#51 ウェイティング――呼び声
エイミーは、月にある南軍のユーリ隕石孔基地郊外にある、フイデースが待つ戦闘艇住居に帰ってきた。
三か月前と変わらぬ錆びついた扉を開けると、以前と変わらぬ軋しむ音がした。
彼女からすればそれも喜びだった。
「ただいま。フーディ、帰ったよ」
入口からつづく部屋にフイデースの姿はなかった。
「もしかして寝てるのかな? お寝坊さんだからね」
エイミーはベッドルームに足を踏み入れた。
そこにもフイデースを見いだせなかった。
しかし、どの部屋も綺麗に片付けられていた。三か月でよくここまでと驚くほど整理整頓され、彼が目一杯努力したことは誰がみても一目瞭然だった。
「じゃあ、あっちかな。――それとも、こっちかな。――でなければ、そっちかな」
彼女はすべての部屋を見て回ったが彼を見つけられなかった。
そうして、エイミーはベッドルームに戻ってきた。
限られた予算でパヴリーンを探し、クレジットが尽きかけたことで、彼女は緊急避難として地球で情報屋の仕事をした。それでなんとかやり繰りし、月への宇宙船の座席を確保しただけに、帰りはガラクタ以下の宇宙船の旅だった。
都合十四時間の狭い座席からくる疲れもあったようで、エイミーはすぐ横になろうとした。
「あれ? フーディ、テレビ直したのかな? 凄いな。なんでも直せちゃうわたしのすぐ将来の旦那様」
エイミーは疲労の極にあったのか、服を脱ぐと寝間着を出すのも億劫になって、そのままベッドに寝転がって、リモコンでテレビを点けてみた。
「わあ、ほんとに直ってる。――でも眠い……」
そう呟いたかいなかの数瞬あと、エイミーは睡魔に囚われてしまった。
常時、薄明かりの照明を維持する南軍式時間のせいか、彼女は何時間寝たかもわからずに目を覚ました。
エイミーは三か月ぶりの異質な照明の感覚すら喜びに感じていた。
「フーディ、さすがに帰ってきてるよね」
寝ぼけ眼のまま、欠伸と背伸びをしたとき、テレビから流れる音声から、彼女はいまがおおよそ何時であり、何時間寝たかを知った。
「喉乾いた」
そういうと彼女はベッドを抜け出してキッチンへと向かった。
「あ! フーディ買い物に行ったんだ」
エイミーは生活必需品が極端にすくなっていることで、フイデースの行き先を推し量った。
「じゃあ、ショッピングセンターに行って、それで迷子になってまだ帰ってこない。これが正解。だって方向音痴のとこあるし。――じゃ、もうちょっと寝ようかな……でもお腹も減った」
そういってキッチンを物色したが、すぐに食べられそうなものはなかった。
「しょうがない、旦那様が帰ってくるまで、また寝る」
エイミーはなんとかお腹をふくらまそうとしたのか、コップ三杯の水をがぶ飲みしてベッドルームに戻っていった。
「テレビ君うるさいよ。もうちょっと静かに」
リモコンで音量を下げると、またベッドに転がり込んだ。
「なんか面白いのやってるかな?」
眠気はあるものの、がぶ飲みした水のせいだろうか、エイミーはお腹を気にしながらしばらく起きていた。
「どこ回してもニュースばっかり。つまらない」
彼女は仕方なくチャンネルを変えるのをやめて、ニュースを見はじめた。
「戦争のことばっかり……。またなにかあったのね」
エイミーがそうしていると、月であったシードーラ事件についての報道特番がはじまった。
北軍の第六艦隊の戦闘機によって撃墜されたシードーラの戦闘機が、月のユーリ隕石孔基地郊外にある、ショッピングセンターに墜落炎上し、数十人が死傷したという内容だった。
「月でもドンパチ、やめてくれないかな。それに最新の情報じゃない。ちょっと前じゃない」
だが、そのニュースの途中で彼女は心臓が止まるような衝撃を受けた。
被害者のひとりとして、フイデース・スラージュマン、三十七歳という声を耳にしたのだ。
「嘘でしょ !? こんなニュースでたらめよ!」
そう喚き声をあげたあとエイミーは部屋のなかを駆け抜けた。
そして、入口に置いたままにした携帯電話を手に取るなり、ベッドルームへ戻りながら月の南軍広報部局にダイアルした。
