#54 トリニティー――紅茶
エイミーは超電導地下鉄と裏月車力を乗り継いで、約三日半、距離にして約七千キロ――地球一周の約六分の一――あまりを走破して、ようやくパンタミーマの棲家に辿り着こうとしていた。
「あー、もうほんとにお尻が痛い」
何度もあげた悲鳴がこれで終わるのかと、ほっと一安心するほど過酷な旅だった。
神酒地下居住区はいくつかの区画に分かれていて、それぞれに酒名がつけられていた。パンタミーマの住居があるのは、ストリチナヤというウォッカに由来していた。
「首都」という名のとおりその区画は居住区の中心部にあった。
エイミーはそこへ辿り着くまで、エポラール邸から通じていた地下壕にあったのに似た、円形の分厚い扉を何度もくぐり抜けた。
「まるで核シェルターね。それに各区画を隔壁で仕切って、なにかあったときには閉鎖して、感染症や戦災被害を最小化できるのね……。これは凄いわ……」
彼女はその設備の充実ぶりに目を見張り、あちらへこちらへと視線を投げていた。
実際、神酒地下居住区は彼女が見積もったとおり、シェルターの機能を持っていた。
しかも区画間の行き来が遮断されても、各区画ごとに設けられた頑丈な貨物用エレベーターによって、地表との行き来が可能で、そこから補給物資を搬入したり、場合によっては宇宙船で脱出することも可能だった。
こうした光景を目にして感嘆の電流に痺れながら、エイミーはようやくパンタミーマの棲家の扉の前に立っていた。
その扉もまた円形の分厚いもので、防災戦災対策が各家庭規模であることを示していた。
しかし、扉にかけてある表札はいかにも人間くさかった。
おそらく、パンタミーマが自作したであろうボードに、なぐり書きしたような文字で、「パンタミーマ・クローウンのお家 ノックは静かに !!」と書かれていた。
その下にも二行にわたってなにか書かれていたが、エイミーには判読できなかった。
彼女はそれを見ただけで頬を緩めてしまい、ミーシャとは絶対にうまくやれるという、根拠なき確信がむらむらと湧き上がったようだった。
(静かにね……)
エイミーは遠慮がちにノックした。
すると、すぐに扉が開いた。
「おうおう、エイミーちゃん。随分と久し振りじゃないか。しかもそんな青白い顔してどうした?――なんだいなんだい、三年近く一度も顔出さないどころか、電話一本寄こさなかったくせに。いまごろなんだい。――まあ、電話はかけても置いてなかったから通じなかったけどな」
いきなりパンタミーマの応酬にあった。
エイミーはすぐに理解した。それが彼女なりの歓迎であり軽口であるのを。パンタミーマは1インチどころか、1ミリも変わらずパンタミーマだと感じ取ったのだった。
「ミーシャ!」
彼女は会えない間に口にした回数など、とっくにわからなくなっていた、パンタミーマの愛称を呼んで抱きついた。
「おーい、お姉さん。あたしそういう趣味ないんだけど、どういうこと?」
そういいながら、パンタミーマもエイミーの背中に腕を回して頭を肩に預けていた。
二人はそのまましばらく無言で背中を擦りあったり、頬を寄せあっていた。
しばらくすると、パンタミーマが身体を離していった。
「とにかくまあ入りなよ。さあ入って入って。――狭くはないけどなんにもない。でも、怪獣が二匹いるぞ」
「怪獣?」
「餓鬼んちょのこと。いまは寝てるから天使みたいなもんだけど、起きるとうるさくてかなわない」
エイミーは目をきらきらと輝かせながらいった。
「ねえ、見たい! 見せてー! ――って違うね。会いたい、会わせてだった」
「寝てるからあとでな。――その代わりこれ見とけよ」
そういってパンタミーマは表札を手にとってエイミーに見せた。
「読んでみな」
「パンタミーマ・クローウンのお家 ノックは静かに !!」
「違うそこじゃない! その下」
「え? えっと……どう読むんだ?……ごめん、読めないんだけど……」
パンタミーマは彼女の戸惑った顔を面白そうに見て微笑んだあと、段ボール紙でつくった表札で、エイミーの頭をぽこぽこ叩いた。
「相変わらず、おりこうさんなんだから。まあいや。さあ入って入って」
