#43 セブン・スターズ――北極星
アラバマに到着した翌朝、眠気を覚ましたあとエイミーは、リストコムに着信情報がないかを確かめた。
(パヴリーン・スタウロスについてはなにもなし。ならきっと平凡な一般人なんだろうな。だったら、そっとしておくのがいいのかもしれない。ティシアーのことを知っていようがいまいが、わたしが傷口を抉るようなことはしないほうがいい)
ぎしぎしいうベッドに腰掛けながら彼女はそう思った。
だがつぎの瞬間には、いま出した答えに問いを投げかけていた。
(でも、本当にそれでいいの? パヴリーンはそれでいいのかもしれないけど、わたしはどうなの? わたし、自分の心とか気持ちが自分でわからなくなってる。それで、他人の顔色を窺って行き先を決めようとしてる)
そう気づいてしまうと、もはや口にせずにはいられなかったのか、それとも自分を叱咤したかったのか、彼女は叫ぶようにして声にした。
「エイミー! お前はどっちに行きたいんだ! どこに行きたいんだ! 誰と一緒にいたいんだ! はっきりしろ、エイミー・ゾイ・オイ!」
高らかにそう問うてみたものの、ゾイ・オイという言葉を口に出しただけで、そこから先なにものにも繋がらない、無の痛みに彼女は呻いた。 自分の口から出た声が自分の耳に響きわたるのを聞きながら呻いた。焼きごてを押される灼熱と、氷の槍が突き刺さる冷気に呻いた。赤い血と黒い死体が脳裏で混じりあって、焦げ茶色のどろどろした溶岩になって、穴という穴から吹き出すような感覚に呻いた。
「違うそんな色じゃない。わたしが求めてるのはそんな色じゃない。でも、その色が何色なのかわからない」
「朝っぱらからなに叫んでるんだ。うるせーぞ!」
隣室から起こった苦情の声に、彼女は耳朶を殴られた。
「わかったわ、出ていくわ!」
エイミーは怒鳴り返すと、すぐに身支度を整えて精算を済ませ、木賃宿を後にした。
「なによ、すこし声を出したからって大騒ぎして。人間ひとり喉が張り裂けるように叫んだところで、たかが知れてる。それで死ぬわけじゃない。衝撃波に身体ごと揺さぶられて、爆風に打ち倒されて、血飛沫が飛んで黒い雨が降って、それが凝り固まって噎せ返るような白煙をあげるわけじゃない――」
エイミーは目尻を怒らせ、ぶつぶついいながら目的地もなく歩いた。
声に出して独り言をいう彼女を気味悪がり、すれ違いながら見る人々の視線など気にもせず歩いた。
「どこにでも好きなところに行きなさいよ」
そう自分の足にいい聞かせて歩いた。
二時間ばかりそうして当てもなく歩いているうちに、エイミーはアラバマの宇宙港にいる自分を見出した。
「たった一人でいい。すこしでいい。わたしのこと知って、受け止めてくれるだけでいい。そういう温もりを求めちゃいけないの? いいよね。許してくれるよね、パヴリーン。あなたのところに行けるようになるには、もうすこし時間が必要なの」
そういってエイミーは宇宙港の搭乗券窓口へと足を向けた。
交渉は難渋を極めた。なにしろ予算に限りがあったからだ。元国際宇宙機構の特級秘書という肩書を利用することもできたが、彼女はそうしなかった。落ちぶれた自分がいかにも惨めだと感じていたのかもしれない。いや、彼女はいまの自分を受け入れて欲しかったのだろう。
そうして、激安ではあったが安全性などほとんど考慮されていない、廃棄寸前の宇宙船の座席を確保して、月へと旅立った。
そのガラクタ以下の船の離床時の振動は凄まじかった。
取り付けてある部品なのか装備なのかもわからない物が、ぽろぽろと剥がれて船内に漂いだした。
三、四世代は前の船だったので、重力発生機など当然装備されておらず、乗務員とはいいがたいもぐりの船員だろうか、彼らが空中浮遊しながら外れた部品を掴み取っては、元の位置に戻している有様だった。
しかし、エイミーはその光景と、うっかりしているとふわふわ浮き上がってしまう、不安定な感覚に包まれて、警察病院を出てはじめて高揚感を味わっていた。
(きっと本当の世界ってこうなのよ。なにもかもが整っていて過不足がないなんていうほうが、よっぽど異常なのに、みんな慣れきってるのよ)
ガラクタ以下の船は、この時代の標準時間の四倍の十二時間以上をかけて、月面軍民共用発着場に到着した。
エイミーは、間にあせなのか錆びて穴の空いた軟鉄が敷かれたタラップを下りて、約一年半ぶりに月の大地を踏みしめた。
「だけど……ガラクタ以下も考えものね。シートクッションが石みたいに固くて、お尻がまだ痛い。それにあの狭さ。足を伸ばすことすらままならなくて、何度も攣りそうになったし、全然寝れなかった。でも楽しかった」
エイミーは文句をいいながらも爽快な気分のようだった。
欠伸と背伸びをしたあと、さてこの先はどうするかと考えはしたが、まったく当てがなくなんの策も思いつかなかった。
「そういえば、子どものころはこんなだったな。なあんにも考えてなかった。その勢いで宇宙機構に入ったんだもんね」
ぶつぶついいながらも、目だけは行く先を見つめていたのか、くるくると動いて視線はあちこちに注がれていた。
そうしてまた欠伸と背伸びをしたとき、エイミーは上空に流れ星を見つけた。
