第005話 ラミルルの想い
デュラン様が大きなカマキリさんを仲間にされた翌朝。
専属メイドであるわたし、ラミルルは、いつものようにあの方の寝室に向かいました。
ご主人様にご起床を促す、とても大切なお仕事のためです。
「デュラン様。おはようございます、ラミルルです」
でも今日は、寝室の扉をノックしてもお返事がありません。
いつもはわたしがお起こしする前に目を覚まされているのですが……わたしはそっと扉を開けました。
「ワゥ……?」
寝室に入ると、ベッドの横で丸まっていたベルちゃんがひょっこりと顔を上げました。
ちょっと寝ぼけた様子が可愛いです。
「うふふ。おはよ、ベルちゃん」
「ワフン」
ベルちゃんの頭をそっと撫で、ベッド脇に立つと、デュラン様はまだ眠っていらっしゃいました。
目を瞑り、穏やかに寝息を立てていらっしゃいます。
普段の凛々しいご様子とは違って、年相応の男の子といった感じです。
こんなことを思うのは不敬ですが……とっても可愛らしい寝顔だと思います。あ、まつ毛長い……唇、柔らかそう……
お声をかけるべきなのに、わたしはデュラン様の寝顔に見入ってしまいました。
「——ん……? あぁ……ラミルルか」
すると、デュラン様の目がぱっちりと開きました。
その時わたしは、息のかかるような距離でデュラン様のお顔を覗き込んでいました。
「……!? ひゃい……! おはようございますぅ!」
わたしはばね仕掛けのように体を起こし、直立不動の姿勢で叫びました。
あ、危なかったです。メイドとしてあるまじき行為をしてしまうところでした……
「お、おう。おはよう。うーむ……流石に少し体が重いな」
デュラン様が目をこすりながら起き上がると、ぐっと伸びをしました。
この方は常に気を張っておられるので、これは大変貴重な光景です。わたしは一瞬も見逃すまいと目を限界まで開きました。
「昨日は大変ご無理をなさっていましたから……あの、もう少し休まれますか?」
「いや、大丈夫だ。今日も日課に向かうとしよう。ベル、行くぞ」
「ワン!」
デュラン様はいつものようにお着替えの手伝いを固辞し、ベルちゃんと一緒に朝の素振りに出て行かれました。
お疲れでしょうに……本当に頭が下がる思いです。
「さて、わたしもここのお掃除を頑張りましょう」
お二人を見送った後、残されたわたしは寝室を見渡しました。
壁紙は白の無地、ベッドは天蓋つきですが装飾はほぼ無く、唯一の調度品は壁に掛かった魔王様の肖像画だけ……
貴族の方の寝室としては質実剛健過ぎるのかもしれませんが、わたしはこのお部屋が大好きです。
ここはわたしが初めてデュラン様とお会いした、思い出の場所だから——
わたしの両親は二人ともオーガの戦士で、デュラン様のお父上であるデュハルズ男爵様の部下でした。
でも、わたしが六つの時に両親が戦死してしまって、身寄りのないわたしを男爵様が引き取って下さいました。
そして同い年だからという理由で、デュラン様の専属メイド見習いとして働かせて頂くことになりました。
デュラン様と初めてお会いした時は、大きな犬の魔物を連れた、ちょっと怖そうな男の子だと思いました。けれど……
「ふぅん、おまえがラミルルか……でゅふふ。よし、おれさまのけらいにしてやるぞ! ついてこい!」
「う、うん……!」
デュラン様は慣れない男爵屋敷で縮こまるわたしの手をとり、いろんな場所へ連れ出してくれました。
わたしがベルちゃんと追いかけっこをして転び、泣いてしまった時には、頭を撫でて慰めて下さいました。
見た目や言葉遣いは怖いけど、本当は優しいお兄ちゃん。当時のわたしにとって、デュラン様はそんな存在でした。
両親が死んで塞ぎ込んでいたわたしは、デュラン様のおかげで立ち直ることができました。
でも、わたしの体が大きくなり始め、デュラン様の背を抜いてしまうと、そんな日々も終わってしまいました。
デュラン様はあまり遊んでくれなくなり、わたしに辛く当たるようになってしまいました。