こうして、エイミーが三日半の長い旅路の間に抱えてきた不安は、一気に解消された。
彼女は部屋の奥に案内されながら驚いた。《リヴァール号》時代のパンタミーマは物持ちが多いので知られていたのに、その部屋には必要な物以外なにもなかったのだ。
エイミーは二部屋を通り過ぎて客間に通され、テーブルと対になった椅子を勧められて腰掛けた。
パンタミーマはすぐに話しかけてきた。
「とりあえずなんか飲むか? お腹は空いてない? というか、ここまで来るの大変だったろ?」
エイミーはすこし呆れ顔をしながらぷっと吹き出してからいった。
「ねえミーシャ、そんなにいっぺんに訊かれても答えられないよ」
「あー、ごめんごめん。毎日毎日、怪獣二匹を相手してるとこうなるんだってば」
といってパンタミーマは笑った。
「じゃあ、とりあえず飲み物でいいか?」
「うん」
「酒飲むか?」
「いや、ちょっとそれは……」
「なんだいなんだい、再会を祝すのにチーンってしようかと思ったのに」
パンタミーマの表情にすこし寂しさが過っていた。
「ミーシャ、子ども産んだあと、お酒また飲むようになったの?」
「いやそれがさ、産んだら体質変わったのか知らないけど、飲んでも美味しくないの。だからほとんど飲んでない。――酒を置いてるのは、ここへ物資を届けにくる荒くれた連中のため。古い顔もいるけど新顔もいてね。とにかく酒やっとけばご機嫌な奴らが多いんだよ。それで置いてるだけ」
「相変わらずみたいだね、ミーシャは」
背中を見せて紅茶を淹れているパンタミーマの話を受け答えしながら、エイミーはそっと席をたって彼女の後ろに立つと、
「ミーシャ、わたし赤ちゃんできたから、お酒飲めないの」
と耳元で囁いた。
「なんだって !?」
パンタミーマがすぐ反応して振り返った瞬間、二人は頭をぶつけた。
「痛っ!」
「エイミーの石頭!」
二人して頭に手をやって笑いだしたあと、パンタミーマがいった。
「で、誰の子?」
「うーん……難しい質問だなあ……」
といながら、エイミーは勧められた席に戻っていった。
そうしてパンタミーマが淹れたロシアン紅茶が運ばれてくると、二人は離れていた年月などなかったかのように語りあいはじめた。
「それで、誰の子なんだよ?」
「え?」
「なんだよ、隠すことかよ」
そういうとパンタミーマは子守唄を口ずさむように歌った。
「エイミーのお腹のお子ちゃまは、いったいどこの子、誰の子だ? さっさといわないと、取り出すぞ」
「なにそれ。面白い」
「いいだろ。こうなんていうか、深刻さが1インチもなくてさ。――それで誰なの?」
「当ててみて」
パンタミーマは足を組み、それから腕組みをして、背中を反らせてあらぬ方を見てから、組んだ手足をもとに戻してから、エイミーを見つめていった。
「フイデースだろ」
「え、なんでわかるの!」
エイミーは素直に驚きの声をあげた。
「いいかい、エイミー。ママになるとね、勘の働きが違うんだよ。大体さ、毎日なにしでかすかわからない怪獣二匹を相手にしててみ。嫌でもそうなるって。――まあ、それは冗談だけど、《リヴァール号》で送別会やったじゃん。あんとき、こいつら二人妖しいなって気づいてた」
「ふーん、自分の妊娠にはあんなに鈍感だったのにね」
エイミーは口を尖らせながら皮肉をいった。
「うるさーい。それいうなー」
「それにさ、ミーシャ、ママになってからお化粧しなくなったでしょ?」
「だからなに?」
エイミーは得意になっていった。
「相変わらずなにもしないと童顔だね」
「うるさいんだよボイン! あんたもボインのまんまじゃん。しかもあれだよ、妊娠してるなら、これからさらにボインになるんだってば!」
二人は腹の底から大笑いしていた。
しかし、そのさらに底ではどうしても深刻な話を避けきれないことを知っていた。
「ねえミーシャ、あれからティーポとは会ったの?」
「あれからって、ガニメデであいつが船を降りてからってこと? なら会ってない」
エイミーは両手をテーブルに置いて前のめりになった。
「ねえ、それで納得できてるの?」
「仕方ないだろ。ああいう奴なんだから。――それよりエイミー、あんたはどうなんだよ?」
