悪意
いつもは活力に満ちている琴子の顔が、今はすっかり血の気が引いてしまっている。どんなに訓練した人間でも、そこで冷静を装うことは難しいだろう。彼女の眼下には高度二百メートルの景色が広がっている。落ちれば即死だ。怯えないわけはない。
秀一が、目を鋭く釣り上げる。心の中に、ふつふつと煮えくり返りそうな怒りがわきあがっていた。
「どうしてこんなことを……。俺を殺したいなら、俺を直接狙えよ!」
「くく……。理由はカンタンだ。貴様のそういう顔が見たかったからだよ。アガリ。まったくもって最高の気分だ……」
彼の感情を嘲笑うように、ハンドレッドは唇を歪ませてみせた。
「お前……」
拳を握りしめて、秀一が歯を食いしばる。
だが、安易に動くわけにはいかない。下手な行動は、琴子の命を奪うだけだ。春香もまたそのことを分かっていて、じっと慎重に身構えている。
二人の鋭い視線を浴びながら、男は言った。
「おいおい。おればかりをそう一方的に恨むなよ。悪いのは……すべて自分のせいだろう、アガリ」
彼は続けた。
「おれたちキルロイドに自分の意志なんか厳密には存在しない。元を正せば、貴様の意志がこの場にいる全員を巻き込んでいるわけだ。こんなもの、ただの自業自得ってやつだろう。逆恨みもいいところだ」
「……そんなことはとっくに分かってる……」
「いいや、その様子じゃ、まるで分かっていないな。たとえば、おれは貴様に五十回も殺されたわけだが……その痛み、貴様にはまるで想像つかないだろう?」
彼は琴子の足を踏みつけると、そこを軸にして、彼女の身体を夜空に向かって、さらに傾けてみせた。
「ちょうど、こんな感じだ。高所から落下するように――ちょうど自分の重みを感じ始める頃、身体がなにかに衝突するんだ。そして、悶絶するような激痛を味わう。繰り返し、繰り返し……何度もやらされてな。トゥーナイン、時間遷移の失敗を知る貴様なら、少しはその痛みが分かるんじゃないか。ええ?」
ノインはなにも答えない。
蔑視するような視線を常に向けているだけであった。
「……やめろ、ハンドレッド。だからって、琴子は関係ないだろう!」
「大アリさ。こいつが死ねば、同じような苦しみを味わえるだろう? 俺はできる限りたくさん殺してやりたいんだよ、貴様のことをな」
「……頼む。やめてくれ……」
懇願するように秀一がつぶやく。
しかし、それは逆効果でしかない。結果として、それは彼に愉悦めいた満足を与えるだけだった。
「良い表情だ。けどな、さっきも言ったろ? 言葉一つで物事はなにも解決しないって――」
「やめなさい! なら、その娘じゃなくて、先に私をやりなさい!」
そう叫んだ春香に、じっと視線を転じると――
男は少し迷ったようにしてから、にっと笑って、こう提案した。
「……おかげで面白いことを思いついた。こんなのはどうだ? 貴様がその手でゼロを突き落とすというなら、おれも織原琴子を慈悲の心で助けてやらないこともない」
「……そんな言葉……信じろっていうのか……?」
「バカいえ。信じる信じないは関係ない。やるかやらないか、それだけを聞いてるんだよ、おれは……」
春香と目を合わせると、彼女は小さく頷いてみせた。




