#6 コンステレーション――腕輪
別れの悲哀と再出発の緊張を抱えながら、エイミーは確かな足取りで、靴音の響かない床を踏んでいた。
彼女がテライダの前を離れて、長椅子に座った祖母の隣に腰かけたとき、エポラールが真剣な眼差しをしながら口を開いた。
「それであんた、母さんには話すつもりかい?」
「そう、それが一番の問題なのよね……」
エイミーは遠くて近い両親の面影を探しているのか、視線が彷徨いだした。
「お婆ちゃんはどう思う?」
「あたしに訊くことかい?」
「それはそうなんだけどさ……。でも、話さないでいいかなって。特に父さんには……」
「……」
「……」
喋りだすと口に羽が生えるだの、鳴りやむことのない機関銃の銃火だのといわれる二人が、しばし沈黙に場を明けわたした。
「サムについては同意見だね。――それにまあ、エラステーもそうかな……」
エイミーは左手に嵌めた銀製のアクセサリーにしか見えない、リストコムをくるくると回しはじめた。
「話す、話さない、話す、話さない……」
「おやめってば、それは」
目も虚ろで訪ねて来て、幽霊のように部屋をふらふらしていた頃の孫娘を想起するのが我慢ならなかったのか、エポラールはぴしゃりといった。
エポラールは仕方なさそうに口火を切った。
「サムはそっとしておいてやるのがいいだろう。あんたの父さんはさ、平穏で平凡を愛する人じゃからな。そらな、あたしなんかからすれば、あんたのその平穏はただで手に入ってるもんじゃないだろがと、嫌味のひとつもいいたくなるときはある。けどな、そういう人も必要なんじゃろうね」
エイミーはリストコムを回しながら黙って聞いていた。
「でも、サムはあたしらがやってることは全部知ってるさ。けど、口外したくないし、干渉もしたくないんだろうね。――あんたの母さん、エラステーはというと、どっちかというとあたしらに近い位置かね。でもあの子もまたサムと同じものを愛してもいる。あの子はとにかく勘が鋭い。あんたが前にここに来るのを案内したとき、あの子がどんなだったかは憶えてるじゃろ?」
エイミーは、生まれてこのかた知らなかった母の一面を垣間見たときの驚きを、胸に浮かべていた。
「だからさ、話さなくてもいずれは気づくよあの子は。でもさ、あんたの母さんはああ見えてとても弱いところがある。――あんたが十七になったときのことさ。『わたし宇宙機構で働きたい!』っていいだしたときのエラステーの動揺ぶりは、いまも目に浮かぶんじゃわさ。なにしろ複雑だったからね。宇宙機構に行くってことは、あたしが昔付きあってたヴァルトの元に行くのと変わらんかったからね。そのヴァルトとあたしの間になにがあったかは、前に話したとおりさ」
「……」
「そりゃあさ、あんたの就職の口利きをするのはそう難しいことじゃなかった。実際とんとん拍子で話は進んだよ。けど、あんたの母さんが心配したのはさ、あたしとヴァルトの因縁にあんたが巻き込まれて、理不尽な扱いを受けるんじゃないか。その一点だった」
「そうなんだ……わたしなにも知らなかった……」
エイミーのリストコムを回す手が止まった。
「実際問題、あの男は随分と酷いことをいったさ。『雇うのは構わないが、特別扱いはしない』とね。――それを話して聞かせたときのエラステーといったら……」
エポラールは珍しく目を潤ませていた。
「お婆ちゃんにも、自責の念があったのね……」
「けどな、あたしもあの子も考えてたことはひとつだった。――エイミー、あんたのしたいようにさせてやりたい……それだけじゃった。幸運だかなんだか知らないが、ヴァルトはそれほど長いあいだ本部長でいなかった。そんで、Jr.が後を継いであんたはそのJr.と馬があったというわけさ」
「ディッキーはそういうことなにも話さなかったな……。あのね、お婆ちゃん。わたしさっきルフトさんにいわれたの。『そんなに一人で頑張らないでいい。僕は君をもう守ってあげられないけど、僕以上の適役が君を守るから』って……。知らないところでずっと守られてきたんだね、わたし……」
「あの人ならいうだろうね。――それでどうしたいんだね? 話すのかい? 話さないのかい?」
エイミーは躊躇を見せずに首を振った。
「今度はわたしが黙ってみんなを守らないとだもん。出来るかどうかは別としても」
エポラールは孫娘の肩を抱き寄せると、とんとんと叩きながら先をつづけた。
「まあ、そう無理しなさんな。あんたは自分のやりたいことをすればいいだけさ。サムもエラステーもあたしもそうしてきた。案外いいバランスだったんだけどね。あたしはこっち側、サムはあっち側、エラステーはどっちつかず。そこであんたがどう振る舞おうと、どうしたってバランスを崩す損な役回りに生まれたのさ。運命というと大袈裟だけどね。――かといって、あんたは母さんと同じように、どっちつかずを選べる性格でもない。――もっとも、こうなってみると、あたしがあんたを引き込んだみたいに見える部分はあるけど、それは違う。あたしは一回だってあんたにこっち側に来いといった試しはない」
