#55 スリープ・ドリーマー――新生児
数多くの喪失を経て、いまや無二の親友となったといえるパンタミーマに勧められて、エイミーはふたたび《リヴァール号》、船上の人となった。
失った人を点として結びあわせていったとき、それは必然だったといえたかもしれない。
しかし、あらゆる出来事を繋ぎあわせた原点ともいえる、その船で過ごせる時間は限られていた。
たった三時間――。
だがそれは、エイミーがこの先の道を決める、貴重な時だったといっていい。
彼女は客室の一隅にある、ありふれた席に座っていた。
(ミーシャはああいってたけど、ちょっと違うような気がしてきた。パヴリーンは常にペアで存在するってわけじゃない気がする……。でも、それを考える前にいろいろしなきゃいけない……)
焦りこそなかったが、エイミーはすぐにすべきことに取りかかった。
(まずは、タブレットのフル・バージョンアップ。うっかりしてて放ったらかしだった。でも、これはテライダ任せでいい)
胸のうちで呟きながら、エイミーはタブレットのOSに更新をかけた。
画面の表示が切り替わって、作業がはじまったのがわかった。
(その間に、ちょっと考えようかな。――パヴリーンは常に三対で存在する。そうだったらどうなるだろう? おそらくこうね。
おおもとの水晶は三つで一組。もしそうならティーポの問題も解ける。ティーポは水晶を元に戻したっていってたけど、そうすることで水晶も水晶玉も人工知能も悪用から守れるとする。なぜって、三つのうちのひとつが欠ければ用をなさないから。――つまり、卵ははじめ三つだった。で、そのうちのひとつが羽化してオスの孔雀になった。ティーポが羽化しなかったのはメスだっていってたけど、それは羽化した場合のこと。そして、オスとメスは二つでペアになるけど、それは本当のペアとはいえない。――ようするにオスとメス、それからオスでもメスでもない三対の状態が理想。だから、ティーポはわたしに『パヴリーン、お前はオスとメスの孔雀だ』っていった。
これが正しければ、ティーポが戻したのはオスでもメスでもない卵になる。ティーポは『メスは目立たない』とはいったけど、これは一般論。だって、メスだって判別できる時点でわかりやすいとはいえる。つまり、男女の社会的な力関係になぞらえるなら、卵を三対で一組にすることですっきり解決する。
じゃあ、実際問題として水晶玉と人工知能、それと守り手の関係はどうなの? それはこう整理できるんじゃなくって? 水晶玉ないし人工知能はペアになった人たちによって守られる。本当のところ守りあってるっていったほうが正確だけど。――つまり、ネライダはルフトさんとシレーヌさんで三対。テライダは母さんとお婆ちゃんで三対であり、母さんないしはお婆ちゃんがいなくなった場合、わたしが代わって守り手になればよかった。――それで、ディッキーとリッキーは名前のない人工知能と三対。
ルフトさんが胸に抱いていた水晶玉はどう? これは難しいけど、ルフトさんとお婆ちゃんとカールお爺、この三人がうまく三対になってたんじゃない? もっともお婆ちゃんはテライダ担当だったから、そこから外すと、水晶玉はルフトさんとカールお爺で三対。ほら、ぴったり綺麗に納まっちゃう。だって、ルフトさんとカールお爺は長いこと同じ屋根の下で暮らして、そこには水晶玉があったじゃない。
そしてミーシャ。これは本当に典型的なんだよね……。いまのミーシャは二つの人工知能と繋がってる。これで三対。で、子どもたち二人とミーシャで三対。――わたしたちが《リヴァール号》で楽しくやれてたときはさ、ミーシャがいてティーポがいてわたしの三対だった。もちろんあの頃のミーシャは人工知能とは無関係だったし、妊娠もわかってなかった。でも、お腹に赤ちゃんがいるってわかってから、わたしたちバラバラになった。パンチャ先生が関わったり、まだ双子ともわからないお腹の子どもがいたりしてね。もちろんそれが悪いことだとは思わないけど、均衡が崩れたとはいえるのよね……。
そうしてわたし。わたしが幸せを感じてたのはいつも三対が安定していたときだった。ディッキーとリッキーとわたし。ミーシャとティーポとわたし。そして、ディジアとフーディとわたし。お婆ちゃんとテライダとわたし……。それに、短い時間だったけど、ガニメデの北軍基地の一室でティーポとティシアーと一緒にいたとき、わたし幸せを感じてた。けど、それは過去のこと。――だったら、わたしこの先どうやって三対を作ればいいんだろう?……。