三回の呼出音を永遠のように感じたあと電話が繋がると、エイミーは相手の声を遮って訊いた。
「すみません。教えて欲しいことがあるんです。いまテレビのニュースで知ったんですが、シードーラ事件でフイデース・スラージュマンが死んだって本当ですか? ――だから、それを確認したいんです。――いいから、早くしてください。――違います、そうじゃなくて……」
エイミーはしばらく黙って聞いていたかと思うと、するりと電話を手から落として絶叫した。
「どうしてよ! どうしてこうなるの! わたしがなにをしたっていうの! どうしてわたしの大切な人はみんな死んじゃうの !!」
彼女は艇内を揺るがすように号泣した。
床に落ちた電話から漏れる声が気に障ったのか、エイミーは、
「うるさい !!」
と叫んで踏みつけた。
「ねえ、どうしてよ……」
泣きたいだけ泣いたあと、エイミーはふたたび南軍広報部局に電話して、担当者の声に耳を傾けた。
――ええ、ですから、ご遺体はもう荼毘に付して埋葬しました。かつて南軍に所属していた整備士だったんで、こちらとしてもできる限りのことはしたんですが、なにしろご家族もいらっしゃらなくて。それでね……。
「もういいです。さようなら」
エイミーはそういって電話を切り、
「せめて髪の毛の一本くらい……」
と呟いて心のままに慟哭した。
もはやなにかを言葉にして口にすることもなかった。
しかし、エイミーはなにかに取り憑かれたように突然立ち上がると、よろよろしながらキッチンへと向かった。
そうして、シンクに辿り着くなり吐いた。
猛烈な吐き気は水を飲みすぎたせいかとエイミーは思ったが、そういう感じでもなかった。
彼女はそこに置いたままのコップに水を注ぐとうがいをして、吐き気を鎮めようとした。
しかし、シンクの縁にしがみついていても、一向におさまる気配がなかった。
「気持ち悪い……」
エイミーはなにか思いついたように、ふらふらしながらベッドルームに戻ると、小さな小机の抽斗からなにかを掴み取るとトイレに駆け込み、おさまらない吐き気と格闘した。
そうして手に持ったものを凝視したまま、膝から崩折れてしばらくじっとしていた。
「……」
妊娠検査薬の表示は陽性だった。
エイミーはそれを手にしたままふらつきながら部屋に戻ると、ベッドに仰向けに倒れ込んで啜り泣きしはじめた。
もはや、口から声を漏らすこともできず、言葉を繋ぐこともできず、真っ白な頭のなかを彷徨いながら、 灰色の天井を見つめていた。
どれくらいの時間そうしていただろうか。それは誰にもわからなかった。
エイミー自身ですら、時間など存在しないと感じていたのだから。
(助けて……誰か助けて……)
ようやくそう胸のうちで囁いてみたものの、もちろんそれは誰にも届いていなかった。
「助けて、助けてよ……フーディ、助けて……」
口にすればするほど、それが不可能だと知ってはいたが、エイミーはそうせずにいられなかった。
「助けてよ……ねえ、誰か……」
枯れるほど泣いたというのに、どこから湧き出てくるのか、涙は留まることがなかった。
真っ白になった頭のなかに意志とは別の声がしていた。
(フーディが、ディジーのところに行っちゃった……わたしを置いて行っちゃった)
「わたしも行きたい……」
エイミーはその瞬間、激しい後追いの衝動に駆られていた。
いつ投げつけられたのかも思い出せない拳銃が、喉から手が出るほど欲しかった。
だが、渦巻いていた白い靄はやがて灰色になって雨を降らせはじめた。
「わたし死ねない……お腹の子を殺すなんてできない。でも、誰か助けてよ……一人じゃ無理だよ」
そのとき、閃光のように懐かしい声がエイミーの胸に響きわたった。
――あたし絶対に健康な子ども産んでやるって誓ったんだ。――意地悪かもしれないけど、それがあいつへの一番の嫌がらせでもあり、愛情表現だと思ってる。
陽気なパンタミーマの声だった。
エイミーの胸に、暗闇で煌々と照る月が灯った。
(助けて……ミーシャ……。もう、あなたしかいないの、わたしには……)
囁くようにそういうと、治まった吐き気のせいなのか、泣き疲れたせいなのか、彼女は眠りの揺り籠に落ちていった。