パンタミーマはそこで口を閉じてもじもじしたあと、先をつづけた。
「あたし……ひととおり知ってるよ、あんたの周りでなにがあったか……」
「そっか……。じゃあ、ディジアのこともフーディのことも知ってるのね?」
パンタミーマは黙って深く頷いた。
「じゃ、コロラド同時多発テロのことは?」
「知ってる」
「そう……」
エイミーの瞳は潤んでいまにも涙が零れ落ちそうだった。
「だから心配してた。けど、なにもできなかった……。餓鬼どももいるしさ。まあ、それいいだしたらぜんぶ言い訳になるけど……」
エイミーは俯いていた顔をすっくと上げると、パンタミーマを見つめていった。
「そんなことないよ。ミーシャはミーシャで大変だったのわたしわかってたつもり。――それをいったら、わたしだってなにもできなかった」
「まあまあ、お互い様だな。――だからさ、あたしさっき玄関であんたを抱きしめたとき思った。もう次はないと思ってぜんぶ話そうって。それに、お腹に子どもいるって聞いて、なおさらそう思った」
「……」
「そもそもここに来るのだって大変だったろ? 僻地のなかの僻地みたいなとこだからな。来るだけだって一苦労どころじゃなかったろ。仕事がどうのとかは聞く気ないけど、金だって湧いてくるような状況じゃないっぽいしな。――だから、なんか訊きたいことあったらなんでも訊けよ。あたしが知ってることなら、なんでも教えてやるから」
「……」
エイミーは口から言葉が出てこなかったが、その代わりに目から涙を零した。
「でもさ、あんまり泣かれるの困る。苦手なんだよね。すまんな」
「うん……」
そう返事をして頷きながら、ポケットからハンカチを出して目尻に当てたエイミーは、必死に笑い顔をつくろうとして、くしゃくしゃの顔になった。
パンタミーマはそれっきり黙ってしまうと、テーブルの上に両手を置いて、エイミーの指先に指先を触れさせて、あやすように動かしていた。
それから急に席を立って、
「紅茶、二杯目、淹れてくるわ」
といった。
二つの空になったティーカップが下げられ、湯気をあげるダージリン紅茶が注がれた二つのティーカップが置かれた。
エイミーとパンタミーマは、熱い紅茶がすこし冷めるまで黙っていたが、口に運べるようになると、パンタミーマが切り出した。
「それで、なにから話したい?」
「そうね……パヴリーンとか、《リヴァール号》あたりのことからがいいのかな……」
「またいきなり面倒なとこから行くな。まあいけど。それで?」
エイミーはどう話したらいいものかと、頭のなかで相関図を練っていた。
「あのね、ミーシャ。ティーポがいってたことが謎だらけなの」
「そりゃそうだ。あいつ自身が謎だからな」
そういってパンタミーマはくすりと笑った。
「でも、それを説明するのが大変でね」
「いいからいってみな」
こうして、エイミーはパヴリーンが常にペアで存在すること。すべての根源に二つの水晶があり、それから作られた水晶玉と国際宇宙機構が作った人工知能、ネライダとテライダのこと。それぞれの守り手と、名前のない人工知能が存在しうることなどを、つらつらと物語った。
その話を耳にしたパンタミーマは、
「それ、ほとんど間違っていないと思う」
といった。
「どうして? どうしてミーシャはそういえるの?」
「あのな、あたし三年前に《リヴァール号》を降りてから、情報屋みたいな商売をはじめたんだ。無論、それまでどおりに物も扱ってるんだけど。今じゃ情報のほうが遥かに収入になってる。そんで、そのテライダっていうのとも一応、繋がってるだ。あとその名前のないのともな。――もちろん、あんたも知ってのとおり、あたしのコードネームは教えられないけど」
エイミーは心の底から驚きの声をあげた。
「嘘みたい……。じゃあミーシャはわたしよりよほど優れた結社員じゃない。でもだったら、なんでわたしがテライダからミーシャの噂とか聞けなかったんだろう?……」
