夜の疾走
夜の風がほおを切る。一台のバイクが、暗がりの道路を駆け抜けていた。
激しい排気音を響き渡らせて――後ろのシートに座る秀一は、運転手の腰にしっかり掴まりながら、こっそりと愉悦に浸っていた。
(……よもや、こんな非常時にこんな僥倖に預かろうなんて……バイク万歳……)
わずか薄布一枚の向こう側から、女性独特のやわらかさがダイレクトに伝わってくる。
もし、この腕をわずかにでも上にずらすことができれば――彼は男として一つ上のステージに進むことは間違いない。そんな邪な考えを膨らませていると、
「秀一くん。いちおう伝えとくわ。もしも万が一にも、こんな緊急事態に変態チックなことを考えているようだったら、私はこの場で貴方を振り下ろしてアスファルトに叩きつけるつもりだからね」
ヘルメットについたインカムから、即座にそう警告が発せられた。
秀一は慌てて、
「そんなこと……もちろん考えてるわけないじゃないですか、春香さん。今はノインと琴子の一大事なんですよ。分別くらい、わきまえてますって。ええ」
真面目な態度で取り繕った。
むろん、気づかない春香ではないのだが。彼女はひとまず流したらしい。
「問題は、誘拐された二人をどうやって救出するかね……。こういう時、相手の言いなりになってるだけだと、そのままズルズル敗北しちゃうだけよ」
「……そうだね。春香さん一人では戦力的に厳しいだろうし……」
むろん、二人とも明確な答えなど持っていない。
しばらくの沈黙の後、春香はべつの話題を持ち出した。
「ねえ、秀一くん。一つ教えておいて欲しいんだけど……。貴方はマスターの自殺の原因が分かったように言ってたわよね。それは何なのかしら?」
「ちゃんと分かったわけじゃないさ。あくまで予想だけど――」
そう前置きして、秀一は続けた。
「そもそも……未来の俺はたぶん、自殺じゃなくて、本当は過去を変えたがっていたんだよ」
しばらく黙ってから、春香は訊き返した。
「……それはないんじゃないかしら。仮にそうだとしたら、過去の貴方にメッセージを送るとか、そういうシンプルな手段をとれば良いわけだし。キルロイドを使う理由がないわ」
「だからこそだよ。俺はキルロイドを意識して猛烈に反省している。きっと、そういうことが狙いなんだ」
「それで貴方が死んじゃったら……過去を変えるどころか、過去ごと自分を消しちゃうわけじゃない。なんの意味もないわよ、それって」
「だから正直なところ、俺はこう考えてるんだ。春香さんにもノインにも……最初から俺の殺人命令なんて入ってなかったんじゃないかって」
「……貴方、ノインちゃんに殺されかけてたと思うけど?」
「そう。確かに殺されかけた。でも最終的に殺されていない。普通、こんなミスは起きえないはずだよ。殺人対象の俺が、ノインの命令にどうこう文句つけられるなんて……。キルロイドが未来の世界で流行しているほどの高品質な殺人兵器なら、なおさらだ」
「じゃあ、今回の連中はどうなのかしら。彼らは明らかに殺意を持っている。それも貴方に反省させるためだっていうの?」
「いや、そうさせたかったことは最初の話。今はまた目的が変わっていて、未来の俺は、それこそ本気で自殺を考え始めてるんだと思う……」
「どういうことかしら?」
秀一が整理するように言葉を並べていく。
「俺が考えるに――未来の俺は、かなり不安定な精神状態にあるんだと思う。だから、キルロイドの設計思想はころころ変わっていったんだ。まず春香さんの頃は、純粋に過去を変えたがっていたから殺人命令は最初から取り除いている。次にノインの頃は、一向に過去を変えられないことに苛立って、俺に暴力的な手段を与えるようにさしむけた。そして、最後……今回の連中を送り込む頃には、ほとんど自暴自棄さ。過去が変わらないなら、もう全員死んでしまえくらいに思ってきてるのかもしれない」
「……なんともはた迷惑な話ね。でも、そうなっても、まだ一つだけ謎が残るわ。どうして彼らは盗聴機を仕掛けた時、貴方を殺さなかったのか……」
そのことにも秀一は答えを用意していた。
「これも予想になるけど――彼らはかなり愉快犯寄りの性格になるように調整されたんだと思う。いっそ殺すなら盛大に。そんな風に考えたのかもしれない。……なんとなくだけど、自分のことだから想像はつくよ。腹立たしいことにね」
「なるほど。それじゃあ……秀一くんは、そんな未来を変えるための手段も想像がついてるのかしら」
「たぶんね。けど……それは俺一人の意志でどうにかできるもんじゃないんだ……」
そう言いながら、彼がぎゅっと腕に力を入れると、春香はしばらく黙った。
やがて、長いドライブを経て、目的地は見えてきた。
星空に向かって高くそびえる、幾重にも鉄骨の組み合わさった電波塔――その各部では、小さなランプが点滅して、ひっそりと輝いている。
けたたましいエンジン音が鳴り止むと、あたり一帯を夜の静けさが包みこんだ。
ヘルメットを外して外気に触れると、汗ばんだ肌に、それは涼しく感じられる。
「秀一くん。もし貴方が未来を変えたいと思うなら、私はもう止めないから好きにやって良いわ。私もノインちゃんも……覚悟はできているから」
「……俺も、約束は絶対に守るよ」
「それともう一つ――」
ぐしゃぐしゃになった髪を手ぐしで整えながら、彼女は最後にこう付け足した。
「私は未来を変えたくなかったから、これは言うまいと思ってたけど……。琴子ちゃんのこと、もっと大事にしないとダメよ。あんな良い子、滅多にいないんだから。無事に助けたら……まずはちゃんと仲直りしないとね」
秀一が小さくうなずいて――
かれらは電波塔へと到着した。