そうだよね、やっぱりそうなるよね。だとすると、やっぱりディッキーとリッキーとわたしなんだろうな。でもさ、彼らは名前のない人工知能と三対になってたら、わたしの入るところないんだよね……。どうすればいいんだろう。――たとえば、お腹の赤ちゃんがミーシャみたいに双子で男の子と女の子だとかなれば、それは凄いことだけど、そんな確率どれだけ低いのよ……)
エイミーは、OSを更新中のタブレットを使って、ざっと計算しはじめた。
「十六万分の一だってさ……。パーセントだと0.000625% !! そんな偶然ありえない! だって指定難病でさえ人口の0.1%だよ……。無理!」
(じゃあどうすればいいんだろう?……新しい旦那さんでも探す? それもそんなに簡単じゃないよね)
「あーあ、考えても仕方ないかもな……それこそ偶然に身を任せてたほうがいい。十六万分の一を狙って博打するなんて酔狂だもの……」
そういって溜息をついたエイミーは席を立って、空いた場所にタブレットを置いた。
「おトイレいって懐かしの場所でもちょっと見てこようっと。あんまり時間もないし」
呟いたあと彼女は通路を歩きだした。
そうしてトイレから出てくると、エイミーはパンタミーマともっとも多くを語りあった宇宙船用の厨房にやってきた。
「わあー、随分と変わっちゃったね。まあでもそうだよね。いまはこの船、乗客運んでないもんね」
厨房はすっかり変貌していた。すべての設備はセルフサービス用に置き換えられ、かつての面影はほとんどなかった。
「でも、やっぱり懐かしい」
いいながらエイミーは、パンタミーマがつわりに悩まされて嘔吐したあと、床にお尻をべったりつけてへばっていた場所に足を運んだ。
「『根性だす……』そういってミーシャ、ヒールを脱ぎ捨ててパンスト履いた足先をむにゅむにゅ動かしてたっけ。深刻な場面だったのに可笑しかったなあ……」
(うわ、なに !?)
エイミーは突然自分の身体が凍りつくのを感じていた。
(あれれ? なにこれ?)
いや、そうではないようだった。彼女の時間あるいは、その周りを流れているはずの時間が異常にゆっくりしている感覚に痺れたのだ。
(どういうこと?……)
エイミーの視線の先に見える床は、スローモーションになってゆっくりと蠢いていた。
さらに彼女は、視野に映っているものすべてが自分のなかに流れ込み、自分のなかにあるものすべてがそとに流れ出し、まるで世界と一体化しているような奇妙な違和感に囚われていた。
(これだ! これがティーポがいた時間なんだ……いや、これは時間とはいえない……)
それは、僅か千分の一秒間くらいの出来事のようだったが、エイミーはそれこそがパンタミーマのいっていた、時間がほとんど止まる場を作り出す、《リヴァール号》の機関由来の特異現象だと悟った。
エイミーは流れない時間の感覚を逃さぬよう、薄れぬようにしながら呟いた。
(ティーポ、やっとわかったよ。あなたが伝えたかったこと。永遠に感じるような止まった時間は辛いけど、それでもそれを生きて、世界に三対の法則を広めたかったんだね。ティーポ、わたしやっとわかった。あなたがなんで撮影機材をあんなに大事にしてたのかもわかった。ティーポと機材と誰か。それで三対を作れるって知ってたんだね。それに、それは別に人間でなくてもよかった。だから、宇宙や氷を撮影してみんなに見せたかったんだね。だからミーシャのお腹の子は大丈夫だって知ってたのね……。ティーポ、あなたって……)
エイミーはそう気づいたとき自然と、嬉しくも悲しくもない顔をして涙を流していた。
「優しい人……」
囁き声でそういったあと、彼女は席に戻っていった。
だが、その彼女のなかでもそとでも、時間はもうもとどおりになっていた。
「あーすっきりした!」
エイミーがなにに対してそういったのかはわからないが、彼女は座席に置いていたタブレットの更新が終わり、スリープ状態になっているのを目に止めた。
「よっこいしょ」
そういってタブレットを手に取ると座席に腰掛けた。
「あなた、ほんとに更新終わったの? おい、起きろ」
昔から習慣化しているように、独り言を声にしてそういいながら、エイミーは画面に触れた。
「なにそれ?」
画面にはそれまで彼女が目にしたことのない表示があった。
