第008話 魔王グラノス
新月の夜よりも暗い闇。その暗黒の中を俺は漂っていた。
『ここは……』
俺は勇者達を捕らえた後、村人達の監視を騎士達に任せて眠りについたはず。
なら、これは夢なのか? だとしても随分と不思議な夢だ。
意識だけがあって体の感覚も曖昧。周囲にはただ濃密な闇だけがある。
ズンッ……
『何だ……!?』
そこへ、突然強大な気配が生じた。
これまで対峙してきた最強格の魔物達。彼らすら比較にならないほどの、大きく、深く、絶大な存在。その何かが、俺に意識を向けた。
『……!』
それだけで、俺は身じろぎどころか呼吸すらできなくなった。
まるで強烈な金縛りにあったかのようだ。
至近距離で観察されているはずなのに、その存在が何なのか全く認識できない。
きっと巨大すぎるのだ。まるでこの場に満ちる闇……世界そのもののような……
『——支配の魔王たれ』
一体どのくらいそうしていたのか、時間の感覚が曖昧になった頃、その声が響いた。
性別や感情を感じさせない平坦なその声を最後に、俺の意識は徐々に薄れていった。
「——きゃぁぁぁぁっ!?」
「……!?」
突然の悲鳴に、俺はベッドから飛び起きた。
慌てて周囲を見回すと、そこはコルマールの村の広場に張った天幕の中だった。
側にはラミルルが立っていて、驚愕の表情で俺を見つめている。
「クゥーン……」
近くで寝ていたベルもうるさそうに体を起こす。だよな、びっくりしたよな。
「ラ、ラミルル。一体どうしたんだ。ベルも驚いて——」
「デュ、デュラン様……! お顔……お顔がぁっ!」
ラミルルは震える手で手鏡を取り出し、俺に渡してきた。
俺は一体何なんだと思いつつそれを受け取り、覗き込んだ。
「は……?」
鏡に映ったのは、当然俺だった。
しかし、緑がかった色だった肌は薄紫色に変化し、額には血のように赤い宝玉のようなものが埋まっている。
い、意味がわからない、何なんだこれ……? 魔物使いの新しいスキルか何かか……!?
慌てて自分の内側に意識を集中させると、いつもと感覚が違った。
天啓のように新しいスキルが頭に浮かび、体の奥底から強大な力が湧き上がってくるのを感じる。
これは……まさか天職が進化したのか? 天職は、条件を満たせばより上級の天職に進化することがある。
でも一体何故……何に進化したんだ……?
「——支配の魔王……」
夢の中で遭遇した謎の存在。アレが言っていた言葉が口から漏れでた。
そして思い出した。この薄紫色の肌と額の赤い宝玉……俺は、この特徴を持つ男を知っている。
そいつの名はグラノス。勇者と対を成す魔族の希望、カオスマキアにおける最強最悪の敵にしてラスボス……魔王グラノスだ。
***
デュランが自身の変化に驚いていた頃。魔界の中枢に位置する魔王城には、耳をつんざくような絶叫が響き渡っていた。
「ガァァァァッ!?」
場所は薄暗く広大な王座の間。
冷たい石造りの床の上で、魔族の男が悲鳴を上げながらのたうち回っていた。
彼は万軍を率いる将軍だったが、敵国との戦で大敗を喫し、ここへ呼び出されていた。
百戦錬磨の勇士である将軍ですら耐えられない激痛。その原因は、彼の体から放出されている幾本もの光の帯だ。
彼の生命力が漏れ出したかのようなその光は、小高い場所に据えられた玉座の方へと向かい、そこに座る人物の手の中へ吸い込まれていく。
「……」
その玉座に座すのは、魔族の中で最も精強な種族とされるデーモンの男だ。
均整のとれた長身で、後ろに撫でつけた長髪は銀色に輝き、頭の横からはねじれた一対の角が生えている。
絶叫する将軍を見下ろす冷たい美貌には、表情と呼べるものは全くなく、ギラつく目だけが果てぬ欲望を訴えているかのようだ。
そしてその肌は不吉な薄紫色をしていて、額には血のように赤い宝玉が埋まっていた。
彼こそが魔王。魔界に広大な版図をもつキメリア魔帝国の皇帝にして、すべての魔族の頂点。魔王グラノスである。
「お゙許しを……どうがお゙ゆるじお゙ぉ……! 魔王ざまぁ……!」
将軍が必死に許しを乞う。先ほどまで筋骨隆々だった彼は、光の放出と共に急速に老化し、病人のように痩せ細っていた。
しかし魔王は将軍から光を吸収する手を止めず、静かに口を開いた。
