#50 リバー――今
(わたしの第二の故郷ハンツビル。いろいろあったな……国際宇宙機構に入ったのが十七歳のとき。それでディッキーと大喧嘩して辞めたのが三十歳のとき。あれからもうすぐ三年……早かったのかな? そうでもなかった? でも、いろいろあった……)
エイミーは目に映るものすべてを焼き付けるように眺めていた。
それでも、宇宙機構の本部ビルを訪ねることはなかった。
(もういいんだ……。ディッキーとリッキーの行方はまだ気になるけど、それももう少し時間があればなんとかなる気がする。わたし、もう過去に縛られたくないんだもの)
夢想とも空想ともつかぬ言葉を胸のうちで呟きながら、エイミーは超電導タクシーに乗って、ルート231と431が交わる三叉路に向かっていた。
そこで車を下りると迷いを見せずに歩き出し、ある地点で立ち止まった。
「懐かしい。ここでルフトさんに悪戯電話をした! そんで――」
エイミーは小走りして、道の一角までくると足を緩めた。
「ここで声をかけた。『その先をいってはいけません。電話を切ってください』って。そして自信に満ちた自己紹介をした。――『一人何役もやって、人を困らせるのが趣味です』ってね」
彼女は当時の自分を思い出して、人目もはばからずけらけらと笑った。
「そして、あっちに向かった」
エイミーは旋風のように歩き出すと、ぴょんぴょん飛び跳ねながら超電導タクシーを止めると、
「ルート431を真っ直ぐ行ってください」
とだけいった。
マウンテンブルックを過ぎると、周囲の景色が一変した。しだいに濃くなる緑の木樹に誘われたかのように、エイミーは車の窓を開けると、胸いっぱいに清々しい空気を吸い込んだ。
それから、タクシーは何回か小川に架かった橋を超え、こじんまりしたビッグ・コーブの町を突風のように吹き抜けた。そのすぐ先にはハンツ川があった。
「ここでいいです。止めて」
精算を済ませたエイミーは吸い込まれるように、川辺へと走っていった。
そして、かつて祖父と孫のようにしてルフトとともに乗り込んだ、一艘の半動力ボートがあった場所へとやってきた。
「あのころのわたし、随分と偉そうだったわね。物知り顔して滔々とルフトさんに説明してた。まるで一廉の諜報員になったつもりだった。――でも、ルフトさんずっとにこにこしてたな。それで、二人で川を下った」
エイミーは呟きながら川下へと足を運びはじめた。
そうして、あちらを見てはなにかを呟き、こちらを見てはなにかを呟き、三十分ほど歩いたところで足を止めた。
「ここだ! ここでルフトさんと一緒にタブレットにある情報を破棄して、それを川に投げ込んだのよ。気持ちよかった。任務完了、どっぽーん! って感じだった」
彼女は笑っていた。あれほど悩み苦しんだ過去が、いまになってみれば嘘のように可笑しかったのだろう。
「そして一日中、川に潜って死にそうになりながら、捨てたタブレットを探すために川攫いをしたの! それでね、聞いてよフーディ、みつからなかったの。全然見つからないで、疲れ切って停めといた車に戻って、わたし爆睡したんだ。そこに電話。――ねえ、誰だったと思う? ミーシャだよ! あのミーシャから電話がきたんだよ。犬猿の仲だなんて周りじゅうからいわれてたけど、いまは一番の友達だよ。――嘘、フーディ、あなたの次にね」
満面の笑みを浮かべながらエイミーは川辺を走った。
その横を大空から舞い降りた水鳥が追翔して、やがて水飛沫をあげて着水した。
「やるわね! わたしも負けない!」
エイミーは両手を広げて走った。
そうしてなにかに躓いて転んだ。
「痛いなあ、もう……反則よ。水面には凸凹なんてないのに」
いいながら彼女は躓かせたものの正体を知ろうと、地面にお尻を着いたまま犯人らしき物体に視線を注いだ。
「嘘、嘘でしょ! ほんとに世界って面白い!」
エイミーは高らかに大声で笑った。
それは、爽快な気分で川に投げ捨て、死にそうになりながら川攫いまでして探した、朽ち果てたタブレットだった。
彼女は立ち上がると、服や身体についた汚れを払うと、真剣な眼差しをしていった。
「さあ、ここからがわたしの未来よ! しっかり目に焼き付けておくのよ、エイミー・ゾイ・オイ!」
そういうと、エイミーは川に沿って歩きはじめた。
そこから南は彼女もまだ見たことのない風景だった。
「パヴリーン・スタウロスはこの先にいるのかしら? ねえ、あなたはどこの誰なの?」
彼女はどこにあるのかわからない時間のなかを、歩きながら考えはじめた。
(ねえエイミー、さんざん調べたんだからもういいんじゃない? パヴリーンに会ってどうするの? ティシアーはもういないんだもん。パヴリーンに彼が死んじゃったこと伝えてどうなるの? 知らなくてもいいことってあるんじゃない? わたしがティシアーのこと憶えてるから。――それに、調べてみてわかったけど、パヴリーン・スタウロスなんて名前の人いないと思う。だって十字架の孔雀なんて名前だれがつけるの? ティシアーだってそう。十字架の犠牲者だよ。そんな名前つけたがる人はいないよ。いるとしたら相当の篤信家。きっと、なにかのやり取りをするための隠語だったのよ。でなければ、わたしが勝手に想像の世界で空想しただけ。――どんなにかわたしに似てるか知らないけど、パヴリーンはわたしじゃないし、わたしはパヴリーンじゃない。――ねえエイミー、わたし過去と未来を恐れすぎてたんだと思うよ。それで、ありもしない自分を作り出して探してた。でも、いないんだよ、ここには過去の自分も未来に自分もね。もしいるなら……)
「いますぐ出てきなさいよ、パヴリーン・スタウロス!」
エイミーは大きな声で空に向かって呼びかけた。
「ほらね、呼んでも応えないじゃない。わたしもうやめるんだ。過去と未来に怯えるの」
(それにね、従姉なのに同じ苗字とかおかしいよ。そりゃあね、父方が同じとか、母方が苗字を変えるのを嫌がったとかでそうなることはあるよ。でも、ティシアーの場合そうじゃないんだもん。ちゃんとご両親に確かめたもん。できる範囲だったけどね。――だからきっと、二人が小さな頃から呼びあってた渾名とか愛称なんだよ。なら、そっとしといてあげるほうがいい。わたし、ティーポの本名すら、いまも知らないけど、ティーポはティーポだもん)
エイミーは一時間、二時間と声をあげながら、笑いを立てながら、呟きながら川辺を歩いた。
ハンツ川はある場所までくると、突然直角に近い角度で曲がり、しだいに川幅を増していった。
それから一時間もすると、彼女は悠然と流れるテネシー川に突き当たった。
「大きな川はいつか海に流れ込む。それでいいじゃん。――さあ帰ろう。ごめんね待たせて、フーディ」
結局、フイデースと約束した三か月を使い切っても、エイミーはパヴリーンを見つけ出すことはできなかった。だが、彼女は満足していた。
なぜなら、なにより大事だと思える自分を見つけたと思えたからだった。
南を目指すのではなく、自分が南になればいいと、改めて気づいたのだった。
こうしてエイミーは、アラバマを発って月へと向かったのだった。




