#5 パートナー・シップ――隠語
ルフトの集中治療室から出てきた、エイミーの泣き腫らした真赤な目を見たエポラールは、なにもいわずに孫娘と歩調にあわせて歩きだした。
だが、大地から湧きあがってきたかのような大きな半球形の物体が、透明のシールドに守られて鎮座しているところにくると足をとめ、
「エイミー、これから先、なにかとあんたの役に立つだろうから、こいつを相棒にしておきよ」
といった。
「え、テライダを?」
「そう、テライダをね」
エポラールは面白いことになってきたという顔をしてエイミーの様子を窺っていた。
「ただし、今日からこの子はあんたにとってのテライダではなくなる。あんたとだけの主従関係を結ぶってわけだね」
「お婆ちゃん、相変わらずいってることの意味がわからないわ」
エイミーは辛い別れのあとだというのに、あっけらかんとしている祖母に納得がいかないようだった。
「まあええから、ちょっとここへお座り」
そういってエポラールはテライダの傍に置かれた長椅子に腰掛けた。
祖母とルフトの思い出話をしたかったエイミーは、悲しげな顔をしながらいわれるままにした。
「あのな、エイミー。わたしらはこの子で繋がっとる。ルフトも同じさ」
「……」
「ええかい、そもそもこのテライダを作ったのは誰じゃ?」
「ルフトさん……」
「そう、そのとおりさ。だからわかるじゃろ。別れたようで別れてないって」
エイミーは小さく頷いた。
「もっともさ、そういうのは気の持ちようみたいんとこはある。だけどな、実務的な意味もあるんじゃわさ。いいかい、よくお聞き。あんたがちっとばっかり意地になってジャーナリストになったところで、大したことはできゃあせん。でもさ、このテライダと繋がってれば、まあちったあましな仕事になるんじゃないかい? 最低限食うことには困らんじゃろうよ。――宇宙機構にいたときの貯金が幾らあるか知らんけど、あんたがちょっとばっか宇宙を飛び回れば、そんなもんは儚いもんさ。もちろんテライダは金の成る木でもなきゃ、アラジンの魔法のランプでもない。でもさ、その助けくらいにはなるよ。どうだい考えてみては?」
「お婆ちゃんのいってる意味が全然わからないんだけど……」
エイミーは泣きたいような怒りたいような感情を祖母にぶつけた。
「つまりは情報さ」
「情報?」
エポラールはどこか遠くを見るようにして話しはじめた。
「あのなエイミー、この世の中で一番価値のあるもんはなんだと思う?」
「命?」
「まあそれはそうだが、それははかれんじゃろうが。だとすると情報じゃあないかい? だからこの情報をたんまりもってるテライダと繋がっておけば、何かと役に立つというわけさ。あんたのしたいジャーナリストってのはそういうもんだろうが。違うかい? でもあれさ、何でも知ればいいってもんじゃないことは、あんたも痛い目に遭ってもうわかったろう」
エイミーはようやく話の半分が見えたような気がしていた。
「あたしらは世間では秘密結社だのなんだの胡散臭いいわれようをしとるが、そんなもんじゃない。あんたもしばらくあたしのしてることを見てたから、わかるじゃろうけどさ、そもそも素性もわからん相手と話してるのが普通だ。――いってみればさ、信頼関係ってのだけなのさ」
「じゃあ電話の相手の名前も知らなければ、どこに住んでるかもどんな仕事をしてるかも知らないの? そんなことって出来るものなの?」
俄然興味が湧き出したのか、エイミーは祖母の顔を覗き込むようにして訊いた。
「ああ、わからん。なんにもわからん。けどな、テライダに聞けばそれが嘘か本当かは大体わかるんさ。そんなだから、あたしらが主人なのかテライダが主人なんだかもよくわからん」
「でもお婆ちゃん、隠語だって取り決めがあるんじゃなくて? だってそうしないと話が見えないじゃない」
エイミーはかつて宇宙機構の本部長室で、ディッキーと取り決めた隠語の会話を思い出していた。