「それは、あたしがもっぱら引き出すだけだったからだろうね。それにその名前のないほうと、あんた繋がれてないだろ? ――あとほら、あたしにはティーポがいたろ。ある意味で謎掛けの天才。そんで、あんたと同じように推理力っていうのかな、それが自然についてね。そんでいままで情報屋でなんとかやってこれたってわけ」
エイミーは次になにを訊くべきかすら頭に浮かんでこないようだった。
「なあエイミー。ティーポっておかしくないか? あいつどう考えてもふつうの人間じゃないだろ? そういうとこあったろ?」
「ひとつあるよ、ミーシャ。あのね、どういえばいいんだろ……。ティーポっていわゆる年齢とさ、その中身っていえばいいのかな……それがあまりにもそぐわないんだよね」
そういって、エイミーはチクローポが九歳のときに、二十二歳のルフトに会っていたことを話した。
「あんたそれによく気づいたわ。大した調査力だよ。ほとんどの人は他人にそこまで興味を持たないからね。――さて、問題はその理由だけど、わかる?」
「わからないよ。だからずっと胸にしまったままにしてた。ガニメデでさ、ティーポに直接聞いたけど、答えてくれなかったしね」
パンタミーマは何度も頷いたあといった。
「そりゃな、あいつの最大の秘密だからな。もっとも本人にとってみたら呪いなのかもしれない。――つまりこう。あいつはあの船で産まれた。それである区画で育ったんだけど、そこは異常に時間の流れが遅かったらしい。だから、あいつが九歳になったころには、世の中の時間は二十年とか三十年進んでしまってたってわけ。あいつが無口で無愛想なのは、そういう環境で育ったかららしい」
「相対論的時間だ……」
エイミーは話の内容に薄ら寒さを感じたのか、聞きながら手を伸ばして、パンタミーマの指先に触れた。
パンタミーマもその気持ちがわかったのか、彼女の手を握って先をつづけた。
「あたしさ、宇宙機構にいたわりにはそういう難しい用語とか苦手なんだけど、とにかくそういうことらしい。――じゃあさエイミー、なんでそんなことが起こったと思う?」
「わからない……」
「おりこうさんだな、あんた。ほんと可愛いわ。――《リヴァール号》の機関見たろ? あれが原因。宇宙にひとつしかないような変わった機関だったろ」
「……」
「その機関のせいで、あの船のなかには、ほとんど時間が止まったようにゆっくり流れる場所が作られるらしいんだ。だけど、それを嗅ぎつけて見つけられるのは、ティーポみたいにあの船で生まれ育ったような、ふつうじゃない人間にしかできないらしい」
「……」
「けどな、その時間が止まる場所ってのがまた厄介で、いつも同じ場所ってんじゃなかったらしい。でも、ティーポはあの船を歩き回ってその場所を見つけ出す能力があったんだろうな。もっとも、機関の運転が安定すると、その場所はある程度は固定的になるらしい。――あいつが船内をくまなく知り尽くしてた理由はそういうとこにあったみたいだよ」
エイミーは胸のなかで心臓が脈打つように、チクローポというパズルのピースがひとつずつ嵌っていく音を聞いていた。それは恐ろしくもありまた感動的でもあるようだった。
「だからなの? ディジアが殺されたのは?」
「そういうことになるんだろうな……」
パンタミーマが沈んだ声でいった。
それを耳にしたエイミーは自分のした推理を話しはじめた。
「じゃあ、ディジアはそのことを知ってた。だって《リヴァール号》の機関のことを誰より知ってたのはディジーだもの。――そしてその技術情報を南軍にわたして、北軍優位になっていた戦争の歯止めにしたかった。それで、ゆくゆくはその技術によって南北両軍に軍事的均衡がもたらされることを願った。でも、南軍の諜報総長のオンブルの個人的な思惑から、ディジーは暗殺された」
「そうだな……因果関係さえ正しければそうなってもおかしくない……。ただな、南軍のオンブルって奴のやり方がいけ好かない」
「ていうと?」
「南軍はもともと防御重点主義だろ。だから時間が止まるって技術を活かせなかった。自分たちの時間が止まったら、相手のいいようにやられちまうって考えたんだろうな。かといって、その技術を攻撃兵器に転用する気もなかった。それはそれで悪いことじゃないけど、だからって北軍にネタを売って自分の手を汚さないでディジアを暗殺とか、えげつなさすぎだろ」
