#45 ブロークン・ハート――破壊
三色に塗られた練習機は、ユーリ隕石孔基地に着陸して滑走路の端で停止すると、すぐにキャノピーを開いた。
操縦席に座っていたコルデは素早くコクピットから抜け出すと、エイミーが機体から降りるのを手伝いながらいった。
「いまの君と僕はさっさと逃げなければならないキツネだ。意味はわかるね?」
「わかります。キツネはそれほど強い動物じゃない、だけど狡賢いってことですね」
「そう、そのとおり、さっさと逃げるのが得策ってこと」
コルデは貨物室に積んでいた、エイミーのトランクを取り出して、手渡しながらそういった。
「さあ、行って」
「でも、お別れぐらいちゃんとしたい」
「そんなことしてると捕まって独房入りだ。――僕は行くよ」
コルデは機体に装備された梯子をのぼり操縦席に滑り込んだ。
「じゃあせめてこれで。またお会いしましょう、大尉!」
エイミーはトランクを地面に下ろし、まえより下手になった敬礼をした。
コルデはそれを見て頬を緩めながら、ヘルメットを被り酸素マスクを装着すると、キャノピーを閉めはじめ、
「さっさといかないと、感電死するぞ、可愛い子ちゃん。――またね!」
といって機首を向けなおしにかかった。
エンジンから吹き出されるプラズマの強力さもあったが、エイミーもまた逸る気持ちに痺れを切らしたのか、人気のない方角へと走り出した。
そうして、ユーリ隕石孔基地の警備の薄そうな外郭までくると、そこに張られたフェンスを乗り越えて、幹線道路に出た。
(ここまでは来れたけど、フイデースの戦闘艇住居の場所は憶えてない。どうしよう……。そうだ!)
なにを思いついたのか、エイミーは道端でトランクを開けてタブレットを取り出して起動させると、画面に指で文字を書いた。
――乗せてください !! 郊外方面 戦闘艇住居を知りませんか !?
そして、超電導車が通るたびにタブレットを掲げてアピールした。
五台、十台と通りすぎていった。なかにはクラクションをならして迷惑がったり、揶揄いながら通りすぎる車もあったが、十七台目の車が止まった。
エイミーはすぐに車窓越しでも聞こえそうな声で運転手に訊いた。
「乗せてもらえるんですか?」
「いいけど、戦闘艇の近くまでだよ」
その言葉を耳にして彼女の顔が綻んだ。
「じゃあ、知ってるんですか?」
「知ってるんだけど、近くまでだよ。それでよければ」
「大丈夫です。近くまで行ければ、なんとかなると思うんで」
「そう、じゃあ乗って」
運転手の青年は戦闘艇マニアだった。それが理由で、フイデースが住居にしている戦闘艇を何度か見に行ったことがあったのだ。僥倖ではあった。だが、その青年が車中で得意になって戦闘艇のことを話せば話すほど、エイミーは青年がなぜ「近くまで」といったのかが気になりだしていた。
二人の会話が一時間ほどつづいたあと、車は鬱蒼とした林の入口で止まった。
「すまないけど、ここまでだね。けど、方角と大体の距離は教えられる。あっちだね」
そういって青年は腕をあげて指し示しながら、
「時間は、そうだね……。十五分から二十分も歩けば着くよ。この林を抜けてすぐだよ」
といった。
「わかりました。ご親切にありがとうございます。――あの……なにもお礼とかできないんですけど」
いいながらエイミーはトランクを開けて、
「これ、よかったらどうぞ。ガニメデに行ったときに、おみやげで買ったんですけど、渡す宛がなくなっちゃって」
といって掌におさまる小さなオブジェを青年に手渡した。
それは、鷲の翼を生やした少年ガニュメーデースの像だった。
「なにこれ?」
オブジェを受け取った青年は不思議そうにそれを眺めながら訊いた。
「ガニュメーデースです。そのままですね」
エイミーは照れ笑いしながら先をつづけた。
「ゼウスの酒盛り役として地上から誘拐されたんですけど、鷲の翼で逃げ出すこともできる。そんな曰くがあるそうです。――つまり、お酒には困らないけど、お酒に呑まれもしない。そういう謂れというかおまじないがあるんだとか。戦闘艇には関係ないですけど。でも、あなたが今後そんなふうになれたらいいのかなって……」
「へえ、そうなんだ。わかりました。もらっときます。確かに、僕も夢中になるとなにも見えなくなるほうだから、いいおまじないかも」
青年は微笑みながら助手席側のドアを開けた。
車を下りたエイミーは、楽しい会話ができたことで、なんとなく去りがたさを感じているようだった。
「どうもありがとう。助かりました。それじゃまた」
「気をつけてね」
