#44 コンプリケーテッド――綱渡り
「じゃあシュド先生は、小惑星帯への避難が間にあったんですね。それはよかった。それにヒギエアで開業医をはじめられたっていうのは朗報です。――わたしお世話になっただけで、お礼どころか先生の消息さえ知らなかったんで……」
エイミーはそういって、コルデにつづいて、もうひとつ瞬く星を目にしたように喜んだ。
「ただね、君も知ってるだろうが南軍にとって戦況は思わしくなくてね。月でシードーラ騒動が起きたのもあるけど、戦闘機パイロットが不足して、それでこうなったというわけ。――ほかにも理由はあってね。かなり前から機付き整備士だったから、特定の機体だけを整備することが多かったんだ。そうなると、その機体を操る人の癖とかを掴んでおくのも整備士の仕事のひとつでね。それで、だんだん操縦ってのはこういうものかなっていうのがわかってきて、そんな流れもあったんだ」
コルデはどういうわけか、エイミーと視線をあわすことなく、自分の手やすぐそこにある機体を見ながら話していた。
「でも随分昇進しましたね。いまは大尉ですか? もうひとつ上がったら佐官じゃないですか。この一年半で二階級以上あがってますよね?」
「よく僕の階級を憶えてましたね」
「あのころは必死でしたから。情報という名がついてさえいれば、なんでも食べる蠹虫みたいでしたから。だから肩章や階級章も憶えました。――いわゆる二階級特進てあるじゃないですか。わたしああいうの苦手で。でも、こうしてお話できるなら、どんどんあがっちゃってくださいとは思いますね。つまり、わたし軍隊は嫌いじゃなくて、戦争が嫌いなんだろうなって、月や火星やガニメデで会った兵士たちを見てて気づいたんです」
エイミーは恥ずかしそうに、素直な気持ちをそう打ちあけた。
「というか君、もしかしてあのあとジャーナリストの活動はしてないのかい?」
「あのあとといいますと?」
コルデは躊躇いを見せながら先をつづけた。
「いや、あの……地球でご家族を、その……亡くされたあとだね……」
エイミーは小さな溜息をついたあといった。
「ごめんなさい、別に責めるつもりはないんですが、取材に出たり顔見知りに会うたびに、それが話題になるのはわかってたんで……それでほとんど廃業状態です」
「すまない、土足で踏み込むようなことして」
「いえ、いいんです。ちゃんと話せる人ならいいんですが、皆がみなそうじゃないですからね」
「それとはかなり違うけど、いまの月の状況もそれに近いですよ」
コルデは膝の上で組んだ両手の親指を落ち着きなく動かしていた。
「どういうことですか?」
「複雑すぎて、簡単にまとめられないし、きちんと説明できるひとは一人もいないって感じかな」
「なるほど……いいえて妙ですね」
エイミーはフイデースがなぜコルデを信頼していたか、わかった気がしていた。
「それでまた、どうして月に来て、しかもこの基地をピンポイントで突撃したのかな?」
コルデは面白そうなレポートが聞けそうだという明るい顔をした。
「それがですね、聞いてくださいよ。――いや、見てもらったほうがいいかな」
そういってエイミーは携帯電話を取り出すと、地球から乗ってきてガラクタ以下の船の発券情報を画面に表示して見せた。
「これに乗って来たんです! 凄かったですよ。もうスリル満点! お尻ボロボロ!」
コルデはその船がいかなるレベルのものかすぐに見抜き、ガラクタ以下を愉しんで話す彼女に相貌を崩した。
「つまり、色々あって貧乏まっしぐらになって、月まではなんとか来たんですけど、その先がどうにもならなくなって、そこに流れ星ですよ!」
「流れ星?」
「ええ、アナホリフクロウの絵が描かれた流れ星を見つけたんです」
エイミーはにこにこしながら、トランクからオペラグラスを出して、誇らしげにコルデに見せた。
「それで?」
「やだ、大尉さんわりと鈍感なんですね。ようするに、この基地に乗り込んでただ乗りさせてもらえないかなって思ったんです」