「うん、わかってる。でもね、わたし本当はもっと早くいってもらえたほうがよかった気もしてる。けど、それはいまだからいえるのかもね……。とにかく、父さんと母さんの生活を壊したくない気持ちだけは本当よ」
エポラールは強気な孫娘を見据えたあと、とんとんと肩を叩いていた手を止めた。
「エイミー、そんなに気安く『本当よ』なんて口にするもんじゃないよ。せめて『嘘はない』くらいにしておきよ」
「だって、本当に本当なんだもん。お婆ちゃんわたしを疑ってるの?」
「そうじゃない。あんたが、あたしらの気持ちをわかるようになるには、まだ時間がいるだろうといってるんだ」
「どういう意味?」
「あんたの母さんだって、あたしの本当の気持ちなんかわかるわけがない。あの子があたしの気持ちをわかるようになるときは、あんたの子ども、つまり孫を腕に抱いたときだろうよ。あんたもその歳なら、子どもがいてもおかしくない。これもまた運だの縁みたいなものはあるけど、あんたなんて母さん以上にそのへんがわかってないのさ」
「……」
エイミーはなにもいい返せなかった。
そして、ようやく祖母が見ていた世界の深さに気づいて、自分をすこしだけ恥じた。
実感を持ってしかわかりえないだろう話は尽きたと見たのか、エポラールは急に話題を変えた。
「さあて、湿っぽい話はこれでお仕舞い! 今度は少しばかりあんたに実務的な教育をしないとならん」
「まだあるの !?」
エイミーは、電光石火のように切り替えの素早いエポラールに、思わず驚きの声をあげた。
そうして、エイミーはリストコムの使い方を説明された。
「それはただの腕輪じゃあないよ。さっきのやり取りであらかたわかってるだろうけど、そいつは声紋に反応する仕掛けだ。最新の型だからあんたの囁き声だってちゃんと聞いてる。迂闊なことをいうと、ワイフィーに筒抜けってわけさ。寝言だって聞かれちまうよ。――でも安心しとき。ワイフィーはあんたのプライバシーに関する部分には絶対に干渉しない。例えば、誰と恋愛しとるとかだな」
エポラールはおどけたように笑ったあと先をつづけた。
「いうなれば記者向けの機能も十分にある。音声の録音再生はもちろん、そう長時間でなければ録画だってできる。そこに嵌ってる宝石みたいんがカメラだな」
「これが !? ぜんぜんわからないじゃない」
エイミーはリストコムを捏ね回したり、外したり着けたりしながら、エポラールの話に耳を傾けていた。
「ほとんどのことは音声で指示を出せるが、文字情報も扱える。いまはなんにも出てないけど、なかなか綺麗な虹色の文字が流れるようになってる。もっとも一般的な文字とは相当違うがね。ようするに気にしなければ、象形文字的な装飾に見えるって訳だな。――だから、それを読むにはそれなりの訓練がいる。なにしろ三重の暗号みたいなものだからね。でも、その暗号帳はもちろんない。ここに叩き込むってことじゃね」
といって、エポラールは指で自分の頭を突付いた。
「いっておくけど、メモ書きは一切許さないよ。いまここで憶えてもらう。後から書き出して置くのも駄目。全部、頭のなかに入れとくこと」
「お婆ちゃん、本気でいってるの?」
「もちろん本気だとも。それにこれは、あんたへの餞別みたいなもんさ」
「やめてよ、そういういいかた。縁起が悪いじゃない」
「そうじゃないだろ。なんであんたは悪い意味でとるんじゃ? 門出を祝ってるのさ」
「まるで拷問みたいな門出だけどね」
「まったく、その口はいつまでたっても、お子様だね!」
「というかお婆ちゃん、いつもこんなの読んでたの?」
「ああ、そうだけど、それがどうかしたんかい?」
「だから、その歳になっても頭がシャキッとしてて、ボケる兆候すらないんだ」
「あんた、あたしにボケて欲しいんかい?」
「いや、そういう意味でいったんじゃないよ。褒めたつもりなんだけどな……」
他愛ない口喧嘩のあと、彼女は三時間ほどかけて祖母から文字暗号を教わって暗記した。
「それからね、突然匿名の宛先から音声や文字伝言が届くこともある。大概は使い物にならないけど、なかには一級品もあれば、気分を癒してくれるお伽噺みたいのもある。まあ、どう役立てるかはあんたしだいだね」
「お伽噺まであるんだ……」
「世の中そんなもんじゃろうが」
「まあね」
「さて、そろそろ引き上げるかね。外はもう夜だろうさ。――カールがさ、最近妙に寂しがるようになってさあ、ちょっとばっかし面倒なのさ。まあそれでもロマンスはやめられないんじゃがな」
「お婆ちゃんてほんと懲りないよね」
「ええからええから、さあ行こう。あんたもいい男を見つければちっとは、あたしの気持ちもわかるんだろうがねえ」
こうして、エイミーは気づかぬままに、巨大なネットワークの海に飛び込んだのだった。
夜空には繋いだ線の見えない星座たちが、彼女を見守るように煌いていた。




