第006話 人界侵攻
「デュハハ……すまんなデュラン。本来なら俺が出なければいけないものを……全くもって情けない」
男爵屋敷の一室。ベッドに身を横たえた中年オークが、血の気の引いた顔で笑っている。
俺の父にしてこのヨーヴル男爵領の領主、デュハルズ男爵である。
普段の筋骨隆々で豪放な武人といった様とはかけ離れた、弱々しい姿だ。
「デュフフ……いえ、実に良い機会を譲って頂きました。この俺様にお任せください父上」
数ヶ月前、魔王から人界侵攻の号令が掛かった。名目上は大昔に人族に奪われた領土の奪還が目的だけど、要はただの侵略戦争だ。
そして春の種まきも終わった今日、男爵は手勢を連れてその戦に参陣する予定だったが、こうして急病に倒れてしまったというわけだ。
ただその急病の原因が割としょうもなくて……好物のキノコと間違って毒キノコを食べ、体調の悪化を気のせいと放置して重症化。治癒魔法でも快癒に数週間を要する事態となってしまったそうだ。
俺が戦に出ることになるのは原作で知ってたけど、まさかこんな経緯だったとは……
原作を信じて色々と準備しておいてよかった。
「全く、本当にデュランが居なかったらどうなっていたことか……貴方、本当に反省して下さいね?」
「むぅ……うん、反省する……」
ベッドの隣に座るオークの女性が、男爵を窘めた。俺の母であるヘルガ夫人だ。
種族柄体格のいいオークにしては背が低く線も細い。俺もオークとしては小柄な方なので夫人似なのかも。
夫人は心底呆れた様子でため息をついているが、その手は男爵の手をしっかりと握っている。
この二人、夫婦仲はすこぶる良いので見ていてほっこりするのだ。
夫人は男爵から視線を外すと、すまなそうに俺を見た。
「デュラン、どうか気をつけて。借金のこともそうだけど、貴方には本当に苦労をかけるわね」
「気にしないで下さい母上。この領は、いずれ俺様のものになるのですから。デュフフフ……」
ヨーヴル男爵家は新興の家で、領内は未整備な箇所も多く、色々と入り用な状況だった。
そのせいで借金が嵩み、領の経営は結構まずいことになっていた。
流石に放置できなかったので、借金の返済も含めて色々とテコ入れしたのだ。おかげで今の財政は極めて健全な状態だ。
なんで俺がそんな大金を持っているのかというと、魔物素材の売買で莫大な利益を上げているからだ。
魔の大森林の深部で修行していると、純度の高い魔石や頑丈で美しい毛皮など、高価な素材が大量に手に入る。
それを領外の大都市に持っていくと、めちゃくちゃ高値で買ってくれるのだ。
おかげでヴァッカスの酒代で破産せずに済んでいる。
「ふふっ、そうね……ラミルル、ベル。デュランはこの一年でとても頼もしくなりましたが、何せ初めての戦場です。この子をお願いしますね……?」
「はい奥様! デュラン様は、命に代えてもお守り致します!」
「ワオン!」
夫人の言葉に、ラミルルとベルが元気に返事する。だがそれは頂けない。
「ふん……ラミルル、ベル。お前らの命などいらん。全員で生きて帰るのだ。では父上、母上、行って参ります」
両親に別れを告げて外に出ると、屋敷前の広場にはすでに中隊規模、総勢百数十人の騎士と兵士達が集まっていた。
人口数千人のヨーヴル男爵領にしては頑張った方だと思う。
見ると、彼らは全員血色が良く、装備も上質で士気も高い。
俺のテコ入れの成果だろう。兵士達への支援を厚くして、相場の三倍くらいの給料を渡すようにしたのだ。
そのおかげか、彼らが俺に向ける視線はかなり好意的だ。
ちなみに別の戦力……万に達した俺の仲間達の存在は、ラミルルとベルしか知らない。
魔物達は今、人界にもまたがる魔の大森林に潜んでいて、俺の人界侵攻に密かに付いてきてもらうことになっている。
その存在を隠す理由は、ストーリーへの影響を防ぐためだ。
木っ端男爵の跡取りが万の魔物を従えているなんて、どう考えても異常だ。露見したら今後の歴史が変わりかねない。
——まぁ、本当にストーリーへの影響を考慮するなら、もっと根本的な部分を見直す必要があるんだけど……
ストーリー通り勇者と戦い、その戦いで勝利し、その後勇者の魔王討伐を密かに手助けし、ラストエンディングへと導く……今俺が思い描いているこの流れには、幾つもの障害が存在する。
そうするより、全てを投げ出して勇者から逃げ出し、向こうに存在すら認識させずに支援した方が絶対に成功率が高い。けれど……
「できないよなぁ……そんなこと」
俺にはこの世界で過ごした15年間の記憶があるし、男爵家の跡取りという立場もある。
ラストエンディングは見たい。絶対に見たい。でもだからと言って家族を……ラミルルとベル、そしてあの仲睦まじい両親を放って逃げるなんて無理なのだ。
「デュラン様……? どうかなさいましたか?」
今後について考えを巡らせていると、ラミルルが不思議そうに見下ろしてきた。
彼女は原作には登場していなかった。ストーリーへの影響を考えると、人界侵攻に同行させるべきじゃないのかもしれない。
けれど、屋敷で待つよう命令したら号泣されてしまったので、こうして連れて行くしかなかった……まぁ、なんとかなるだろう。
「いや、少し考えごとをな……さて、ベル」
「ワフ! グルルルッ……ワオーン!」