真テライダ体系 が起動されました――。
「意味がわからない……」
いいながらも、エイミーは首元のリストコムに触れて声を立てた。
「ワイフィー、ワイフィー。元気にやってる?」
「はい、もちろんです。精力絶倫、元気も元気です!」
すぐに返答がきた。
「ふーん、そうか。ならよかった」
「安心されましたか?」
彼女はそれには応えず、
(じゃあこの"真テライダ体系"ってなによ? もしかして、テライダが二つに増えたの? そんなことある? まあいいや。ワイフィーとは話ができるみたいだから)
「あーあ、あと三十分で地球に着いちゃう。ちょっと寝ようかな。疲れちゃった」
エイミーはそう呟くと、散らかした物をトランクに仕舞って片付けると瞼を閉じた。
《リヴァール号》は予定どおり、地球のアラバマ宇宙港に着床した。
眠たげな目をした彼女はタラップを降りきると振り向いていった。
「おーい、ティーポ! 必ず《リヴァール号》に戻ってくるんだよ! だって船があなたのお家なんだし、産まれた場所なんだから! ――わたし信じてるよ、あなたの優しさ。それじゃ、またね! ――あとそれから、荒くれ船員さんにお願ーい! ティーポが戻ってくるまで船の面倒をよくみてやってね! 頼んだよー!」
人目も憚らずそう叫んだあとエイミーは歩きはじめた。
パンタミーマから教えてもらった場所へと。ディッキーとリッキーがいるであろう施設に向かって。
その建物はアラバマ郊外にひっそりと、人目につかない場所にあった。
そこに来る目的を持った人であれば、見上げるまでもなく気づく位置に看板が掲げられていた。
しかし、その看板は衆目を避けるように掲げられていた。
美しく磨きあげられた表示板は一切汚れがなく、既に三世紀以上を過ぎて営業しているようには、とうてい見えない清潔さがあった。
「ここだ、間違いない。ミーシャからもらったメモリーカードどおりだ」
エイミーは看板の文字を改めてもう一度読んだ。
永遠宮 タージ・マハール――。
彼女は入口をくぐると地下へとつづく階段を降り、その先にあったエレベーターに乗り込むと、さらに地下深くへと下りていった。どれくらいの時間そこにいたのかもわからなくなったころ、エレベーターが止まって扉が開いた。
エイミーはそこから先へ足を進めて受付窓口に辿り着くと、そこにいる女性に声をかけた。
「すみません、ちょっと複雑な事情があって、できれば支配人さんとかそういった責任者の方とお話したいんですが、大丈夫でしょうか?」
「ちょっとお待ちください」
女性は受話器を手に取ると小さな声でやり取りしたあといった。
「お客様、私どもが秘密厳守なことはご存知ですね? ですから、身元の確認等も必要ないのですが、支配人クラスとなると、そうもいきません。なので、身分証かなにかを提示していただけますか?」
「身分証ね……」
エイミーはとたんに困ってしまった。
もはやフリージャーナリストは廃業していたので、携帯電話の電子名刺を見せることもできず、かといって、膝まで足を突っ込んでいる悪徳と取られ兼ねない、情報屋と名乗ることもできなかったからだ。
しかたなくエイミーはかつての権威を渋々使った。
「あの、わたし元国際宇宙機構の特級秘書だったんですけど。あ、もう辞めちゃったんですけどね。でも、在職当時の身分証でもいいですか?」
不安と緊張の面持ちで彼女がそういうと、受付の女性はにっこり微笑んで、
「それで結構ですよ」
といった。
受付の女性はエイミーが手渡した身分証を、カード読取機に通すと、すぐにそれを返して、立ちあがってからいった。
「それでは、あちらへどうぞ。この先にある三十三番のお部屋に入って座ってお待ちください。ご入室時にノックは必要ありません」
エイミーは示された方向へと歩いて、受付でいわれた番号を見つけ出すと、部屋の扉の奥に消えていった。
十分もしないで入口とは違う扉が開き、支配人らしき男が入ってくると、エイミーと挨拶を交わしてから、向かいの席に座った。
「本日はどうされました?」
彼女は時間を無駄にする気がなかったのか、長い間の謎が解けそうな確信からか、用件を直球で口にした。
「あの……この施設に国際宇宙機構の元本部長とその奥様、つまり、ヴァルト・ディッキヒト・エーアハルトと、その妻リッキー・エーアハルトは収容されてますか?」
支配人らしき男は、さも当然といった顔をして答えた。
「大変申し訳ありませんが、お答えできません」
