#9 ユアセルフ――昔と今
いわゆる、中堅民間航宙会社の宇宙船《リヴァール号》は、三時間足らずで、月面軍民共用発着場に着床した。
《リヴァール号》は幾つかの地点を経由しながら、ガニメデへ向かう予定になっていたが、運行元のノーヴァーリアス運輸は、一隻の宇宙船で旅客と貨物を一緒に運ぶ方式を採っていた。
そのため、中継地ではそれなりの時間、駐機する予定になっていた。
エイミーはその時間を利用して、月の様子を見ておこうと思い立ったのか、気密扉へと歩いていた。
「エイミー、取材かい?」
後ろから声をかけてきたのは、パンタミーマだった。
振り向いたエイミーは、自分よりすこし背の高い客室乗務員姿の彼女を、すぐに見つけて照れくさそうに、
「いや、それほどのことでも……。取材半分、観光半分かな?」
と曖昧に答えた。
「よく見てくるといいよ。月はそう地球と変わらないけど、この先の中継地になると、そうでもないから」
いいながら、パンタミーマはエイミーのすぐそこまで近寄ってきた。
「ねえ、あんたそれ。気をつけたほうがいいよ」
「え? なんのこと?」
エイミーは黒目がちな目をくるくるさせながら訊き返した。
「腕輪。――それ、確か宇宙機構が開発したやつだろ? 評判になって色んなとこが採用して改良も進んだ。だからさ、案外と知れわたってんだよ」
「ん? どういうこと?」
パンタミーマは、腕組みして気密扉に背中をもたせ掛けながら呆れ顔をしていた。
「あんた、ほんと鈍くなったね。つまり、警戒されるってこと」
「ああ、そういうことか!」
「うんそう。そいつにある機能を知ってる人はさ、盗撮や録音されるんじゃないかって目であんたを見るってこと。――それさ、サイズは自由に変えられるやつなの?」
「どうなんだろう?」
「ああ…頭が痛くなってきた。あんたほんとに大丈夫? あまりも警戒心がなさすぎるよ。まるで天然のウサギだね」
パンタミーマの表情には絶句した感があったが、その奥に親心が垣間見えた。
「こういういいかたすると、勘違いするかもだけど、それ首にしとくといいよ」
「なんでまた?」
「あのね、そうすれば比較的警戒されないの。それに便利でしょ、音声指示機能なんだし。なにか撮影するにしても、身体ごとというか顔を向ければ自然に首もそっち向くでしょうが……。誰かと話してても、人って案外首元とか見てないもんだしね」
エイミーは芯から感心したような、きょとんとした顔をしていた。
「ミーシャって凄いね。スパイになれそう。あ! 変な意味じゃないよ!」
「まあさ、あんたは盗撮する趣味はないだろうけど、世の中そういうことする奴がいるから、しない人まで疑いの目で見られるんだよ」
パンタミーマはエイミーへの返答より、自分が伝えたいことを話したいようだった。
エイミーはといえば、いわれるがままにリストコムを外して首に付け替えたあと、的外れに思える質問をした。
「ねえミーシャって、なんでそんな親切なの?」
「あんたとは同い歳だけど、どこかしら妹に似てるところがあるからかもね。末っ子で甘やかされて育ったから、我儘だったり甘えたとこがあってね、しょちゅう苛々させられた。でも可愛くて憎めなかったんだよね。――宇宙機構にいた頃のあんたはさ、そういう感じじゃなかったけど、なんかこの船で会って話してたらそんな風な気持ちになってね……」
「妹か……。わたし兄妹いないからそういうのわからないんだよね……」
そのとき、船内の遠くから誰かを呼ぶ声がした。
パンタミーマを呼んだのではないようだったが、彼女はすぐに反応した。
「あ、エイミーごめん。野暮用だ。呼ばれちゃったよ……面倒なんだよね……」
それには気づかなかったのか、エイミーは質問をつづけた。
「ねえ、ミーシャは中継地で降りたりしないの?」
「ああ、それはできないね。この船、奴隷船みたいなもんだから。乗員が降りたまま帰ってこなかったことが何度もあったらしくて、そのせいであたしらは降りれないの。それに、そんなことしたって、行く当てがなければ乞食にでもなるのが落ち。――まあ、とにかく気をつけて! あと、出航時間に遅れないようにね! じゃ、また!」
そういったかと思うと、パンタミーマは風のように船内に消えていった。
それから二時間ばかり、エイミーは月面発着場周辺を見てまわった。
軍民共用とはいっても、戦闘挺の姿や武器らしきものはほとんど見られなかった。
ところどころに、軍用の輸送艦が停泊していたが、それもそう多くはなかった。
整備員や軍服を着た兵士や将校の姿はちらほらとあったが、戦争はどこか遠いところの出来事だと思わせるような、平静さしか見当たらなかった。
民間が軍に協力しているような情景もいくらかはあったが、緊迫感や切迫感があるとは到底いえなかった。
結局、特に目ぼしい収穫があったわけでもなく、月の雰囲気は掴めたと思えた頃、エイミーは《リヴァール号》から降ろされていたタラップをのぼった。
想像していたのとあまりに違う静穏さに、エイミーはいささか拍子抜けしていた。
船内に戻ったエイミーはなんとなくパンタミーマと話がしたくなり、彼女の姿を探した。
しかし、船内の行ける場所を探し尽くしても、彼女の姿はどこにもなかった。
(でも、この船は奴隷船だっていってた……だから降りれないって……じゃあ機関室とか? そんなところでなにをするの?)
