#53 ルナ・マリア――隠れ家
この時代の移動手段は空を飛んだり宙に浮くものが主流だった。
もちろん、開発された惑星や小惑星のほとんどは半地下や地下に、居住区や施設を設けることが多かった。そして、地下を移動する手段は、ほとんどが軍事技術の転用であり、決して性能が悪いものではなかった。
しかし、だからといって地下の交通手段がありがたがられたわけではない。
ようするに宇宙時代になっても、人類は光や風に触れられる者こそ上流階級であり、地下に暮らす者たちは中流以下と見做しがちだった。場合によっては地下を利用する層は、貧困者または犯罪者として忌避されていた。
エイミーはいま、その地下をゆく超電導地下鉄に乗って、パンタミーマの棲家、あるいは隠れ家とでもいえそうな場所に向かっていた。
(ふーん……神酒の海ね。ミーシャ、赤ちゃん、ちゃんと産んで育てるって決めてから、お酒やめたはずだけど、いまはもうそんなことないのかな? だからこの地名選んだとか? もともとお酒好きだったし。――いや、それはさすがに妄想がすぎるか……。でも、どんな暮らしをしてるんだろう? 地下住居っていうだけで、ぜんぜん想像できない……」
狭い乗合座席が連なったそのひとつに座りながら、エイミーはパンタミーマの棲家について調べていた。
人類によってもっとも早く月面開発されたのは、いわゆる「海」と呼ばれる平野で、静かの海がそれだった。したがって、パンタミーマが住む場所として選んだ神酒の海は、比較的新しくできた地下居住区だった。
神酒の海周辺には、いくつかのクレーターを利用して、地表生活を好む上流階級が建てた密閉型ドーム都市があったが、神酒地下居住区とは繋がっていなかった。
また、切り立ったピレネー山脈によって、神酒の海と静かの海は隔てられ、その両者もまた連絡されていなかった。孤立した僻地。パンタミーマの棲家はそう呼ぶに相応しかった。
しかも、棲家の周辺には状況にあわせて設置したり撤去したりできる、仮設宇宙船発着場が幾つもあった。
いわゆる密輸船や海賊まがいの船が利用する発着場、というより隠れ港とでもいったほうがいいだろう。
(やっぱり海賊なんだ、ミーシャ。――というか、ピレネー山脈ってなに? 確か、フランスとスペインの間にある長い尾根でしょ。山脈といえばアンデスが有名だし、ウラルだって相当だったはず。それほどでもないピレネーを選んだ理由は? というか、地球最大の山脈って海底にある中央海嶺でしょ? でもってそれは、な、なんと八万キロ! ――で? 月のピレネーはどれくらい? えっと、約百六十四キロ。ちっこ! それで、本物のピレネー山脈が約四百五十キロか……。駄目だ。なんかもう大きさがバグってわからなくなってきた……。それにさ、前から思ってたけど、人類が天体とか月とかに付けてる名前って脈絡もなければ、ひっちゃかめっちゃかだよね。そんで、なんでそもそもピレネー山脈なの?)