遠吠えと共に、ベルの体は紅蓮の炎に包まれた。
炎は徐々に大きくなり、やがて俺どころかラミルルの背丈を超えるほどに膨れ上がる。
そして大きな火球が弾けると、中から三つ首の巨犬が現れた。
「「おぉ……!」」
それを目にした兵達から感嘆の声が上がる。
先日アスラマンティスを仲間にした際、俺の位階はまた少し上昇し、進化という新たなスキルまで獲得した。
このスキルにより、ガルムという魔物だったベルは、最強格の魔犬であるケルベロスに進化した。
冥府の番犬とも言われる、ヴァッカスやアスラマンティスと同格の存在だ。
本当は彼のこの姿も晒したくはないのだけれど、どうせ勇者戦で見せることになる。兵士達には今の内に慣れてもらおう。
ちなみに進化を覚えた瞬間、自分が魔物使いの天職を極めたのが感覚で分かった。
カオスマキアでは初期スキルしか使えなかったので、物凄く感慨深い。
俺は巨犬と化したベルの背に飛び乗ると、兵士達に見えるよう腕を掲げた。
「ヨーヴル男爵領軍、出立! 人族から、俺達の土地を取り戻すのだ!」
「「おぉぉぉぉっ!!」」
中隊を率いた俺は、そのまま男爵領を出発して西に向かった。
俺達が住むディアノス大陸は、西側は人族が支配する人界、東側は魔族が支配する魔界に分かれている。
ヨーヴル男爵領は魔界の西端、人界との境界付近に位置する形だ。
そして男爵領を発った翌日。人界との境界に設けられた合流地点に到着すると、すでに万に届く軍勢が駐留していた。
今回はかなりの大規模作戦なので、俺達以外にも多数の領主がこの人界遠征軍に参加している。合流地点も複数あり、全軍の兵力はこの場の何倍もの規模らしい。
俺は率いてきた中隊に待機を命じると、一際大きく、豪奢な天幕に向かった。
そして通された天幕の中央まで進み、そこに座る人物の前に跪いた。
「ヴァルグル侯爵閣下! ヨーヴル男爵領より、デュハルズ男爵が長子、デュラン! まかり越してございます!」
「あぁ、貴方が噂の……ご苦労様。待っていたわぁ。ほら、立ってお顔を見せなさぁい」
「はっ!」
その声に、俺は立ち上がって顔を上げた。
ヴァルグル侯爵。その男は巨躯のトロールだった。
座っているのに見上げるほどに大きく、華美な鎧の上からでも全身が鋼のような筋肉に覆われているのが分かる。
スキンヘッドの側頭部に刻まれた真っ赤な薔薇の刺青と、同じく真っ赤な口紅が目を惹く。
顔つきは人より獣に近く、それを上品な微笑みで覆い隠しながら、観察するような視線を俺に向けている。
「ふぅん……デュハルズの子にしては可愛い顔をしているのね。ところであの子大丈夫なの? 報せでは、急病とだけ聞いていたのだけれど」
「は、命に別状はございません。ただ此度の戦に参加することは難しく……
代わりにこのデュランが参じさせて頂いた次第。若輩の身なれど、微力を尽くさせて頂きます」
重低音のお姉口調に、俺は最大限へりくだって応えた。
俺の父、デュハルズ男爵は、前回の人界侵攻で功績を上げ、この男から爵位と領地を与えられた。
つまり、俺の直接の主君は魔王ではなく、このヴァルグル侯爵なのだ。
今回の人界遠征軍でも、総大将に次ぐ高い地位にある。
そしてカオスマキアにおいても、ストーリー最初の中ボスが俺なら、この男は第一章におけるボスだ。
プレーヤー……つまり勇者にとって、この男が序盤における最大の障害なのだ。
「あらそう……でも謙遜しなくてもいいわよぉ。あなたが手練なのは分かるから」
瞬間、ヴァルグルからほんの一瞬だけ鋭い殺気が飛んできた。
並の戦士なら反応すらできない刹那の殺意。
それに対し、俺は剣に手が伸びるのをなんとか堪えたが、右手をほんの僅かに動かしてしまった。
その様子を目にしたヴァルグルが笑みを深くする。どうやら力量を計られてしまったようだ。
「これはお目汚しを……若輩の身なれば、戦を前に少々震えてしまいました」
「うふふ、嘘ばっかり。貴方みたいな子がいるなら、ヨーヴル男爵領は安泰ねぇ。
さて、貴方達が来て全部隊が揃ったわぁ。そろそろ始めましょう。人界を真っ赤な血に染める、大戦をねぇ……」
「……はっ!」
隠しきれない残虐性を滲ませて笑うヴァルグルに、俺はただ首を垂れた。
その後、進発した人界遠征軍の攻勢は凄まじく、人族の堅固な砦を軽々と攻め滅ぼし、人界へと侵攻した。
以降、軍はいくつかに分かれ、それぞれに割り当てられた重要都市や砦に向かった。
今後は各軍が都市や砦を攻め落とし、そのまま周辺の土地ごと実効支配するというのが、今回の作戦の流れだ。
落とした都市などはそのまま自領に組み入れて良いとあって、領主達の士気も高い。
一方、俺達ヨーヴル男爵領軍は新興の家であり、戦力も百数十人程度の中隊規模だ。
攻略対象として割り当てられたのも都市や砦などではなく、いくつかの村だった。
俺は隊をさらに三十名ほどの小隊規模に分け、それらの村へ送り込んだ。
その時点で男爵領を発ってから一ヶ月が経過していた。
そして小隊の一つを率いた俺は、ついにその村を視界に収めた。
「見えた……あれだな」
人界の辺境に位置し、周囲を背の高い木の防壁に囲まれた村、コルマール。
勇者の生まれ故郷であり、原作ではデュランが勇者に殺される、俺にとっての運命の場所だ。