そのことを男爵様がお叱りになると、デュラン様はますます荒れてしまわれて、他の使用人の皆さんにまで厳しく接するようになられました。
そうしていつの頃からか、男爵屋敷全体がおかしな雰囲気になってしまったのです。
わたしという異物のせいです。男爵屋敷にいるオーガはわたしだけ、わたしが無駄に大きいせいで……
そう思って、食べる量を少なくしようとしたこともあったのですが、結局我慢できずに食べてしまいました。わたしはダメなメイドです……
その頃からメイドのお仕事も本格的に始まりました。
お料理できるのは楽しかったですが、体が大きくて鈍臭いわたしは、不注意でよく物を壊したりしていました。
男爵様が気にかけて下さっていることもあってか、先輩メイドの方々はわたしを厳しく叱ることはありませんでした。でも、皆さんの表情には呆れや苛立ちが見えて……
全部わたしのせいです。けれどちょっとだけ……辛い時期が続きました。
それから暫く経ち、忘れもしない、天職神授の儀式の日が来ました。
デュラン様が魔物使いの天職を授かってしまったのです。
魔物使いは殆ど位階が上がらないことで知られていて、弱い魔物を使役して荷運びなどの雑役をするのが普通でした。
なので、その、とても男爵家の跡取りに相応しい天職とは言えず、デュラン様の落胆ぶりも相当でした。
そしてさらに、わたしなんかが男爵様と同じ重戦士の天職を授かってしまったのです。
わたしが居なければ、重戦士の天職はデュラン様のものだったかもしれない……申し訳なさと罪悪感、責められるかもしれないという恐怖で、おかしくなりそうでした。
けれどその日のデュラン様は、儀式の前からいつもと様子が違っていました。
「頼みがある。俺様に、お前達の命を預けてくれ」
まるで人が変わったような様子で頭を下げられたデュラン様に、わたしは自然と頷いていました。
ですが、強力な魔物を仲間にするために訪れた魔の大森林で、わたしはすぐに自分の選択を後悔しました。
「ゴァァァァァッ!!」
遠くから響く恐ろしい咆哮と破壊音。馬鹿なわたしはその時にやっと、デュラン様とベルちゃんが死ぬかもしれないと理解したのです。
わたしがお止めしていれば……わたしが重戦士の天職を授かってしまったから……二人が死んでしまったらどうしよう……わたしのせいだ……
そんな言葉がグルグルと頭の中に渦巻いて、ガタガタと体が震えました。
そうする内に日が暮れて、静かになりました。ですが、お二人は戻って来ません。
その意味を考えることすら恐ろしくて、わたしはただただ目を閉じ耳を塞いでいました。
すると、肩に優しく触れられた感覚がありました。
驚いて顔を上げると、デュラン様でした。ベルちゃんも無事です。
気遣うように優しい表情を見せてくださるデュラン様に、わたしはとてもホッとしてしまって、みっともなく泣いてしまいました。
しかもそれを見かねたデュラン様が、子供の頃のようにわたしの頭を撫でて下さって……わたしは嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。同じくらいに恥ずかしかったですけれど……
そこからも驚きの連続でした。デュラン様は宣言通り、とても強そうなドラゴンさん、ヴァッカスさんを仲間にされました。
気になって後から男爵家の古老の方にお聞きしたら、ヴァッカスさんは伝説に謳われるようなドラゴンさんでした。
なんでも、何百年もの間あの辺りの主として君臨していて、数えきれないほどの魔族の英雄達を返り討ちにしてきたのだとか……
そんなすごいお方を仲間にされたデュラン様、すごすぎです。
そしてデュラン様ご自身も強くなられました。わたしより遥かに……い、いえ、ちょっとだけ軽い体重のデュラン様が、へたり込んだわたしをひょいと引き上げてしまったんです。
そして、わたしにこう言ってくださいました。
「天職や体格の差など、俺様にかかれば些細な問題ということだ。デュフフフ……!」
