#52 キープ・スピーク――遺品
まるで時間の止まったような灰色の部屋で、エイミーは目を覚ました。
(本当に時間が止まればいいのに。そうしたら、誰も苦しまないかもしれない……)
そう思ってみたものの、残酷にもお腹が鳴る音がした。
「なにもなかったっけ……」
しかし、戦闘艇住居に帰ってきてから下着姿であっちこっち部屋を駆け回り、いまだ服を着る気力さえない彼女が、一番近い街へ買い物にいくなど到底無理だった。
「じゃあ、あれしかないわね」
そう呟くと、裸足のままナイトローブを羽織って外に出て林のなかに入っていった。
ひんやりする月の大地を踏みながら、エイミーは木々を眺めてゆっくりと歩いた。
「あった。でも……お腹に悪いかしら?」
いってはみたものの、もはや耐え難い空腹に負けて、彼女は枝から林檎を持てるだけもぎとった。
「そうだ、せっかくだから」
エイミーは大事そうに林檎を抱えたまま、行き慣れた場所に向かいそこで花を摘んだ。
艇内に戻るまえに、二つの林檎が胃のなかに消えた。
入口をくぐるとフイデースと一番長く時間を過ごした部屋へ行き、ベッドの上に林檎と花を置いた。
「ミーシャ……」
それだけ囁くと、エイミーは首元のリストコムに触れて、ワイフィーに話しかけた。
「ワイフィー、大至急調べて欲しいことがあるの、聞こえてる?」
「なんでしょうか? 感度良好です」
「あのね、ミーシャ。――じゃなかった。……あ、そうだ前に調べてもらったことあったっけ……」
「はい、なんでございましょう」
エイミーはこのとき僅かながら喜びを感じていた。
死にたいほど辛いことが何度もあったが、ワイフィーの誠実な声はいつも変わらなかったからだ。
「パンタミーマ・クローウンの現住所を知りたいの。わかりしだいすぐに知らせて」
「かしこまりました。パンタミーマ・クローウンですね。――以前、調査の依頼を受けたことがあるので、ほかの情報はいりません。それだけで結構です」
「わかったわ、ありがとう。それじゃよろしくね」
(フーディ、わたしできるだけ生きてみるよ。ワイフィーの燃料が尽きるまで歳を重ねて天寿を全うできるなら、それでいい気がする。そっちに行くまですこしだけ待ってて。――それから、ディジーと楽しくやってね。あなたたちを虐める人たちはそこには行けないはずだから。ごめんね、フーディ。――あなたがくれた命といま一緒にいるよ……)
そう胸のうちで語りかけた瞬間、エイミーの目尻から涙が溢れた。
彼女はまとめようのない複雑な気持ちのまま、林檎と摘んできた花を持って、裸足のまま外に走りでた。
そうして、フイデースが戦闘艇の外板で作ったディジアの墓碑の前に座って花を供えると、彼女に話しかけた。
(ディジー、予定より早かったと思うけど、フーディがそっちに行ったからよろしくね。もしかするともうお花も供えられないかもだけど許してね。――でも、遺髪とはずっと一緒にいるよ)
そこまでいったあと、エイミーはしばらく黙ったあと先をつづけた。
(わたし、泣いてばっかり。ディジーみたいに強くなれないみたいだよ。でもね、それがわたしみたい。――フーディの遺品なんにもないの。だから泣いちゃった。あとで艇内で探してみるけど、なにかいい知恵があったら教えて)
どこからか優しげな女の声がした。
――だったら、そうね……。縁の欠けたティーカップはどう? あとは、わたしの名札。あれ、ずっとフーディが大事にしてくれてたから。
(うんわかった。ここを出る前にもう一回くるね。ディジー、そっちでさ、機関整備の話とか、いっぱい話して愉しんでね。それで、そうね……この世界の平和もできたら祈って。――もっとも、わたしがそんなこという前からディジーは祈ってたんだけど。――あとこれ、食べてね)
エイミーは林檎をそこに置くと涙を拭いながら艇内に戻っていった。
その途中で、リストコムが振動した。
「嘘、早いね。でも、きっと違うね」
彼女は軋む扉を開け放したまま、フイデースの残り香がまだあるベッドに飛び込んで、ワイフィーからの着信内容を確認した。
「嘘じゃなかった。本当だった」
あまりにも早い返信にエイミーは驚いた。
「ワイフィー、もうパンタミーマの住所がわかったの?」
「はい、どういうわけか瞬時でした。それでどうしますか? 音声で? それとも文字で送りますか?」
「じゃあ文字にして。いまちょっと頭がまわってないから、憶えられそうもないの」
「了解です。では送りますね」
