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無から無へ  作者: イプシロン
Ⅵ 停戦協議
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51/55

#51 ウェイティング――呼び声

 エイミーは、月にある南軍のユーリ隕石孔基地郊外にある、フイデースが待つ戦闘艇住居に帰ってきた。

 三か月前と変わらぬ錆びついた扉を開けると、以前と変わらぬ軋しむ音がした。

 彼女からすればそれも喜びだった。

「ただいま。フーディ、帰ったよ」

 入口からつづく部屋にフイデースの姿はなかった。

「もしかして寝てるのかな? お寝坊さんだからね」

 エイミーはベッドルームに足を踏み入れた。

 そこにもフイデースを見いだせなかった。

 しかし、どの部屋も綺麗に片付けられていた。三か月でよくここまでと驚くほど整理整頓され、彼が目一杯努力したことは誰がみても一目瞭然だった。

「じゃあ、あっちかな。――それとも、こっちかな。――でなければ、そっちかな」

 彼女はすべての部屋を見て回ったが彼を見つけられなかった。

 そうして、エイミーはベッドルームに戻ってきた。

 限られた予算でパヴリーンを探し、クレジットが尽きかけたことで、彼女は緊急避難として地球で情報屋の仕事をした。それでなんとかやり繰りし、月への宇宙船の座席を確保しただけに、帰りはガラクタ以下の宇宙船の旅だった。

 都合十四時間の狭い座席からくる疲れもあったようで、エイミーはすぐ横になろうとした。

「あれ? フーディ、テレビ直したのかな? 凄いな。なんでも直せちゃうわたしのすぐ将来の旦那様」

 エイミーは疲労の極にあったのか、服を脱ぐと寝間着を出すのも億劫になって、そのままベッドに寝転がって、リモコンでテレビを点けてみた。

「わあ、ほんとに直ってる。――でも眠い……」

 そう呟いたかいなかの数瞬あと、エイミーは睡魔に囚われてしまった。

 常時、薄明かりの照明を維持する南軍式時間(グレイッシュ・タイム)のせいか、彼女は何時間寝たかもわからずに目を覚ました。

 エイミーは三か月ぶりの異質な照明の感覚すら喜びに感じていた。

「フーディ、さすがに帰ってきてるよね」

 寝ぼけ眼のまま、欠伸と背伸びをしたとき、テレビから流れる音声から、彼女はいまがおおよそ何時であり、何時間寝たかを知った。

「喉乾いた」

 そういうと彼女はベッドを抜け出してキッチンへと向かった。

「あ! フーディ買い物に行ったんだ」

 エイミーは生活必需品が極端にすくなっていることで、フイデースの行き先を推し量った。

「じゃあ、ショッピングセンターに行って、それで迷子になってまだ帰ってこない。これが正解。だって方向音痴のとこあるし。――じゃ、もうちょっと寝ようかな……でもお腹も減った」

 そういってキッチンを物色したが、すぐに食べられそうなものはなかった。

「しょうがない、旦那様が帰ってくるまで、また寝る」

 エイミーはなんとかお腹をふくらまそうとしたのか、コップ三杯の水をがぶ飲みしてベッドルームに戻っていった。

「テレビ君うるさいよ。もうちょっと静かに」

 リモコンで音量を下げると、またベッドに転がり込んだ。

「なんか面白いのやってるかな?」

 眠気はあるものの、がぶ飲みした水のせいだろうか、エイミーはお腹を気にしながらしばらく起きていた。

「どこ回してもニュースばっかり。つまらない」

 彼女は仕方なくチャンネルを変えるのをやめて、ニュースを見はじめた。

「戦争のことばっかり……。またなにかあったのね」

 エイミーがそうしていると、月であったシードーラ事件についての報道特番がはじまった。

 北軍の第六艦隊の戦闘機によって撃墜されたシードーラの戦闘機が、月のユーリ隕石孔基地郊外にある、ショッピングセンターに墜落炎上し、数十人が死傷したという内容だった。

「月でもドンパチ、やめてくれないかな。それに最新の情報じゃない。ちょっと前じゃない」

 だが、そのニュースの途中で彼女は心臓が止まるような衝撃を受けた。

 被害者のひとりとして、フイデース・スラージュマン、三十七歳という声を耳にしたのだ。

「嘘でしょ !? こんなニュースでたらめよ!」

 そう喚き声をあげたあとエイミーは部屋のなかを駆け抜けた。

 そして、入口に置いたままにした携帯電話を手に取るなり、ベッドルームへ戻りながら月の南軍広報部局にダイアルした。

 三回の呼出音を永遠のように感じたあと電話が繋がると、エイミーは相手の声を遮って訊いた。

「すみません。教えて欲しいことがあるんです。いまテレビのニュースで知ったんですが、シードーラ事件でフイデース・スラージュマンが死んだって本当ですか? ――だから、それを確認したいんです。――いいから、早くしてください。――違います、そうじゃなくて……」

