逆転劇
それらは一瞬のうちに起きていた。
飛び込む琴子。
その勢いに引きずられて、共に足場を踏み外すハンドレッド。
そして、まさに落ちんとする二人をかろうじて支える、春香。彼女は秀一よりもずっと俊敏に動き出して、すんでのところで間に合ったらしい。
しかし、
「ぐぅッッッ――――!」
「春香さん!」
痛烈な悲鳴。無理もないことだった。なにしろ春香は、足場から半身を乗り出したような不十分な姿勢で、しかもハンドレッドの片手しか掴めていない。落下を引き止めるだけで精一杯なのだろう。
慌てて駆け寄った秀一が、同じように身体を乗り出して、力を添える。だが、琴子とハンドレッド、二人分の重さを支える春香の腕は、まるで鉄のように張りつめていて、まったく引き上げられそうにない。救出は極めて困難であった。
だからといって、むろん、諦めるわけにはいかない。
「……くっそ……! お前……! その手だけは、絶対に、離すんじゃねえぞ……!」
ハンドレッドの眼下では、琴子がぶらさがっている。
彼女の手首にかけられた、たった一本の頼りない手錠の鎖。
それだけが、彼女の命をすんでのところで繋ぎ止めてくれている。
そんな緊迫した場面でも、ハンドレッドだけは依然として冷静そうに構えている。
「……意外だったな。人質がこんな真似をするなんて――」
「貴方! はやくそこから這い上がりなさい! その娘一人くらい片腕で持ち上げることができるでしょう!」
決死の形相で叱責する春香。
だが、彼が助けるわけもなく、
「おいおい、ゼロ……。さっきからバカいわないでくれよ。いったい、どうしておれが有利な状況を、わざわざ自分で放棄しなきゃいけないんだ?」
「なにいってんだ、お前……この状態のどこが、有利なんだ――」
くつくつと下卑た笑いを浮かべながら、ハンドレッドはつぶやいた。
「貴様ら。一人、忘れてないか……? アタッチメントのことを」
筋肉男。余裕の正体はそれだった。
秀一たちの背後で、ガツンと足場の音を踏み鳴らして――巨漢の影がのっそりと立ち上がった。
(くそ……)
たまらず舌打ちする。手を離せば、琴子が死ぬ。離さなかったら、全員が死ぬ。当然、どちらも選べない。
「これでゲームオーバーだな。アガリ」
勝ち誇ったようにハンドレッドが笑うと、まるで寿命を踏みにじるように、アタッチメントが近づいてくる。
「くそ! くそッ! くそッ! くそッッ!」
八方塞がりの状況――
あまりの無力さに声を荒げて、秀一が悔しがる。
(……こんなとこで終わりなのかよ……!?)
そう、ほとんど絶望仕掛けた時――
彼女がつぶやいた
「……諦めんなよ、シューイチ……」
彼女にとって、それは逆境ではなく、好機であった。
ずっと待ち望んでいたのである。彼の注意が外れる瞬間を――
真っ白な光に輝くノインの右手。その手首をくるりと返すと、彼女はほんの一瞬も迷うことなく、自分自身に向けて、ショックバンカーを撃ち放ってみせた。
「なっ――」
秀一が絶句する。
すさまじい光熱波の衝撃が、鉄線と鎖を一瞬にして焼き払った。そうして残った金属片をバラバラ地面に落としながら、彼女はよろっと立ち上がってみせた。
それは、ほとんど満身創痍と呼んで良い。
ズタボロに焼け爛れた右腕。服は半焼し、白い皮膚の一部が、血と煤の混ざったように、赤黒く焦げていた。
空からさしこむ月の光に照らされて、彼女の金色の髪だけが、やけに美しく発光している。
「どこ向いてんだ。あんたの相手は……わたしだろう?」
それだけのダメージを負っていても、スピードはノインのほうが上だった。
迎え撃つアタッチメントの攻撃を避けながら、彼女は一気に間合いを詰めて飛びかかり、その頭部を鷲掴みにしてみせた。
春香がたまらず制止する。
「や、やめなさい! それ以上は――」
だが、ノインはやめない。
ふたたび、右手に白い燐光を輝かせると、彼女はそのエネルギーを全力でぶちかました。
「これで、最後の一撃――――!」
瞬間、白い閃光と、膨大な熱量が一気に膨れ上がると――耳をつんざく爆音が、あたりへ一斉に響き渡った。
――――。
ぶすぶすと音を立てて、煙が薄れていくと――やがて、吹き抜ける風の音だけがそこに残った。
屈強な岩山のようだった筋肉男は、もうぴくりとも動かない。まるで部品の欠けた人形のように、その頭部は根こそぎ消失していた。どれだけ頑丈な造りだろうと、司令部にあたる頭部を失ってはどうしようもない。
ノインもまた同じように自分の右腕を跡形もなく失っていた。その傷口からは、だくだくと朱色の血が流れている。彼女は、アタッチメントが着ていた服を剥ぎ取ると、片腕と歯をうまく使って、乱暴に止血してみせた。
「だ、大丈夫なのか、ノイン!?」
血相を変えて、秀一が叫ぶ。
疲労困憊といった表情でふらつきながら、彼女は気丈にふるまって、こう言った。
「あんたこそ。顔真っ赤じゃない。情けないわね」
春香の腰元に片手をかけると、ノインは残りの力をふりしぼるように、その半身をぐいっと引き上げた。
「……助かったわ、ノインちゃん」
そう礼を言うと、あとのことは春香だけで事足りた。
力の踏ん張りどころを手に入れた彼女は、ハンドレッドと琴子の二人を芋づる式に救いあげると――ただちにハンドレッドを拘束し、その後に琴子の手錠を断ち切って解放した。
ノインは地面に抑えつけられている老人の姿を見下ろすと、満足そうな顔を浮かべて、こう言い返した。
「よぉ、ハンドレッド。今、どんな気分だ?」