エイミーはそう対応されることを承知していたが、目の前にいる男の堅固極まりない防壁をどう突き崩すかまで、考えてそこに来たのではなかった。
「わたしがディッキー、つまりヴァルトJr.とリッキーと昵懇の間柄だったといっても駄目ですか?」
「答えは変わりません」
「国際宇宙機構の身分証は先程、確認されましたよね?」
「それは承知していますが、それとこれとは違う問題なのはおわかりになりますよね?」
エイミーは深々と溜息をついたあと、めげずに切り出した。
「では、話が長くなるのですが、聞いてもらえますか? わたしの話」
「どうぞ、つづけてください」
こうして彼女は宇宙機構を辞めてからの、波乱に富んだ三年間の出来事を余すことなく物語った。
だが、支配人らしき男の防壁は1ミクロンも揺らがなかった。
「それは大変なご苦労をされましたね。心より哀悼の意を表します。――ですが、答えは変わりません」
エイミーは遂に目を怒らせて声を大にして訴えた。
「じゃあこれはどうですか? 御社と宇宙機構には関係がある、ないしはあった。これぐらいなら答えてくれますか? イエスかノーかだけでもいいんです」
「ありはしますが、なくもあります。これでよろしいでしょうか?」
エイミーはその言葉を聞いて情報や技術の交流はあるが、経営や運営は互いに独立していると解釈した。
「そうですか、わかりました。では次の質問です。――もし仮にわたしがこの施設への入居を希望した場合、料金はどれくらいになりますか?」
支配人らしき男は戸惑いを見せずにいった。
「ケース・バイ・ケースですので、一概にはいえませんが、先程の長いお話のご様子からすると、おそらく、私どもがお求めする金額のお支払いは不可能ではないかと」
「なにも教えてくれないで、入居も拒否ですか。酷くありませんか。あんまりです。――わたしがどんな思いをしてきたかは、さっきの話でわかるはずです。すこしくらい妥協してもらえませんか?」
エイミーはこのとき感情的になっていたのではなかった。ただ、ディッキーとリッキーのことが知りたくて、ここでなんとしても決着をつけたいと願っての口吻だった。
「お客様、私どもは古代で有名なスイス銀行に匹敵、いやそれ以上にお客様と交わした情報に対しての、信頼と実績を誇っています。そういうことでご了承いただけませんか?」
支配人らしき男は穏やかなうえにも穏やかだった。
「じゃあ、なにも教えられないし、お金のない人の入居は問答無用で拒否するんですか? そんな人権感覚いまどきおかしくないですか? 情報と人間、どっちが重要だと考えてるんですか?」
「どちらもです」
「だったら、なんらかの方法があるはずです。条件を提示してください。教えてもらえる条件を!」
このやり取りに動かされたのか、あるいは接客マニュアルどおりなのかは定かではなかったが、支配人らしき男は、核心に迫ったという顔をしていった。
「どこまでの覚悟をお持ちか存じ上げませんが、かなり厳しい条件ですよ。場合によっては私どもの話を聞いたことで、あなたは陽の光を浴びることができなくなることを覚悟できますか? そうであるならお教えできる部分もあるかと存じますが」
「覚悟ですか……覚悟ね……」
(わたしはいい。半分死んだみたいなところがあるから。でも、お腹の赤ちゃんだけはなんとかしたい……)
エイミーはそう強く思ってからいった。
「すみません。わたしいまお腹に赤ちゃんがいるんですが、その子だけは犠牲にしたくないんです。それ以外の覚悟ならだいたいあるんですが……それでどうですか?」
彼女は弱々しくいいながら、膝の上に置かれた手を落ち着きなく動かしていた。
「それなら心配に及びません。私どもの施設には妊娠中に入居され、そのまま過ごされている方もいますので」
「じゃあ、教えてください。ディッキーとリッキーはこの施設にいるんですか?」
「お客様、いま一度確認させください。――私どもがその質問にお答えして、あなたがそれを耳にした以上、あなたはこの設備に強制入居ということになりますが、それでもよろしいのですか? 勘違いして欲しくないのですが、これは脅しではないのです。――つまり、情報の漏洩を防ぐためには、私どもにはそれしか方法がないのであって……。そこをご理解してご協力いただけるようであれば、そうですね、あなたがお知りになりたいことは、ほとんどお話できると思いますが、どうでしょうか?」