エイミーはパンタミーマがなにをいいたかったのかを掴みきれていなかった。
「でもミーシャ、それをどうやって防御に使うの? わたし思いつかないけど……」
「ティーポはわかってたんじゃないか? その守りかたってのが……」
「じゃあ、ティーポはそのために、いつか必ず《リヴァール号》に帰ってくるってこと? ねえミーシャ、だからあなたはティーポを引き止めなかったの?」
パンタミーマは静かに、しかしきっちりと頷いた。
「もちろん感情的には我慢ならなかったさ。あたしだって女だよ。寂しいとか心細いとかあったよ。けど、頭ではわかってたからな。――もっとも、子どもたちが大きくならないと、あたしもあの船には戻れない」
「そうだね……」
「だからさ、エイミー。あんたのお腹のなかの子どもの父親を殺したのはある意味じゃ、あたしなのかもしれないよ。あたしはいろいろ知ってて手出ししなかったからね。ディジアみたいにはなれなかった。子どもがさ……」
パンタミーマは彼女の手を握りながら涙を流していた。
エイミーの前ではじめて見せた涙だった。
「違うよ、ミーシャ! そんなことない!」
彼女は激しく首を振ってパンタミーマの言葉を否定した。
「あれは事故だったの。ミーシャのせいなんかじゃないよ! 絶対に違うよ。二度とそんなふうにして自分を責めたりしないで……。事故だったんだよ……」
「エイミー……」
「確かにフーディはディジアのことで一時期、酷い自暴自棄になった。でも、殺されたんじゃないよ。ましてやミーシャのせいなわけない。お願いだから自分を責めるのはやめて。だってミーシャ……それって結果論じゃない……」
エイミーは双眸に哀願と懇願を込めてパンタミーマを見つめながら訴えた。
「あんた、ほんとに辛い思いしたな。――あたしさ、昔っから悪運を引き寄せるとこあってな、悪いこと考えるとそのおりになって来たんだ。だから、悪いことは口にしないで生きてきた。けどさ、心のなかで思っちゃうのはどうしようもなくてさ。あんたの送別会の日――」
「うん、送別会の日?」
「部屋に帰る途中の廊下で湧いてきちゃったんだ。エイミー運がないなって……。フイデースはあんたにぴったりだと思ったけど、うまくいかないんじゃないかって……。いやな女だろ。でも、嫉妬でも羨望でもないし、ましてや不幸になればいいなんて思ってなかったよ。それは保証する。命賭けれる」
「ミーシャ、仕方ないよ。勝手に湧きあがってくるものまで自分の責任にしてたら、生きていけないよ。もういいってばそんなに気にしないでも」
しかし、パンタミーマの胸の奥底にはなにか引っかかるものがあったのだろう。彼女はいい募った。
「それはわかる、それはわかるんだけど、なんか狡くてな。――あたしは待ってればティーポといつか会える日が来るかもしれないけど、あんたはそうじゃないじゃん」
「やめて、ミーシャ! それは無意味な同情だよ! わたしわかってるよ。だって、父さんも母さんもお婆ちゃんも、カールお爺もディジーもフーディも、もう帰ってこないのわかってるよ。だからそんないいかたやめて。ミーシャらしくないよ……。どうしたのよ……」
パンタミーマは怒りを沸騰させたエイミーをこのときはじめて目にし、その激しい感情に自分と似たものを感じながら、青褪めた顔をしてゆっくり席を立った。
「紅茶、淹れなおしてくる。すまんな。いらんこといって」
「……」
キッチンからケトルが笛の音を響かせはじめたころ、それにあわせるようにして、子どもの声が漏れ聞こえてきた。
「なんだお前ら、起きちゃったか。そうだ、お前らの命の恩人が来てるけど会うか? ――おおそうか。照れ屋だな。――え? お話してみたいの? できるのかよ? ――なんだって? ちゃんと喋れよ、おたんちん。――ん? 聞こえないよ。もの食いながら喋るなよ。――いやだからそれは触るなっていったろ。――おーい、待て待て」
漏れ聞こえてくる親子三人のやりとりにエイミーは相好を崩しながら、耳をそばだてていた。
しばらくすると、湯気を揺蕩わせるキームン紅茶が注がれた二つのティーカップを持って、パンタミーマが戻ってきた。