「あれ? でもなんか低くて近くない?」
彼女はトランクからあまり倍率の高くないオペラグラスを取り出すと、並んで彗星のように長く尾を引く星を見あげた。
オペラグラスの望遠を最大にしたあと、集光用の絞りを目一杯に開いて流星を追いかけた。
それは南軍の戦闘機隊だった。
翼には南軍所属を示す標識が記され、部隊を示すのだろうか、アナホリフクロウのマークが描かれているのが見えた。
三機編成の小隊を二つあわせた六機編隊が、一機の戦闘艇を護衛しながら、月面軍民共用発着場の南軍区画の方向へと飛んでいたのだった。
「凄いな。あんなふうに編隊を崩さずに飛べるものなんだ。それにとっても綺麗」
彼女の胸は躍っていた。
フイデースと一緒に二時間以上にわたって、模擬訓練機に乗ったときの光景がまざまざと脳裏に蘇り、どうしようもなく高揚してゆく自分を抑えがたかったのだった。
「あれに乗せてもらえないかな。――駄目だと思うけど、駄目もとよ!」
エイミーはそういうと、オペラグラスを仕舞って、流星の消えた方向へと足を運びはじめた。
「わたしもう迷わない。どこに行きたいかも、だれと一緒にいたいかもわかる」
そうして彼女は超電導タクシーを拾うと、目処をつけた南軍基地の名前を運転手に知らせた。
基地に到着すると、エイミーはすぐに広報窓口で交渉を開始した。
「ですから、すこしだけでいいんです。戦闘機を見てみたいだけなんですから。――そりゃあね、予約制だっていわれれば、そうなんだというのは理解はできます。でも、いいじゃないですかすこしくらい。見るだけなんだから」
「そうはいわれてもね、それで許可してたらきりがないんだよ。それにいまはシードーラの件があって、危険なのは知ってるでしょ?」
すでにジャーナリストの廃業を考えていたエイミーは、最近の戦争情勢に詳しくなかった。
もちろん、一年半の病気療養もその原因のひとつであった。だから、以前の彼女とは違ってなかなか突破口を掴めないまま、とんちんかんなことをいいだした。
「じゃあここが攻撃されるってことですか? いつですか? 今日? 明日? 明後日ですか? それとも二時間後ですか? だったら大変、こんなにゆっくり話してられませんね!」
「いや、そこまでではないけどさ……」
「なら、いいじゃないですか、それに減るもんじゃないですよね?」
咄嗟に口をついて出た言葉が、広報窓口の受付係を動かしたのかはわからないが、男はだんだん弱腰になっていった。というよりもエイミーのことをどこにでもいる、戦闘機マニアだと勘違いしたようだった。
「わかった、わかったから、ぴーちくぱーちくするのやめてもらえますか。戦闘機が大好きなんでしょ。わかりました、いま案内しますから、ちょっと待ってください。こっちにもいろいろ規則があるんでね」
といって、準備を済ますと男は先に立って格納庫へ先導していった。
「ねえねえ、あっちにあるフクロウの絵が描いてあるの、あれ見たいんですけど」
「は?」
案内の男もわかっていたのだろう。それがさっき哨戒任務から戻ったばかりの隊であるのを。
だからだろうか、渋い顔をして頭を掻きながら困惑した。
「いいじゃない、減るもんじゃないんだから」
「はいはい、わかりました。でも、ちょっとですよ」
エイミーは自分が大の戦闘機マニアだと思われていることに、すでに気づいていた。
そうして彼女は、さっき流星となって宇宙を駆けていた機体の傍までやってきた。
さすがに、戦争というのか戦闘の臭いが漂っていたが、彼女はそれを感じた素振りなど微塵も見せずに、興味津々の表情を作って六機の戦闘機を順番に眺めていった。
そうして、二番機の前にきたとき、操縦席から降りようとしているパイロットに遭遇した。
「あ! パイロットいる。ちょっと話を聞きたい」
「駄目です! それはさすがに許可できません」
受付係の男が即座に拒否して彼女を引き止めた。
そのとき、エイミーとパイロットの目があった。
「あれ? 君、どこかで会ったような?」
「コルデさん、コルデさんじゃないですか !?」
「どうして僕の名前を?」
エイミーはこのとき神に感謝した。
「ガニメデのラハム地溝帯基地にいた、コルデさんでしょ。わたし助けてもらった記者です」
ようやく思い出したのだろうか、操縦手は機体に掛けられた梯子をすたすたと下りて近づいてきた。
「エイミーさん、だったっけかな……」
「そうです!」
そう答えながら彼女の目は潤んでいた。
一方、記者という言葉を耳にした受付係の男は、騙されたことに気づいて抗議しようとしたが、コルデに制止されてしまった。
「生きててくれた。わたし、もうそれだけで嬉しいです」
そういいながらエイミーはそこから一歩も動けぬまま、コルデが傍にくるまで突っ立っていた。
「いろいろ噂は聞いてる。ここじゃあれだから向こうへ行こう」
コルデは彼女がガニメデを去ってから遭った、数々の不幸を知っているようだった。
二人は、まだエンジンの火を落としてまもない戦闘機が並ぶ格納庫の、人目につかない簡易ベンチに並んで座ると、よもやま話をはじめた。
だが、ガニメデ基地の整備士から操縦士に転科し、月基地に転属したコルデの顔は、曇りがちだった。