そのとき、エイミーの脳裏に《リヴァール号》で考え、また体験した幾つかの不思議な出来事が鮮明に浮かびあがった。
三対一組の法則、チクローポと彼の流れない時間、真ネライダ体系の起動が、瞬時にひとつに結びついていた。
(ねえエイミー、テライダがもしあのとき二つになったなら、いまのわたしって二つのテライダとわたしという三対なんじゃない? ――待って、でもお腹の赤ちゃんはどうなるの? ああそうか、赤ちゃんはもともと男か女かもわからない二面性を持っているから、赤ちゃんとわたしも三対なんだね。――そっか! パヴリーンていうのは、三対一組だけでなく三対二組でもいんだろうね。でも、本当にそれであってるのかな? それに、わたし戦争がつづく世界で生きていける自信がない……。だったら、賭けてみてもいい。お腹の赤ちゃんが平和に暮らせる日が来ることに……。フイージア、ディジデース、あなたたち、わかってくれるよね?……)
エイミーは支配人らしき男の目をじっと見据えてからいった。
「あの、入居時に赤ちゃんがいても平気なことは理解しました。それではこういうのはどうですか? たとえばわたしが持っているタブレット」
そういいながら彼女はトランクからタブレットを取り出してテーブルに置いて見せた。
「それとこの首にしているリストコム。こういうのの入居中の機能の維持や安全は確保されるんですか? リストコムのことはわかりますよね?」
「はい、もちろんです」
支配人らしき男はそっけなく答えたが、その先があった。
「ただし、そう多くはないのですが、入居を決めたあと気持ちが変わってしまって、暴れ出すケースがあるんです。ですから、そういった場合は申し訳ありませんが、こちらで安静剤を投与させていただいて、強制入居ということになりますが、それでもよろしければということです」
「そうですか、わかりました。わたしの場合おそらくそうならないと思います。でも、なぜわたしのように支払いさえ不能な人間を強制入居にするのですか? 下品ないいかたになりますが、そんなことしても儲けにならないですよね?」
支配人らしき男はにっこりと笑ってから答えた。
「私どものモットーは信頼と実績です。ですから、それを積み上げていけば自然と収入も得られるということです。つまり、あなたのような方が強制入居になっても、きちんとその後のことに抜かりがないことが、信頼と実績に繋がるわけです」
「なるほど、よくわかりました。――では、改めてお訊きします。フルネームのほうがいいですかね?」
「いいえ、愛称でも結構です」
エイミーは固唾を飲み、ごくりという音を耳の奥で聞いたあといった。
「ディッキーとリッキーはこの施設に入居していますか?」
「しています」
「彼ら二人だけでなく、さっきわたしが訊いたような、つまりですね、彼らは稼働中の人工知能とともに入居していませんか?」
「そのとおりです」
そのとき、部屋にある扉すべてに電磁ロックがかかる音をエイミーは耳にした。
一瞬、ぴくりと身を震わせたあと彼女はさらに訊いた。
「その人工知能の名前はなんといいますか?」
「プネウダです」
「そうですか……」
エイミーの脳裏には光景があった。足跡ひとつない新雪の平原がどこまでもつづく茫漠とした光景があった。
(なんにもない無の世界だ……。けど、ぜんぶある気もする。それにわたしには赤ちゃんがいる。きっと、ずっとずっと一緒にいられる。――ねえフーディこれでいいよね? わたしまだそっちには行けないけど、これからとてもあなたに近い所に行くよ。そうね……顔は見えないけど話はできるとか、声は聞こえないけど顔は見える。きっとそんな場所だと思う……。それにねフーディ、わたしやっと確かめられた。リッキーとディッキーがプネウダと三対で一組になってるって。二人はぜんぜん不幸なんかじゃなかった。いま、ディジーとフーディはどうなの? いつか三対になれそうかな? だといいんだけど……。そうだ! いまはどうかはわからないけど、二人はしばらく戦闘艇住居で抱きしめあってた。人間だけで三対になる必要なんてないし、二人には機関という共通項もあった。じゃあきっと平気だね。――わたし心配しすぎだったのかも。フーディ、ディジア……わたしも赤ちゃんと必ず幸せになるから許してね……)
エイミーの黙想を破るようにして、支配人らしき男の抑揚のない声がした。