「そんな取り決めはないよ」
「暗号帳とかあるんじゃないの?」
「ないない、ないね、そんなもの。わたしらにあるのはコード・ネームみたいなもんだけさ」
「お婆ちゃんの場合、εがそれ?」
「おお、あんたよくわかったじゃないかい。なんだい、結構見込みがあるね」
そういってエポラールは軽快に笑った。
「そんなら、あんたの母さんのもわかるじゃろ?」
「もしかして……"果樹園"?」
「勘がいいじゃないかい。合格じゃ。そんで、あんたはどうするね?」
エイミーは不思議そうな顔をしながらしばらく黙って考えていた。
「わたし、そのままがいいな。テライダはテライダだもの。それ以外はなんだかピンとこないわ」
「そういう訳にはいかないんだよ。つまりね――」
エポラールは上着のポケットに手を入れ、ひとつの腕輪を取り出して見せた。
「ここ以外でテライダと話をするには、これを通じてになる。そんなとき、『もしもしテライダ』なんてあんたいうんかい?」
エイミーは首を振った。
「でも、テライダはテライダだもの、そんな変わった呼び方をするなんて、ルフトさんに失礼でしょ? 名前をつけたのだってルフトさんなんでしょ?」
「あんた、もうすこし実務的にならんと、どこでなにしても同じことだよ。あんたのそういう素直なところは、あんたのなかにしまっとき。ちょっとは演じることを憶えなきゃ、あんたの行こうとしてる世界では生き残れないよ。ましてや、ジャーナリズムなんて世界は、食いあいの世界さ。しっかり現実を見んしゃい。宇宙機構にいたときのように、上司は守ってくれないよ。――さあ、どうするね、コード・ネームを決めるかやめとくか、ここで決めんしゃい。もう後はないよ」
エイミーはまた押し黙ったが、決心したようにいった。
「でも、テライダはテライダよ」
「強情な子だね。先が思いやられるわ。ええかい、ほんならこうしよう。テライダをローマ字にすると、" Teraida "さ。だけどそれじゃあんまりにも芸がない。だから、"Telida"にする。そんでもって、それの愛称みたいなんをあんたのコード・ネームにすればいい」
「例えば?」
エイミーはこのとき祖母が教えようとしていることを察しはじめていた。
「うんとな、そもそも"Telida"ってのは、アラスカの地名じゃわさ。そんで、そこで自給自足してきた人たちがおってな、遭難した探検隊を助けたってな話がある。――そこの人たちが自分らの住んでるとこを"Telida"と呼んどったらしい。で、それを"ホワイト・フィッシュ"と呼ぶこともあるらしい」
「ホワイト・フィッシュね……。いい名前ね、わたし気に入ったわ」
エイミーは心のどこかで不穏なやり取りを愉しんでいるのに気づき、幾分戸惑いを感じていた。
「さあじゃあ、テライダに自己紹介してくるといい。この腕輪をしてな」
それは宇宙船《リヒト・スヴィエート号》でシレーヌが常時着用していた装備を大幅に改良した腕輪通信機だった。
見た目にはまったく通信機だということがわからないほど、普通の腕輪にしか見えなかった。
エイミーはリストコムを装着すると、長椅子から立ち上がってテライダの傍に行くと、恐る恐る話しかけた。
「こんにちはテライダ」
「こんにちは。その声には聞き覚えがあります。確か、エイミーさんですね?」
彼女の表情には素直な驚きがあったが、もはや逃げられないと悟ったのか、意を決したようにいった。
「ええと……わたしはエイミー。今日からあなたとコード・ネームで繋がることになったエイミーよ。よろしくね」
エポラールは肩に力が入って声を張り上げる孫娘の後姿を見ながら、くすくす笑っていた。
「それでは、コード・ネームをどうぞ」
テライダの声に迷いはなかった。
「えっとお、なんだっけ、お婆ちゃん?」
「白い魚」
「あ、ホワイト・フィッシュよ! 憶えられてテライダ !?」
エイミーは緊張を隠せなかった。