そうなると、船を降りる前に見せた、何でも知っていそうなパンタミーマの不穏な空気が、俄然気になりはじめた。
(どうしてミーシャは、あんなに親切なんだろう? 妹に似てるってのは本当? 嘘かもしれない……。だけど、それをどうやって確かめるの? まさか、本人に証明しろなんていえないし……。昔のミーシャと今のミーシャはどっちが本物? ――昔だって今みたいなところもあっただろうし、今だって昔みたいなとこもあったはず。宇宙機構にいた頃は、散々足を引っ張りあうような競争をしてきたけど、ミーシャはわたしを貶めようとしたことはなかった……。派閥も意見もいつも違ったから、会議では激しくいいあいになって周りが心配するくらいだった。でも、ミーシャって陰で悪口いったり狡いことはしなかった。どうだったかな?……されてたのに、わたしが気づかなかっただけ? でも、人ってそんなに簡単に変わらないはず。それに変わったとしてもどこかに一貫性ってあるんじゃない? けど、そういうのってどうやって確かめればいいの? それがわからないんだよね……)
舷窓から、ちらちらと瞬いたり点滅している、色とりどりの月面発着場の灯りを眺めながら、エイミーは考えつづけていた。
首に付け替えたリストコムに息苦しさを感じたのか、彼女は無意識にそれに触れた。
そのとき、ある閃きが訪れた。
(そうか! ワイフィーを頼ればいいんだ。でも待って。こんなに沢山人がいるところじゃ無理。
それに……そこまでしたくない。わたしはわたしの目と耳と口で確かめたい。けど……こればかりはどうしようもないのかな……)
心を決めかねたまま、エイミーは席を立って個室洗面所へ足を向けた。
狭い個室に入ると、蓋のうえに腰掛けて、またしばらく考えた。
そうして、ようやく意を決すると囁き声で呼びかけた。
「ワイフィー、わたしよエイミーよ。聞こえる?」
「はい、聞こえます。お元気そうな声ですね」
「元気は元気よ。でも、とっても悩んでるわ」
ワイフィーことテライダの声を耳にしたからなのか、彼女は素の自分が戻ってくる感覚に包まれていた。
「ちょっと調べて欲しいことがあるの。ある人物についての身辺調査をお願いしたいの。名前はパンタミーマ・クローウン。女性で年齢は三十一歳。元国際宇宙機構の特級秘書。現在の職業はノーヴァーリアス運輸の宇宙船《リヴァール号》の客室乗務員。その前になにか短期の職についていた可能性はあるけど、恐らくないと推測。現在の国籍はこれも推測だけどアメリカ人。出生はこれも推測なんだけどロシア。家族構成は、またこれも推測だけど両親と兄、妹と本人。現住所や以前の居住地は……駄目ね、これもわからないわ……。こんなところでやってみてくれる」
「かしこまりました。復唱しますか?」
「いや、いいわ。推測と憶測だらけだから。でもできれば、十七歳以前のことを重点的に調べてくれると助かる。頼んだわよ、ワイフィー。わかったら方法を選ばずに返信してくれるかしら?」
「了解しました」
自分の耳にさえ聞こえないような囁き声だったが、エイミーは心臓がばくばくして、いまにも破裂してしまいそうな痛みに呻いていた。
「人を信じるのって本当に難しい……お腹が痛くなってきちゃった……」
そういいながら立ち上がると、すこしばかり青ざめた顔をして個室洗面所を後にした。
座席に戻るまで、通路を歩きながらエイミーは呟きつづけた。
「知りたい、知りたくない……確かめたい、確かめたくない……信じたい、信じたくない……」
そうして椅子のクッションに身体を預けたとき、首元のリストコムが微かに振動して着信を知らせた。
(え? もうわかったの? いくらなんでも早すぎない?)
不審に駆られながら、エイミーは着信内容を確認した。
それは、文字情報による伝言だった。
差出人は、カルハリアス老人だった。
「あら、珍しい。どうしたのかしら」
内容は重要とは程遠かったが、パンタミーマを連想させるロシア民話集だった。
伝言の文章にはこうあった。
「楽しんでますか? 愉しめるといいですね」
最後に、笑顔の絵文字が添えられていた。
「カールお爺らしいわね」
ほっこっりした気分になったエイミーは、送ってもらったロシア民話を幾つか読みながら、くすくすと笑った。
「でも、寓意とか全然わからないな……」
そう呟いたあと、沸き上がってきた眠気にまかせて眠りの海に溶けていった。