「それでは、あちらへどうぞ。お約束のとおりあなたは強制入居になりましたので」
その言葉が途切れるやいなや、部屋の一番奥にある扉の、電磁ロックが解除される音がした。
彼女は無言で立ち上がると、支配人らしき男の後について歩いていった。
入居前の控室だろうか、真っ白な部屋に案内されたあと、支配人らしき男が手に持っている小型タブレットを見せながらいった。
「猶予期間はどうされますか?」
画面には一時間から二週間まで、様々な期間の選択肢が表示されていた。
「では、三時間で」
「触れてください」
エイミーはいわれるがままに画面に触れ、「三時間」と書かれた枠をタップした。
「身体の精密検査にかかる時間は、含まれていませんのでご安心ください。それではあちらへどうぞ」
支配人らしき男が案内したのは、以前エポラールやテライダと過ごした地下壕にあった、医務検査室に似ていた。エイミーはそこで身体の隅々まで精密検査を受けたあと、ふたたび控室に案内された。
「健康にはまったく問題がありませんでした。――妊娠されてますが、どうされますか? お子様の性別はお知りになりますか?」
「いいえ、結構です」
彼女は硬い意志のこもった口調で決然と答えた。
「それでは、残り三時間を心ゆくまでお楽しみください。私どもは一旦これで失礼します。お時間になりましたらお迎えにあがります」
そういって支配人らしき男は姿を消した。
エイミーはしばらくぼんやりと座ったままなにもしなかった。
しかし、思いついたようにトランクを開けると、そこから緑色のLEDを改造したピアスを取り出して左耳に付けて呟いた。
「ルフトさん、わたしようやく約束を果たせそうだよ。――ティーポ、左目が見えなくなったのショックだったろうな。わたしと同じように、左は守る人っておまじないとかしてたらの話だけど。――あれ? ディジーはどっちの耳が聞こえなくなったんだっけ? もう、わからないや……。だって戦争が滅茶苦茶にしたんだもん。そうよ、木星で南北がドンパチやってるうちはまだいくらかましだった。でも、それで勝った負けたになったとたん、北と南とシードーラが三つ巴になった。本当はそれで均衡が取れればよかったのに、北軍もシードーラも余計なことして、それで南軍の基地にいたフーディが死んじゃった……。あの人たちには約束なんてないも同然なのよ」
エイミーは怒りと悲しみに囚われそうになったが、大きな溜息をひとつしてそれを手放した。
「そうだ、このことワイフィーにも伝えとくべきかな? あれ? テライダだったっけ? どっちでもいいや。テライダと真テライダ体系は同じものだろうし。地下壕にいるテライダの燃料が切れてワイフィーが止まってしまっても、わたしのすぐ傍にはテライダがいるんだもの。だから心配ない。その真テライダ体系とわたしは、止まったような時間のなかで千年は守りあっていく。そうしてお腹の赤ちゃん。つまり、三対二組なのよわたしたち」
エイミーはそう囁きながらトランクからタブレットを出して抱きしめた。そのタブレットの裏には彼女が遠い昔に貼った、孔雀の羽にある目のような模様のシールがあった。
「ティーポ、気づくの遅くなったけど許してね。ミーシャ、子どもたちと仲良く末永くね。わたしずっと祈ってるから」
とりとめもなくだろうか、彼女は沸きあがってくる思いを口にしながら三時間を過ごした。
ノックの音がして控室の扉が開くと、さきほどの支配人らしき男が立っていた。
「お時間になりました。ご案内します」
エイミーはこうして、永遠宮タージ・マハールで、冷凍睡眠カプセルに横たわった。
カプセルの半透明な蓋が閉じようとするのにあわせて、エイミーは瞼を閉じようとした。
傍に付き添っていた係員がいった。
「目は開けたままでも構いませんよ。自由になさってください。じきに眠くなって自然に閉じてしまうので」
それは、エイミーにとってこれまで耳にしてきたなかでも、特別優しく響いた声のようだった。
首にリストコムを嵌め、左耳に緑色のLEDを改造したピアスを付け、胸に真テライダ体系そのもののタブレットを抱きかかえ、お腹に赤ちゃんを宿したまま、彼女は瞼を閉じて祈りはじめた。
エイミーの願いはたったひとつだった。
戦争のない平和な世界でお腹の子を産み育てたい。
そして、いつかそういう時がくると信じて、冷たい眠りの揺り籠に身を委ねたのだった。
――完――