コルデはやはり面白かったじゃないかと思う間もなく爆笑した。
「ええ? そんなに笑うことですか? 貧乏人の知恵ですよ」
といってエイミーも笑いの輪に加わった。
「それで、目的地はどこなんだい?」
「ユーリ隕石孔基地なんです」
エイミーはすこし顔を赤らめながら、ぶらぶらと動かしていた自分の足を見つめていた。
「なるほどね……」
突然、コルデの声が沈んだ。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないんだが、もしかして君、フイデースに会いに行くのかな?」
「正解です」
すでに火照っていたエイミーの顔にさらに赤みが射した。
「そうか」
といってコルデは悲しげな目をして空中を見つめた。
「彼になにかあったんですか?」
いままで赤らんでいたエイミーの顔が一瞬にして蒼白になった。
「あったといえばあったんだが、ないといえばないんだ。――つまり、さっき話したのと同じだね。複雑すぎて、簡単にまとめられないし、きちんと説明できないってこと。だからそれは君の目で確かめるといいかなって」
そういったあとコルデは席を立った。
「急ぐようだから、装備を取ってくるから、ここで待ってて」
「え、でも、そこまで急いではないんですが……」
すでに歩きはじめていたコルデは振り返ってからいった。
「いいってことよ。いいからすこし待ってて」
彼は十分もしないでヘルメットを手にして戻ってきて、また腰掛けた。
「さすがに戦闘機には乗せられないから、練習機ということで。装備もこれだけあればいける」
そういってコルデはヘルメットをエイミーに手渡した。
「さあ立って。――荷物はそれだけ?」
「はい、そうです」
「じゃあ貸して。貨物室に積むから」
「いろいろすみません」
「お安いご用で」
コルデはつかつかと歩きはじめると、軍人らしくとても速かった。
エイミーは急ぎ足で彼の後を追って、駐機されている練習機のところへと向かった。
さすがに我儘をいいすぎたと気が引けたのか、彼女は機体の傍まできてからいった。
「あの……こんな勝手なことして平気なんですか? 大尉さん」
エイミーなりの知恵を絞ったいいかただった。階級は即責任の重さですが、大丈夫ですか? と彼女は暗黙裡に訊いたのだった。
「それもまた同じです。状況は複雑でしてね。言い訳はなんとでもなるんです」
コルデはそういうと、彼女が後席に乗り込みベルトを締めるのを手伝い、ヘルメットにあるコードや酸素用ホースを接続したあと、操縦席に滑り込んだ。
白と橙と緑の三色に塗られた練習機はすぐにエンジンを唸らせて、気密室へと誘導滑走をはじめた。
気密室に入ると高まる轟音がうるさいくらいだったが、空気が排出されてゆくとしだいに静かになり、エンジンの振動だけが身体に伝わりだした。
やがて機体前方の扉が開くと、三色に塗られた練習機は音もなく猛然と宇宙に飛び立っていった。
エイミーにとって二度目の真空体験だった。
彼女は心に思い浮かんだことを、そのまま言葉にしてはしゃぎたかったのだが、コルデの手前もあってか、なにもいわずに胸のなかでどんちゃん騒ぎをしていた。
それに気づいたのか、彼はいきなり無線を通じて、
「君に操縦を任せる」
といって、操縦を明け渡した。
エイミーは計器盤にある、アシストシステムの表示灯がオンになっているのを確認すると、思うがままに機体を振り回した。
国際宇宙機構時代とフイデースの戦闘艇住居での、模擬訓練機の経験の積み重ねがあったからか、エイミーは知っていた曲技飛行をあれやこれやと繰り出して、コルデを驚かせた。
それは頭で考えた飛行ではなかった。彼女の奥深いところにある意志が、身体を勝手に動かさせているようだった。そして、エイミーはその感覚こそが本当の生なのではないかと感じていた。
四十分ほどで目的地に到着する予定だったが、ユーリ隕石孔基地に着床したのは、月面軍民共用発着場の南軍区画を飛び立ってから、約二時間後のことだった。