「エイミー、怪獣いま連れてくるから待ってて」
「うん」
「ほらほら、どこいくの。そっちじゃないってば。あんたはこっち、あんたはそっち。ほら、ちゃんと座って。じっとして」
こうして向かいあって話していたエイミーとパンタミーマの左右の椅子に、二人の子どもが座った。
「あんな、こっちがチーマ。見たとおりの男。んで、こっちがパーポで女の子。うまく産んだだろ。双子だったけど、二卵性だったから似てないし、性格もぜんぜん違う。面白いんだ」
パンタミーマは片手を息子チーマ、片手を娘パーポの上に乗せて、いささか無理やりエイミーのほうに顔を向けさせていた。
「僕ちゃん、こんにちは」
そういってエイミーはチーマに挨拶した。
「こんちくわぶた」
「お前どこでそれ憶えた? どんだけ組みあわせてんだよ」
すかさずパンタミーマの突っ込みがはいった。
エイミーはパーポに挨拶した。
「お嬢ちゃん、こんにちは」
「ママ、この人はだあれ?」
「誰じゃないだろ、エイミーお姉ちゃんて、さっき教えたろ。もう忘れたの?」
混乱しながらも楽しげな会話がつづいたが、子どもたちはすぐに飽きてしまったのか、席を離れて部屋にある玩具で遊びはじめたが、それに飽きるとパンタミーマやエイミーにじゃれついたりしていた。
「まあ、気にしないで。いつもこの調子だから。もうすぐ三歳だけどさ、ちょっと子ども子どもしすぎなんだよ。――そんでさ」
とパンタミーマはいつもの素振りを取り戻して話しはじめた。
「さっきの表札の文字。こいつらに自分の名前書かせたんだよ」
「あー! そうだったんだ! えっと……」
「男がチーマ。女がパーポ。あれだ、大体の人は初対面だと、二人の名前を取り違えるから気にしないでいいよ」
「ねえ、でもその名前って……」
「ん? おりこうさんなにか気づいたね?」
「ミーシャとティーポの名前を一文字ずつ取ったんでしょ!」
「正解 !! ――だからさ、あたしはあいつがいなくてもやってこれた。こいつら呼べばそれで済んだってわけだ」
エイミーは思った。
(世の中って広いし狭いな。似たような感覚の人がすぐ傍にいるのにすれ違ったままだったり、全く似てないのに妙に仲良くしたりする。でも、女手ひとつで子どもを産み育てようとする、覚悟みたいな感覚が瓜二つの人がいるって本当に素敵で、幸せなことかも……)
だが、エイミーはお腹のなかの子どもの名前の候補を、ディジアとフイデースから取ったことを、パンタミーマには打ち明けなかった。いまだどうなるかわからないことを口走りたくなかったのだろう。
「それで、あんたほかに訊いときたいことないの?」
「ん? ほかにねえ……」
エイミーは特別思いつかなかったが、ちょっとした昔話でもと考えていった。
「そういえば、ミーシャ。ディッキーとリッキーの居場所とか知らないよね?」
「それか……」
彼女はパンタミーマの様子から、知ってるということを直感したがそれ以上追求せず、わざと答えられないであろう質問をした。
「じゃあさっき話してた、名前のない人工知能の名前は?」
「あんたそれいったら、あたし情報屋、廃業だってば」
「うん、知ってる。でも、ちょっと意地悪したくなっただけ」
そういってエイミーはにこやかに微笑んだ。
「そうか、まあいいや。ちょっと待ってな」
そういうとパンタミーマはそそくさと隣の部屋に行き、しばらくすると手になにかを持って戻ってきた。
「エイミー、このメモリーカードにディッキーとリッキーの居場所の情報が入ってる。宇宙機構のタブレットはまだ手元にあるんだろ? あれで読めるからさ。あれ便利だよな。人工知能と連携させるとOSが丸ごとアップ・デートされるから、百年単位で使えるだろ。でも、そうなるとあたしらのほうが先にお陀仏になるのかもね。――とにかく持ってきな。ただし、見たら必ず廃棄してあんたの頭のなかにしまっておくこと。これで勘弁して」
「いいの? わたしのこと信用してくれるの?」
「どうすっかな。まあ、信用してなきゃこんなことしないだろ。それにあたしもいまはいっぱしの情報屋だからね。その程度のことをぽろりと漏らされて対処できないようじゃ、おまんま食いあげだ」