その言葉を耳にした瞬間、わたしは、自分の全てが許されたような心地がしました。
鉛のように重かった心が、ふっと軽くなったのです。
賢くお優しいデュラン様は、きっとわたしの悩みや罪悪感を見抜いてあの言葉を掛けて下さったのでしょう。
尊敬、感謝、感動……それ以外にも言葉にできない様々な思いが、わたしの中を駆け巡りました。
わたしもこの方のようになりたい……そう強く思いました。
デュラン様には、何かわたしには見えないものが見えているようでした。
あのヴァッカスさんを仲間にされた後も、一年後の試練の日に向け、鍛錬と戦力の増強を続けるとおっしゃったのです。
ならばわたしもそのお手伝いをさせて頂きたい。わたしが授かった重戦士という天職を、あの方のために役立てたい。
その一心で必死にお願いし、魔の大森林での修行に同行させて頂きました。
魔物との戦いは、最初は怖かったです……でも、デュラン様が側で優しく指導して下さったので、辛くはなかったです。
それからはデュラン様と一緒に修行して、一緒にお料理して、一緒に寝起きして……
わたしがデュラン様に抱く尊敬や感謝、親愛の気持ちは、どんどん強くなって行きました。
そして最近では、その、メイドが主人に抱くべきでない、浅ましい気持ちが抑えきれなくなってきて……
先ほどもかなり危なかったです。わたしはデュラン様の専属メイド。間違いを起こしてしまわないよう、デュラン様のように厳しく自分を律しなければいけません……!
「——あ……あとはベッドメイクだけですね」
昔のことを思い起こしながら手を動かす内に、お掃除は殆ど終わっていました。
デュラン様は大変寝相がよろしいので、ベッドはあまり乱れていません。
ここに、さっきまでデュラン様が眠っていた……そう思うと自然と喉が鳴ってしまいます。
わたしは思わず辺りを見回してしまいますが、当然、このお部屋にはわたししかいません。
「ちょ、ちょっとだけ……」
わたしはゆっくりとベッドに体を預けると、シーツに顔を埋めました。
「すぅー……あぁ、デュラン様の匂いがしますぅ……」
シーツに確かに残る香り、それを胸いっぱいに吸い込む幸せと、いけないことをしてしまっている罪悪感に、頭が痺れるようです。
もっとデュラン様を感じたい……わたしはその一心でシーツを手繰り寄せ、ぎゅっと抱きしめました。
こうしていると、昨日不敬にもデュラン様を抱きしめてしまった事を思い出します。
わたしの手の中にすっぽりと収まる、優しくて、愛らしくて、とても強い……わたしの大切なご主人様……
「すぅーー、はぁーー……もぐっ……すぅーーー……はぁーーー……むぐっ……」
わたしは胸に抱いたシーツに顔を押し付け、夢中になって残り香を感じ続けました。
「すぅ……あ、あれ?」
けれど、いつの間にか匂いは消え、抱きしめていたシーツの感触も無くなっていました。
不思議に思って目を開けると、シーツは跡形もなく消えていました。
代わりにお腹が少し膨れた感覚と、奇妙な満足感があって……
「あぁっ……!? ま、またやってしまいました……! ど、どうしましょう……!?」
デュラン様のベッドシーツを食べてしまいました……
実はこれが初めてではありません。ここ最近、ベッドメイクのたびに気持ちが溢れてしまうのです。
わたしはなんとダメなメイドでしょう……こんなことがデュラン様に知られたら……そう思うと冷や汗が吹き出し、お腹の底がずんと重くなります。
「うぅ、メイド長に報告しないと……また叱られてしまいますぅ……」
他の先輩メイドさん達と違って、メイド長だけはわたしにも厳しく接して下さいます。
以前、正直に食べてしまったと報告したら、つまらない嘘をつくなと大変厳しく叱責されてしまいました。
今回は誤って破いてしまったことにしましょう……それでも怒られることには変わりはありませんが……
わたしは断頭台に向かうような気持ちで、デュラン様のお部屋を後にしました。