エイミーは頭のなかで暗号を解くと、すぐにタブレットを持ち出してその場所を確認した。
月を故郷とする人々からしても、それは相当の僻地といえる場所だった。だが、利点があった。時間は少々かかっても民間の交通機関で行ける場所だったのだ。
「ミーシャ、海賊でもやってたのかな? でないと、こんな僻地で暮らしていけないはず。――でも、やっててもいい。ミーシャはミーシャだし、上品な言葉で話したりしたら、ミーシャじゃなくなっちゃう。――まだ、お腹空いてる。でも水分摂らないとよくないんだっけ?」
そういうと、エイミーはベッドにあった林檎を両手に持ってキッチンへと足を向け、ミキサーを使ってジュースを作って飲んだ。
ようやく空腹を追い払った彼女はすぐに荷造りをはじめた。
小さなトランクひとつに荷物をまとめて暮らしてきた期間が長かっただけに、あっさり終わってしまった。
「フーディの遺品、どうしよう……」
エイミーはディジアだと思えた声が示した品物以外、思いつけなかったが、各部屋を廻ってみた。
結局、予想通りフイデースその人たりえるものを見出すことはできなかった。
「フーディ、欲のない人だったのね。ちっとも気づかなかった。わたし、お嫁ちゃん失格だね。だから先に行っちゃったの? いい人見つけたの? どうかな? わからないけど……。でもいいや、二人の思い出があったはず」
彼女はベッドサイドからメモ書きを手にとって、すこしずつ修理が進んでいた模擬訓練機によじのぼって、そこに貼られたままになっているメモ書きを剥がした。
だが、そこでエイミーは足を滑らせて落ちた。しかも、ふつうでは入れない空間に落ちた。
「またやっちゃった……どこまでドジなんだろう」
呟きながら這い出そうとしたが、どうにもこうにもならなくなった。
「うえ……おふ……おえ、ほふ……」
どこからそんな声がでるのか不思議になる呻きを口走っていると、なにか冷たいものが足に触れたのに気づいた。
「なに? 冷っこい。――というか、いいこと考えついちゃった。最高の遺品みつけた! でも、ここではいわない」
そういいながら、エイミーが見つけたのは、かつてフイデースが彼女に投げつけた拳銃だった。
「こんなところにあったのか」
彼女はアクロバティックな体勢になってそれを手に取ると、メモ書きを口に咥えてなんとかかんとか、狭い場所から抜け出した。
「バーン!」
エイミーは拳銃を構えて銃声の口真似をした。
「どうしようこれ。いまさらいらないんだけど……。でもさ、お腹の赤ちゃんを守らないとでしょ。もっとも、わたしはディジーみたいに狙われることはないだろうけど。そうね、でも持っててもいいのかもね」
彼女はこのとき、かつて宇宙機構の本部ビルでまったく同じ拳銃をじっと見つめて、威力の高い方を選んだ気になった自分を思い出していた。
「そういえばあのときは、銃のことなんてなにひとつ知らなかったのに、リッキーを守るんだって意地張った。――バン、バーン! それと似たようなものかな」
そういって拳銃をトランクにしまったが、それは故障していて作動するようなものではなかった。
こうしていささか珍妙な荷造りが終わると、ようやく服を着て旅立ちの準備を終えたエイミーは、戦闘艇住居を後にして、ディジアの墓碑を前にしてしゃがみ込んだ。
「ディジー、さっきはありがとう。教えてくれた品物、忘れずにちゃんと持ったよ。ほら、ここに入ってる」
エイミーはトランクを軽くとんとんと叩いた。
「それでね、わたし自慢じゃないけど、最高の遺品を持っていくことにしたよ。――二人の名前。あのね、いま、わたしのお腹にフーディの赤ちゃんがいるの。正直、まだどうするかとかいえないけど、でも二人の名前をもらうって決めたよ。男の子ならフイージア。女の子ならディジデース。ちょっと変わってるかもだけど、いいの。だって、そうすれば二人と一緒にいるのと変わらないでしょ?――フーディがわたしに残してくれた遺品?……いや、赤ちゃんを遺品っていうのはどうかと思うけど、まあいいでしょ。どうせ誰にもそんな話しないだろうしね。でも、二人には話したいの。名前、憶えといてね。忘れないでね。――ごめんね。もう少しここにいたかったんだけど。わたし、ここにいるの辛いんだ。――ごめんね。さようなら。ありがとう。またね」
エイミーはこうしてフイデースと約半年間――アラバマ訪問の期間を含めれば約九か月間――あまりという短い時間を過ごした、戦闘艇住居を去ったのだった。