そう挨拶を交わしたあと彼女はそこに立ったまま、超電導車が見えなくなるまで見送ったあと、林に向かって歩きはじめた。
林はエイミーが予想していた以上に鬱蒼としていた。そのせいだろうか、彼女は時折方向がわからなくなって迷い、戦闘艇が見えてくるまで四十分ほどかかった。
しかし、ようやく眼前にそれを目にしたエイミーは衝撃に打たれた。
外観を浮き上がらせるために、敷地の四方に設置されていた照明器具は壊れたまま放置されたのか、一灯だけがちかちかと点滅して、不気味に戦闘艇住居を浮かび上がらせていたのだ。
それだけでなく、戦闘艇の外観も荒れ果てていた。
(フイデースはもうここに居ないのかしら……。もしかしてさっきの運転手さん、こうなってたことを知ってたから、近くまでっていったの?……。マニアに部品を盗まれることがあるって聞いたことあったけど、それとは違う感じがする……)
エイミーは胸騒ぎを覚えたが、ここまで来てなにもせずに帰る気にはなれず、かといって物事を悪く考える気にもなれないようだった。
彼女はトランクから懐中電灯を手に取ると、戦闘艇のまわりをぐるりと一周して、その様子を見て回った。
酷い有様だった。ある部分は酸性の薬品かなにかを降り注がれたのか、外板や内部構造が溶けて癒着している箇所があった。特に機関部の損傷は目を覆いたくなるほどだった。どうすればこんな壊れ方をするのかというくらい、滅茶苦茶に破壊し尽くされていた。超一流の整備士がいてもどうにもならないほど徹底的に破壊されていた。そしてその破壊は、どうやら人為的なもので、硬質な棒や槌で殴られたような痕跡をはっきりと読み取ることができた。
(いないならいないで仕方ないけど……)
エイミーは懐中電灯を消すと、戦闘艇住居の入口に向かって歩いて、扉の前で立ち止まった。
(扉はなんとか開きそうね……でもこの臭いはなんなの?……)
扉の間にある微かな隙間からだろうか、饐えたような臭いが外に漏れ出しているようだった。
彼女はそれが耐え難かったのか、ポケットからハンカチを取り出して、鼻と口を覆った。
そして、病気をしたことで痩せて細くなった腕をあげると、扉をノックした。
金属を叩くやけに乾いた音が林のほうへ響いていった。
エイミーは、二度、三度とノックを繰り返した。
「フーディ、いるの? いないの? いるなら開けて」
四度目のノックのあと、扉の向こうからなにかを引きずるような音とともに、足音が聞こえたあと、錆だらけの扉が軋みながら開いた。
エイミーの目の前には、やつれ果てた男の姿があった。
無精髭に覆われてボサボサの髪をした男を目にしたエイミーは、それがフイデースであることに自信がもてなかった。
「フーディ?……フーディなの? わたし……エイミーだけど……」
噎せ返るような異臭が彼女に襲いかかった。
「ああ、君か……」
すぐにそう答えた声に聞き覚えのあったことから、彼女はそれがフイデースであることを確信した。
しかし、彼はそれ以上なにもいわずエイミーに背を向けると、手にしたなにかをずるずると引きずりながら艇内に戻っていった。
「待って……待ってよ……」
エイミーはハンカチで鼻と口をきつく覆いながら、靴を脱ぎ捨てて彼の後を追った。
だが、フイデースが引きずっているなにかからか、凄まじい悪臭がして、近寄りがたかった。
そのなにかにある黒い染みに彼女は強い恐怖を感じていた。
いまにも吐きそうなまま、饐えた臭いに咽びながら、エイミーはフイデースを追っていった。
彼は模擬訓練機のところまでくると、それに背中を凭せて座ったあと、手にしていたなにかを胸に抱きかかえた。
エイミーは悪臭に悶えながら、フイデースに近づけるだけ近づいて、その場に立ったまま辺りを見回した。
そこもまた酷い有様だった。
模擬訓練機も酸性の薬品を浴びせられ、槌かなにかで殴り壊されていた。
だが、割れて粉々になったキャノピーの枠には、一年半以上前にエイミーが書き置いていったメモが、そのまま貼り残されていた。
そして、フイデースの座った傍らには、なにかどろどろになった液体とも固体ともいいがたい黒い物体が、床の上に盛りあがっていた。
エイミーはすぐに悪臭の原因がそれであるのに気づいたが、黒い物体と一体化したような明るい栗色の長い髪房を目にしたとき、それがなにであり誰であったかを察した。
次の瞬間、彼女はへなへなと床にへたり込んでしまった。
月面軍民共同発着場からユーリ隕石孔基地へとエイミーを運んでくれたコルデが、フイデースの話題になると曇った顔になった理由を、彼女はこのとき理解したのだった。