「コード・ネームの重複を検索します。しばらくお待ちください。――検索を完了しました。エイミー・ゾイ・オイ。あなたをわたしのパートナーと認めます。よろしくお願いします」
「それで、わたしは、えっとお、あなたのことテライダって呼んじゃいけないらしいんだけど、どう呼べばいいの? ……っていうか、なんであなたはわたしのフルネームを知ってるの?」
そのとき、エイミーは祖母がすでに、このことを準備していたことに気づいた。
「そのまま、そのコード・ネームで呼んでください。ですから、今日からは、あなたはホワイト・フィッシュであり、わたしもホワイト・フィッシュということです」
「花はわたしでわたしは花、蛇は果物で果物は蛇」
エイミーの口を衝いて出た言葉は、あの呪文のような言葉だった。
「お婆ちゃん、狡いよ!」
エポラールは笑いを堪えきれずに、長椅子に座ったままのたうつように笑っていた。
その隙をつくように、テライダが喋りだした。
「エイミーさん、コード・ネームが長いとお考えなら、略称でも結構です。例えば、フォネティック・コードだと、ウイスキー・フォクストロットですが、これはいささか長いですね。ですと、"WF"が一番短いかと思いますが、もちろん、それ以外も可能です。例えば、Wi-Fiとか――」
「テライダ、それはあまりにも俗すぎるわね……となると、ホワイト・フィッシュを縮めて、嫁ちゃんとかどうかな?」
テライダは何も答えずに沈黙した。
「エイミー、もうテライダって呼んでもこの子は応えないよ」
ようやく笑いのおさまったエポラールが助け舟を出した。
「ああ、そっか……。なんだか頭が混乱するわね。――じゃあ、ワイフィーってことでどうかな? ワイフィー」
「ええ、それで構いません。要するに、隠語というのは、互いの信頼関係があれば、自然と通じるということのようです。もっともわたしたちのやり取りの場合、名前より重要なのは声紋ということになります。なので、いってしまえばエイミーさんの声であれば、案外適当な名前でも差し支えありません」
「お婆ちゃん……。お婆ちゃんはこうやって人を育ててきたの?」
エポラールは無言で頷いたあといった。
「だからいったじゃろうが、隠語なんてないと。信頼関係がすべてだって」
「よくわかったわ」
「エイミー、あんたの素直に人を信じる性格は長所だよ。だけどね、その前に見極めるって作業を忘れちゃいけないよ」
彼女はエポラールのいった言葉をどこかで聞いた気がして、そわそわしだしたが、すぐにその情景が脳裏に浮かびあがった。
ルフトが倒れたあと、祖母の施設に匿われたと知り、リッキーとともに様子を見に行く話しあいをしていたとき、ディッキーにいわれたのだと。
――人を信じるなといってるわけじゃないんだ。信じる信じないではなく、人を見極められる自分になることが大事なんだろうね――。
エイミーは思った。
(どうして他人のほうがわたしのことをよく知っているんだろうか?……)
さらに以前、集中治療室に向かう途中で祖母に諭された言葉が脳裏に浮かんだ。
――あんたがその目で見て、あんたがその耳で聞いて、あんたがその手で触れ、あんたがその口で話しかけたことがすべてじゃよ。それ以外を言葉にしたところで虚しくなるだけさ――。
(わたし、お婆ちゃんがいってた言葉の表面しか見てなかったんだ……。きっと……お婆ちゃんが本当に伝えたかったのは、見たり聞いたり話したことも真実なんじゃなくて、それが自分にとって真実であるか確かめろってことだったんだろうな……。でも、そのためにはどうすればいいんだろう?)
そう考えながら、彼女はワイフィーというコード・ネームが気に入っていた。
女性としての憧れであるリッキーを呼んでいるような、優しい気持ちになれたのだった。
いつか上司の奥さんではなく、ひとりの大切な友人として、
「今日は嫁ちゃん、なに食べに行く」
といっている自分を何度も夢に見たエイミーだったのだから。




