静かな怒り
(くそ。人が多い……!)
あまりの人混みで思うように進めず、秀一が舌打ちする。彼はすっかり琴子たちを見失っていた。一瞬、スマホで電話することも考えたが、あんな断り方をしていたせいで、そこまではちょっと気がひける。
(まあ……ただの見間違いって可能性もあるしな)
これだけの人がいると、そんな気もしてくる。たまたま似たような人を見かけることも可能性としてはありえる。
(……もう戻るか……)
まもなく花火が打ちあがる時間であった。早めに春香たちと合流しておいたほうが良いだろう。
そう諦めて、戻ろうとした時、ぎょっとしたように秀一が立ち止まった。
「秀一……」
桜柄の浴衣を着た若い女。髪をすべて結い上げていて、美しさというよりは、全体的に可愛らしい魅力を放っている。
これだけの近さだと、見間違えようがない。やはり、彼女はまちがいなく琴子だった。
秀一はすぐさまサングラスで顔を隠すと、
「は、ははは……。なにをいってるんだ? しゅういち? だれのことかな。俺の名前は……佐藤健なんだが」
裏声を使って、偽名と共にすっとぼけてみせた。
だが、彼女はなにも言わず、疑いの視線をじっと向けているだけだ。
(……誤魔化しきれるわけないか……)
そう諦めると、秀一は大人しくサングラスを外して、素直に謝ることにした。
「……えと。わ、悪かったって。あの――」
彼女は依然、むすっとして黙ったままだ。
当たり前だが、非常に気まずい空気である。いつもの琴子なら、声を荒げて叱ってくるところだというのに……
(あれ……そういえば連れは――?)
ざっと周囲を見ても、先ほど一緒に歩いていた男はいない。さっきのは見間違いだったのだろうか――
すると、琴子は急に、一本の食べ物をずいっと突き出してきた。それは、たっぷり脂がのった、柔らかそうな高級牛串である。
「なにコレ。……くれるってことか?」
肯定するように、琴子が小さくうなずく。
さらに、彼女は、まるで『アーン』とカップルのような食べ方ができるように、串の先端を傾けている。
秀一は困ったように断った。
「いらんって。お前、知ってるだろ。俺が牛肉を好かないってことくらい――」
言いかけて、秀一は思い直した。
(……いや、わざとなのか? つまり、それだけめちゃくちゃ怒ってるってこと……?)
たらりと冷や汗がほおを伝う。
確かに、それくらい怒らすことだったかもしれない。
なにしろ祭の誘いを断っておいて、その現地でばったり遭遇したのだから――最悪だ。
「食べて」
琴子が、なおも串を差し出して、そう薦める。
彼は少し考え直した。
「まあ……これで仲直りってことなら食ってやらんこともないが……そういう意味なのか?」
「そうね」
ぽつりと答える琴子。ただ、その声色はどうも、いつもの感じと微妙に異なる。
秀一は次第に心配になってきていた。
過去に喧嘩はたくさんしてきたが、こんな反応は初めてだったのだ。
「……お前。なんか、おかしいな。もしかして、体調でも悪いのか?」
熱でもあるのかと思って、そっとおでこに手を指し伸ばそうとすると、それを嫌って、彼女はばっと身を引いた。
「いや……まあ、触られたくない気持ちはわかるけどよ。でも、あんま無理すんなって。その様子。どう見ても具合悪いもんな。ついてこいよ。運営の人に言えば、休ましてもらえるだろ――」
そう言って、手を伸ばすと――
まもなく時間なのだろう。近くの夜空から、花火の音が聞こえてきた。それだけなら秀一も不思議に思うことはない。
だが、
「な、なんだ――――?」
人の悲鳴。周囲が一斉にざわつき始める。見れば、花火は地上で破裂しているようだった。広場の地平線が鮮やかな色に光って、輝いている。
しかも、その花火の誤射は何度も続いていた。その度に、人々の不安が大きくなっていく。
まもなくスピーカーから避難警報が流れると――
そこで騒ぎは一気に炎上した。
雪崩れるように走り出す人々。秀一はすぐさま春香へ電話をかけた。だが、コール音が鳴り続くだけで、彼女は出ない。
嫌な予感がよぎる。
(まさか……巻き込まれてるってのか……?)
「琴子! 悪いんだけど、俺――」
そう言って振り返ると、彼女はいつの間にか姿を消していた。
ついさっきまで近くにいたはずなのに――そう思って、あたりをざっと見回すと、人混みの中に視線を凝らしたところで、秀一はようやく彼女の姿を発見できた。だが、
(あいつは――)
彼女は、どうやら例の男と再び合流しているようだった。避難する人々の流れにのって、一緒に行動をしている。
しばらくあっけにとられて――
秀一は意を決したように、背を向けて走り出した。
(避難してるなら大丈夫だろう……今は、春香さんたちのほうが優先だ)
そう思いながら、彼は胸の奥にずきんと痛みを感じていた。