エイミーは胸のなかでぶつぶついいながら、気になることを調べながら脱線していた。
だが、超電導地下鉄は脱線することなく、彼女の目指す目的地に近づいていった。
(わかった! 昔、月面開発を争ってフランス隊とスペイン隊が降り立って、それで山脈を挟んで対峙した。それで、鉄砲を撃ちあってドンパチしたとか……。さすがに、それはないか……)
そうなると気になってしかたない彼女は、すぐに命名の由来を調べはじめながら、
「あー痛い、お尻が死んじゃう」
と呟いて身体をくねくねさせて、ほどよい体勢を見つけ出しながら、長旅をつづけていた。
しかし、このエイミーの空想癖――妄想癖とも呼べる習性――は彼女の生きる力のひとつであることは否定できなかった。
結局、ピレネー山脈の名前の由来はよくわからず、地球の地名になぞらえて付けられたという、どうにもすっきりしない理由に納得するしかなかった。
そうこうしているうちに、超電導地下鉄は終着駅のテオフィリスに到着した。
「へええ、神に愛されし者ね。また、すごい終着点に来ちゃったな。じゃあここ天国? 違うよね。ここは月の地下だもん。しかも酒浸りの海の底」
エイミーの長い車中での退屈しのぎと、実用性を兼ねた調査癖はまだ抜けきっていなかったが、そこからパンタミーマの棲家へと向かう交通手段がないことは十分に承知していた。
彼女の棲家は神酒の海のほぼ真ん中にあり、人を寄せ付けないことで我が身を守っているような場所だった。
エイミーは脳内に保存された駅周辺の地図を頼りに、そこから先へ行く方法はないかと、あちこち歩きながら見て回った。
そのとき、珍妙な名前の看板に目が止まった。
「裏月車力 !? 車力って人力車でしょ。いまどきそんな交通手段、聞いたことないけど……」
(怪しいな……)
興味とも好奇心とも実益ともつかない気持ちから、エイミーは看板とともに掲げられている、説明の書かれた案内板に近づいていった。
「よく考えたなあ……。つまり、自動運転のレンタル自動ゴンドラカプセルみたいなものだね……。それで、使い方と料金はいかほどなのかな? あんまり高いと無理なんだけど……」
使用料は安くもなく高くもなかったが、エイミーからすると高い部類だった。
(でもこれ、もぐりの商売だろうし保険も利かないし、壊れたら修理代請求って悪徳すぎない?……けど、これでいくしかないらしい……。――だけどさ、もしも事故ったらあれでしょ、体格のいい強面で顔に傷のあるお兄さんが出てきて、『おうおうおう、姉ちゃんなにしてくれはったん?』とかいわれてどつかれるんだよきっと。ティーポみたいに無口なら怖くないかもだけど。――でもさ、わたし負けない。あんまり酷いことされたら、バーン! だからね。――こら! チッコリーノ、おかしなことしたらバーンだからね! ってできるかな?……。まあいいや……)
「これで行くか! というか、これしかないんでしょ……」
とはいえ、心に固く決意するほどでもなく、エイミーは裏月車力を利用することにした。
実際に球形をしたカプセルに入ると思っていたより快適だった。
そしてまた、ふつうに見ればかなり高い料金ではあったが、地下居住区を行き来する手段としては非常に洗練されていた。
縦横どころか、あらゆる方向に掘りめぐらされ、絡まりあっている地下道を自由自在に進んで、目的地に向かえる点でみればこれ以上有効な手はないだろうと、エイミーも感心したのだった。
ようするに裏月車力は、地下に張りめぐらされた円形チューブのなかを転がっていく乗り物だったが、客室部分は常時ジャイロの効果が働いて、水平を保つ仕組みになっていた。
「人間て凄いな。水と空気と食べ物さえあればどこへ行ってでも逞しく生きれるのかも……」
そんな感慨を漏らしながら、彼女は相当に荒唐無稽だった《リヴァール号》での、六十日ほどの旅路であった数々の挿話を懐かしく思い起こしていた。
(そういえば、船に乗ってすぐ指定席を見つけられなくてうろうろしていて、声をかけてくれた客室乗務員がミーシャだった。――それで、すぐとはいかなかったけど、旧知だったのもあって仲良くなって。でも、随分いいあいも喧嘩もしたな……。それでミーシャの妊娠発覚! そしていまはわたしのお腹に赤ちゃんがいる。でももう、三年振りになるのか……。ずっと放ったらかしにしといて、いまごろわたしの勝手な都合で会いに行って、ミーシャ怒るかな? でも……わたしもいろいろあったんだ……。わー駄目だ! 悪いこと考えはじめるときりがない! ――ミーシャと別れたのはガニメデでだったけど、あのとき本気で怒ってたけど、本気で怒ってなかった。難しいとこあるのよね、ミーシャって。でも、まずは三年分の積もりに積もった埃を払うところから。それから先はそのときに考える)
こうしてエイミーはそれほど速度の出ない裏月車力で、一回り、また一回りずつパンタミーマの棲家に近づいていったのだった。