 エイミーはしばらく黙って聞いていたかと思うと、するりと電話を手から落として絶叫した。

「どうしてよ! どうしてこうなるの! わたしがなにをしたっていうの! どうしてわたしの大切な人はみんな死んじゃうの !!」

 彼女は艇内を揺るがすように号泣した。

 床に落ちた電話から漏れる声が気に障ったのか、エイミーは、

「うるさい !!」

 と叫んで踏みつけた。

「ねえ、どうしてよ……」

 泣きたいだけ泣いたあと、エイミーはふたたび南軍広報部局に電話して、担当者の声に耳を傾けた。

 ――ええ、ですから、ご遺体はもう荼毘に付して埋葬しました。かつて南軍に所属していた整備士だったんで、こちらとしてもできる限りのことはしたんですが、なにしろご家族もいらっしゃらなくて。それでね……。

「もういいです。さようなら」

 エイミーはそういって電話を切り、

「せめて髪の毛の一本くらい……」

 と呟いて心のままに慟哭した。

 もはやなにかを言葉にして口にすることもなかった。

 しかし、エイミーはなにかに取り憑かれたように突然立ち上がると、よろよろしながらキッチンへと向かった。

 そうして、シンクに辿り着くなり吐いた。

 猛烈な吐き気は水を飲みすぎたせいかとエイミーは思ったが、そういう感じでもなかった。

 彼女はそこに置いたままのコップに水を注ぐとうがいをして、吐き気を鎮めようとした。

 しかし、シンクの縁にしがみついていても、一向におさまる気配がなかった。

「気持ち悪い……」

 エイミーはなにか思いついたように、ふらふらしながらベッドルームに戻ると、小さな小机(チェスト)の抽斗からなにかを掴み取るとトイレに駆け込み、おさまらない吐き気と格闘した。

 そうして手に持ったものを凝視したまま、膝から崩折れてしばらくじっとしていた。

「……」 

 妊娠検査薬の表示は陽性だった。

 エイミーはそれを手にしたままふらつきながら部屋に戻ると、ベッドに仰向けに倒れ込んで啜り泣きしはじめた。

 もはや、口から声を漏らすこともできず、言葉を繋ぐこともできず、真っ白な頭のなかを彷徨いながら、 灰色の天井を見つめていた。

 どれくらいの時間そうしていただろうか。それは誰にもわからなかった。

 エイミー自身ですら、時間など存在しないと感じていたのだから。

(助けて……誰か助けて……)

 ようやくそう胸のうちで囁いてみたものの、もちろんそれは誰にも届いていなかった。

「助けて、助けてよ……フーディ、助けて……」

 口にすればするほど、それが不可能だと知ってはいたが、エイミーはそうせずにいられなかった。

「助けてよ……ねえ、誰か……」

 枯れるほど泣いたというのに、どこから湧き出てくるのか、涙は留まることがなかった。

 真っ白になった頭のなかに意志とは別の声がしていた。

(フーディが、ディジーのところに行っちゃった……わたしを置いて行っちゃった)

「わたしも行きたい……」

 エイミーはその瞬間、激しい後追いの衝動に駆られていた。

 いつ投げつけられたのかも思い出せない拳銃が、喉から手が出るほど欲しかった。

 だが、渦巻いていた白い靄はやがて灰色になって雨を降らせはじめた。

「わたし死ねない……お腹の子を殺すなんてできない。でも、誰か助けてよ……一人じゃ無理だよ」

 そのとき、閃光のように懐かしい声がエイミーの胸に響きわたった。

 ――あたし絶対に健康な子ども産んでやるって誓ったんだ。――意地悪かもしれないけど、それがあいつへの一番の嫌がらせでもあり、愛情表現だと思ってる。

 陽気なパンタミーマの声だった。

 エイミーの胸に、暗闇で煌々と照る月が灯った。

(助けて……ミーシャ……。もう、あなたしかいないの、わたしには……)

 囁くようにそういうと、治まった吐き気のせいなのか、泣き疲れたせいなのか、彼女は眠りの揺り籠に落ちていった。

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