屋の中は薄暗かった。
そこへ入った瞬間、冷たい空気が体を包む。
『……キタカ。我ガ迷宮ニ踏ミ入リシ愚カ者ヨ』
突如として聞こえた声は、部屋の中央から響いているようだった。
地の底から唸るような、低く重い声。
視線を向けると、そこには巨大な影がたたずんでいた。
3メートルはあるだろうか。
黒い肌に捻れた双角。
まさに悪魔と聞いて想像するであろう姿が、そこにはあった。
異質な点といえば、両腕にある長い鉤爪だろうか。
だらんと垂れた腕から伸びるその鉤爪は、地面と擦れてギリギリと嫌な音を立てていた。
「あれが、迷宮主ですか……」
「そうみたいだな」
奴が放つ威圧感は、これまでに見た魔物達とは比べ物にならない。
冒険者ギルドの基準に当てはめるなら最低でもA級上位、下手をすればS級すらあり得るかもしれない。
S級といえば、一夜にして小国を滅ぼした巨人や、古の勇者が従えたという聖獣と同じランクだ。
それほど強力な魔物がダンジョンにいるものなのか、という疑問が頭をよぎるが、敵を前にそんなことを考えている余裕はない。
『ソノ愚行、死ヲモッテ償ウガヨイ!』
「っ! 気をつけてください! 来ますよ!」
「ああ! 『フレイムエリア』!」
エミルの警告、俺は間髪入れずに魔法を発動させる。
火の範囲魔法。
悪魔を中心に、地面が火炎で埋め尽くされる。
それでもヤツは焦土と化した大地を全く意に介さず、こちらへ一直線に向かってきた。
「やっぱり効かないか……だが、想定内だ! 『ストーム』!」
続けざまに風魔法を放つ。
突風が起こり、巻き上がった炎がヤツの周りを壁のように囲む。
並みの魔物なら、骨すら残らず灰になるであろう火力だ。
だが……
『クハハ! 無駄ダ!』
悪魔は火炎の嵐を強引に突破、そのままこちらへ接近する。
振り下ろされる鉤爪を剣で受け、しかし正面から受けることは不可能だと瞬時に判断。
剣にかかる力を逸らし、攻撃を受け流す。
その直後に俺は後ろへ跳び、ヤツから距離を取った。
「チッ、思った以上に魔法耐性が高いな。あれでダメなら、魔法でのダメージは期待できないか……」
「ど、どうしますか……?」
「ひとまず、魔法での攻撃は捨てる。接近戦が有利ってわけでもないが、悪魔系の魔物の性質を考えれば、魔法より物理の方がダメージが入るはずだ」
悪魔系の魔物は魔法耐性が高い傾向にある。
高いといっても他の魔物と比べれば微々たるものだが、それでも弱い魔法を打ち消す程度には耐性がある。
反面、物理に対してはそれほど防御が高いわけではない。
もちろん爪や牙などの部位は硬いが、それ以外の防御力は同ランクの魔物に劣る。
あの悪魔もそれと同じなら、剣で叩いた方が確実だ。
「魔法が通用するのが一番よかったんだが、な!」
迫る鉤爪を回避。
反撃に剣を振るうが、もう一方の鉤爪に阻まれる。
「私もいきます! 『付与:極炎』、『加速』、それと『剛力』!」
剣に一つ。
それと、自身にも追加で二つバフを付与したエミルは、猛スピードで悪魔へ駆ける。
『付与者』については、事前にエミルから説明を受けていた。
――対象に効果を付与できる能力。
付与できる種類はバフやデバフなど様々で、例えば『極炎』なら火属性を付与し、切れ味や耐久が向上する。
付与が可能な数は一つにつき一種類だが、例外として、自分自身に付与する場合はその制限を受けないらしい。
ただし、自身に対しての付与が無限にできるのかといえばそんなこともなく、同時に付与する数が増えれば増えるほど消費する魔力も大きくなってしまう。
エミル曰く、「頑張っても四つが限界です! ロイスさんくらい魔力を持っていれば、軽く10個くらいは付与できるんですが……」とのことだった。
俺の魔力が多いのは、『魔力拡張』というスキルを取得したからだ。
もしも俺がスキル無しでそこまで多くの魔力を持っていたなら、無能と言われて殺されかけることもなかっただろう……
まあいい。
そんなことより今は、目の前の悪魔に集中しなければ。
「はぁっ!」
悪魔はエミルの剣を受け止め、鉤爪を構えた。
しかし、悪魔からの攻撃が放たれる直前に、俺が背後から切りかかる。
悪魔は標的を俺へ変えるが、その瞬間に再びエミルが剣を振るう。
交互に、相手が慣れる前にタイミングをずらしながら、継続的に攻撃を叩き込む。
悪魔が単純な力で勝っているのならば、こちらは手数だ。
とにかく、攻撃の対象を一人に絞らせない。
戦っていてわかったことだが、悪魔がこちらに反撃するときは、片方の鉤爪で受け止め、もう一方で相手を狙うという動きをする。
そうなれば当然、反撃の瞬間に隙が生じるだろう。
複数を相手にしている現状なら、悪魔はその手を取らないはずだ。
俺たちが二人で攻めている限り、ヤツは防戦一方になる。
そうなれば後は、相手に隙ができるのを待つのみだ。
『クッ! 馬鹿ナ!』
このままではジリ貧だということを理解したのだろうか。
悪魔が焦りの表情を浮かべた。
『フザケルナ! コノ、人間風情ガァ!』
エミルの攻撃を防いだ直後、悪魔は俺へ振り向き、その巨大な鉤爪を叩きつけた。
常人なら視認すら困難な速度だ。
理解する前に細切れにされているだろう。
だが、いかに強力な攻撃であっても、当たらなければ意味がない。
俺は余裕をもって鉤爪を回避する。
反対に、無理な体勢で攻撃を仕掛けた悪魔には、致命的な隙が生まれた。
「これで、終わりです!」
悪魔の背後から、エミルが飛びかかる。
火炎を纏った刃が煌めき、首を落とさんと振り下ろされる。
威力は十分、速度も申し分ない。
この状況からの逆転は不可能だ。
そう思い、悪魔の顔を見た。
……ヤツは笑っていた。
この状況が想定内、むしろ狙っていたのだとでもいうように。
――思えば、俺は油断していた。
いや、慢心していたといった方が適切かもしれない。
仲間に裏切られ、ダンジョンの最下層に転移したときは間違いなくドン底だった。
だが、そこから力を手に入れ、仲間を得て、ダンジョンを出るための明確な手段も示された。
俺は、失った直後に多くのものを得すぎたのだ。
それが悪いことだとは思わないが、俺の判断を鈍らせた原因はそこにあった。
強敵に挑むとわかっている場合、普段の俺なら二重、三重に作戦を立て、あらゆる想定外が起こらないようにしていただろう。
全ては、自分が死なないようにするために。
今回に限ってそれを怠った。
もちろん無策で挑んだというわけではないが、それでも慎重さが不足していたのだ。
……そう、魔物が奥の手を持っていないと、どうして言い切れただろうか。
『悪魔駆動』
悪魔がそう口にした瞬間、空気がピンと張り詰めた。
そしてヤツの内側から、膨大な魔力が漆黒のオーラとなって溢れ出た。




