最後の頼み
だれもが震え上がる高度を目前にして、春香は胸を張って毅然と立っていた。指先一つ微動だにしていない。
きっと、あらゆる決意が、彼女から恐怖を取り去っているのだろう。
「……どうした、アガリ……。早く押せよ」
死神がささやくように、ハンドレッドが口を開く。
秀一は震えていた。どんなに落ち着こうとしても、抑制がきかないのだ。まるで身体全体の神経をごっそり失ってしまったようである。
「大丈夫よ、秀一くん……。私は構わないから」
春香はいつもの調子で、そう言ってくれた。
だが、秀一にはそんな容易いことではない。
(……こんなことできるかよ……)
彼には、自分の抱える怒りの正体が明確に分かり始めていた。
それは間違いなく、他の誰でもない自分に向かっている感情だ。
(俺なら……こんな馬鹿な真似は絶対にしないのに……くそ。どうして未来は一向に変わらないんだ……!)
琴子が誘拐されたと聞いた時から、その感情はずっと強く抱いていた。
後悔、反省、決意――。
未来の自分を変えてやろうと強く、強く願った。
それでも状況は一向に好転しない。それどころか悪化する一方だ。
いったい、なにをどうすれば未来は変わるというのか――
(……いや、そんなこと、もう分かり切ってるんだよな……)
「はは、いつまでも誤魔化してられないよな……」
そう秀一が笑いを漏らすと、彼は聞き逃していなかった。
「なにがおかしい、アガリ。ついに気でも触れたか?」
ハンドレッドが不可解そうに尋ねる。
秀一は答えた。
「俺は、俺自身に……ほとほと呆れたのさ。だってそうだろう? お前らキルロイドに迷惑をかけて、第三者の一般人にまで被害を出して、さらには琴子にまで……こんな事態を引き起こして、情けない限りだよ。どうして俺の精神はそんなに病んだんだろうって、未来の俺を叱りつけたくなる」
「……同情を乞おうとしたところで無駄だぞ。おれはそんなに甘くない。むしろ、こいつの寿命を縮めるだけだ」
彼はさらに琴子の身体を傾けてみせた。もうほとんど落下寸前の姿勢である。
秀一はつぶやいた。
「一つだけ……頼みがあるんだ。少しだけでいい。琴子と、ちゃんと話をさせてくれないか」
「その耳は節穴か? 同情はしないと、たった今、言ったばかりだろう」
「冥土の土産ってやつだよ。頼む。たしかに今回の一件はすべて俺のせいだ。でも、俺だって未来の俺に振り回されてる一人なんだ。あとは……あんたの好きにしていいから――」
しばらく考え込むようにしてから、ワンハンドレットは頷いた。
「いいだろう、そのほうが楽しめるかもしれんからな……。ただし、話とやらはそこでしろ。一歩も動くな。とくにゼロ……。貴様は振り向きでもしたら、この女は即座に殺す。よく覚えておけよ」
そう警告を言い残して――彼は、琴子を自分のそばへと引き戻した。
それから彼女の両手にかけていた手錠の一端を取り外すと、自分の半身に繋げてみせた。彼女が逃げられないよう、さらに用心しての行動だろう。ハンドレッドはとにかく徹底していた。自分が優位となる状況作りを――
「秀一……」
ほとんど動きの制限された中、琴子がそう顔をあげた。