「駄目だ、許さぬ。其方が大敗を喫すのはこれで三度目。余の軍に無能は必要ない」
魔界において、キメリア魔帝国は比類なき大帝国であり、魔族の盟主として人族との種族間戦争の旗頭を担っている。
しかし、魔界の全てを掌握しているわけではなく、現在は隣接する別の魔族国家と戦争状態にある。
隣国の軍の精強さに将軍は攻めあぐね、敗北を重ねてしまっていた。
「ぞん、な……あ゙ぁ……ぁ……」
やがて将軍はミイラのように干からびて動かなくなり、光の放出も止んだ。
すると将軍だったものは風化するように消失し、後には彼の衣服だけが残された。
それを見届けた魔王は、光を吸収していた自身の手のひらを見つめ、ほんの僅かに頬を歪めた。
その異様な光景を、玉座の間に居合わせていた二人の人物が見ていた。
一人は玉座の隣に立つ年老いたドライアド種の魔族。この帝国の宰相である。
もはや慣れた光景なのか、彼は魔王の蛮行に僅かに眉を顰めただけだった。
だが、もう一人は違った。
「——ま、魔王様……! これは……こんなのはあんまりにござる!」
声の主は、少女とみまごうほどに小柄なドラゴニュートだった。
真紅の髪を後ろで一房にまとめ、額には二本の角。体の各部も真紅の鱗に覆われ、背には身の丈ほどの大太刀を背負っている。
東洋系の愛らしい顔つきをしているが、その表情は抑えきれない怒りに歪んでいた。
彼女の名はツバキ。『閃炎』の二つ名を持つ魔王軍四天王の筆頭で、キメリア魔帝国においては魔王グラノスに次ぐ実力者である。
そのツバキに、グラノスは感情の読み取れない視線で応えた。
ツバキはそれだけで気圧されてしまったが、グッと踏みとどまって訴えを続けた。
「しょ、将軍は確かに敗北され申したが……あんな風に処刑されていい人物ではないでござる!
彼は魔王様への忠誠も厚く、部下からの信も厚い男だったでござる! それを——」
「ツバキよ。其方が余の決定に異を唱えたのは、これで二度目であったな……?」
ズンッ……
ツバキの声を遮ったグラノスから強烈な殺気が放たれ、ツバキはたまらず膝を突いた。
「あぅ……ぐっ……」
「一度目は確か……敵軍を民ごと焼き払う作戦の時であったな。あの時も同じことを聞いたが、もう一度だけ聞こう。
答えよツバキ。其方の主は誰だ。其方は、誰に忠誠を捧げた?」
「それ、は……魔王様……魔王様ござる……!」
苦悶の表情を浮かべ、絞り出すように答えたツバキに、グラノスはようやく殺気を収めた。
「そうか……ならば臣として、余の意に従うがいい。其方には将軍が敗れた戦の後始末を命じる。仔細は宰相から追って伝える故、下がって良いぞ」
「——はっ」
ツバキはよろよろと立ち上がると、俯きながら扉へと歩き出した。
だが彼女は扉の手前で足を止めると、振り返ってある場所へ歩み寄った。
そこには、将軍の遺品となってしまった、彼の衣服や装備が散らばっていた。
彼女はそれらを丁寧に回収すると、魔王に一礼して玉座の間を後にした。
その間グラノスは、彼女のそんな様子を気にも留めず、思索に耽るように虚空を見つめていた。
「……!」
だがツバキが去った直後、グラノスは突然玉座から立ち上がった。
中空を見上げるその顔には僅かな驚愕が滲んでいる。
「へ、陛下。如何なさいましたか……!?」
グラノスの隣に立つ宰相が、自らの主君よりも驚いた表情で尋ねる。
宰相は長くグラノスに仕えているが、その彼でも、これほど感情を顕わにしたグラノスを見たのは初めてだった。
「膨れ上がっていた巨大な力の塊が、余の元から離れた……誰が……?」
グラノスはそう呟いて座り直すと、先ほどツバキが出ていった扉に視線を移した。
そして数秒ほどじっと見つめた後、独り言のように呟いた。
「——宰相よ。忠誠なき臣は無能より度し難い。然るべき処置を下すべきだな……?」
「処置……? ま、まさか陛下、ツバキ殿を……!? 一体何故……どうかご再考を。ツバキ殿は、我ら帝国に必要な方にございます……!」
「ふむ……少し惜しいのは確かだ。だが、余が喰らえば同じことだろう」
グラノスは宰相の言葉を聞き流しながら自身の手を眺め、再び頬を歪めた。