「そっか。じゃあもらっておくね。でも、わたしミーシャのこと裏切ったりしないよ」
「わかってるって。それより帰りはどうすんだ? いや別に何日かここに泊まってってもいいけど。どうする? 餓鬼んちょがうっさいけどな」
エイミーは自分の迂闊さを笑いたくなるような顔をした。
「考えてなかった……」
「じゃあさ、あたしにできることさせてよ。《リヴァール号》、もう定期便航路を外れて、ただの貨物船なんだか海賊船なんだかわからなくなってんだけど、いまこの上の宇宙港に来てるんだよ。だからさ、帰るときはそれに乗ってけよ。相変わらずの荒くれ船員ばっかだけど、腕は落ちてないし誇りもなくしてない連中が、まだそれなりに残ってるからさ。あたしが口利けばあんたの行きたいとこに連れてってくれるし、金なんてビタ一文もいらないからさ。――な、そうしなよ」
「助かるよ、ミーシャ」
「そんで、行く先は決めてんのかい?」
「……」
エイミーは頭をフル回転させて考えていた。しかし、なにも浮かんでこなかった。
手にはパンタミーマから受け取ったメモリーカードが握られていた。
彼女は衝動的にいった。
「じゃあ、地球のアラバマかな」
「本気か? まさか確かめるつもりじゃないだろな?」
「そのまさかかもね。――だってミーシャ、パヴリーンやティーポや人工知能やらの謎がぜんぶ解けたのに、ディッキーとリッキーの行方だけわからないとなると、当然気になるじゃない? そういうものじゃないかな……」
パンタミーマは両手を腰に当てて立ったまま、困ったような顔をしていた。
「あんたらしいわ、エイミー。いまならわかるよ。なぜティーポがあんたのためにガニメデで降りたかが」
「どういうこと?」
「知りたすぎるんだ。――だから目立つ。あたしよりも余程目立つんだ」
「オスの孔雀だね」
パンタミーマは悲しそうに頷いた。
「いつか命を落とすよ、あんた。あのティーポでさえ守れなかったんだからな。周りにはいい奴がいっぱいいたのに、みんな死んじまって……」
パンタミーマは溢れた感情のままに嗚咽した。
「そうかもしれないね……」
エイミーは潮時だと感じていた。もはやこれ以上語りあっても、パンタミーマとの間にはどうしても埋められない溝があるのだと。
「せめて妊娠六か月を過ぎてればな……」
こうして、エイミーはふたたび《リヴァール号》に乗る機会を得て、地球へと向かうことになった。
その彼女を見送るために、クローウンの一家三人は久しぶりに貨物用に併設されている、人荷用エレベーターに乗って宇宙港にやってきた。
「ほらほら、チーマもパーポもちゃんと挨拶しなってば! そっちじゃないよ。誰に挨拶してんだよ。知らない人にすんなって。誘拐されるぞ。――エイミー姉ちゃんにするの。ほらこっち、こっちだってば」
「ミーシャ無理させないでいいって。なにか見たいものがあるんだよ」
「ママの恩人、パイパイなの?」
「パイパイじゃないよ、ボインボインだよ。――パイパイはママだろ。お前いつも触りたがるじゃん」
「ちょっとミーシャ、なにいってるのよ、そんな大きい声で。まあいいけど」
エイミーは二人の子どもの可愛らしさにめろめろに蕩けていた。
「ええ? いいのいいの。どうせわかってないんだから」
パンタミーマはいつもとすこしも変わらなかった。
「エイミ姉ちゃんまたなの? お人形遊びのつづきは?」
「ほらミーシャ、ちゃんとわかってるってば。遊んだの憶えててくれてるじゃん。――あーあ、名残惜しいけどバイバイだね。チーマもパーポもママのいうこと聞いていい子にするんだよ。あとね、もうすこし大きくなったら、きっとパパに会えるから楽しみにしとくといいよ。――それじゃあね、お姉ちゃんもう行くからね」
「やだー! いっちゃやだー!」
「おお、嬉しいこといってくれるね。パーポ、ばいばい!」
「わかったー! いい子にしてるー!」
「そうだそうだ、いい子にね。チーマ、またね!」
それは、どこから見てもふつうの暮らしにある、笑いの絶えない一時の別れの風景だった。




