#42 ウォー――亡霊
エイミーがコロラド警察病院のベッドで過ごした約一年半の間に、太陽系圏での戦争の様相は、彼女の病状や症状に呼応するように移り変わった。
それは、彼女が胸に抱え込んだ、苦悩と恐怖と憤りの縮図であり、その版図の描きなおしのようでもあった。
第二次エウロパ会戦はその嚆矢だった。
北軍が莫大な資材と人材、予算を注ぎ込んで大改修された実験艦"X-Ⅲ"は、第二次会戦の殊勲艦になった。
それは、フリーのジャーナリスト"パヴリーン"が、大方の予想以上に世の中に影響をもたらしたのに似ている。
木星宙域に到着した"X-Ⅲ"は、宇宙に溶け込む黒い靄のような光学迷彩と電磁波対策の低被探知性を駆使し、南軍艦隊の司令艦だけを狙い撃ちした。その効果は絶大だった。艦隊司令部を失い統帥が乱れた南軍艦隊は、さながら脳のない身体のように麻痺し痙攣し、つぎつぎに北軍艦隊に包囲されて各個撃破された。
実験艦"X-Ⅲ"の戦いは、エイミーがガニメデで行った、北部条約機構、情報省長官シャッテンへの突撃取材に似ている。
結果的に、北軍は第二次エウロパ会戦を決定的勝利で終えた。
対する南軍は壊滅的な敗北を喫して、木星宙域の制宙権を全面的に喪失した。
こうして、木星宙域の支配権は北軍の手中に帰したのだった。
第二次会戦のあと、エウロパの地表に残された南軍戦力は、軌道上から北軍艦隊の強力な砲火と爆撃を浴びて壊滅した。
カリストも同じ運命を辿るはずだったが、北軍は長期戦を見据え、艦隊戦力の消耗を避けるためか、南軍の補給線を遮断して、カリストの南軍地表部隊を孤立させて降伏に至らしめた。
補給の切れた南軍部隊の有様は目を覆わんばかりの惨状だった。餓死者が続出したのだ。
悲しいかな、エイミーがヴォロンターリオ事件、ティシアーの殉死、そして両親と祖母とその老いた恋人を一気に喪失した、惨劇を彷彿とさせる。
木星宙域にあって、南軍に残されたガニメデの地表部隊も似たような状態に陥った。だが、北軍の戦力や兵力不足もあって、南軍は補給線を死守して地表部隊を維持しつづけた。
その必死の抵抗は、家族を一瞬にして失ったエイミーに残された、親しい友人たちを思い起こさせた。
ミーシャことパンタミーマ。ティーポことチクローポ。そして、フーディことフイデース。ディジーことディジアがそうだろう。
しかし宇宙では、北軍は攻勢の手を緩めず、戦火は火星を素通りして月に及んだ。
エイミーが自分のあるべき故郷を見出したと感じ、埋め残した溝へ心の土を注ごうとする前に、血族すべてに何者かの矛先が向いたのに似ている。
人の悲しみの涙に感応することのない、星の瞬かない宇宙では、いまだ戦争はつづいていた。
その戦いは、シードーラが宣言した新国境を廻ってのものだった。
北軍はシードーラが東軍との結束を強めんとするのを阻止する目的で、数度にわたって第六艦隊を、彼が宣言した新国境線の懐に侵入させ、牽制と威嚇に及んだ。
第六艦隊は宇宙空母二隻を基幹とした、強力な戦闘機隊で防備を固め、索敵機や早期警戒機を重層的に配置し、南軍顔負けの防戦体勢で臨んだ。
しかもこのときの北軍は、シードーラの新国境線宣言に反発した複数の勢力から支援を受けていた。
太陽系連盟からは資金を援助され、南軍からは増援部隊を得て、万が一にも敗退する体勢になどなかった。
所変われば品変わる、あるいはまた、昨日の敵は今日の友となった南北両軍は、猫が鼠を狩って戯れるように、シードーラ新国境線を超えて、派手なデモンストレーションすら行って見せた。
それを、エイミーに引き当てて見るなら、南北両軍の垣根を超えていった、ディジアとフイデースの関係のように思えた。
しかし、月で共同作戦をとる南北両軍に対するシードーラも、腸を煮えくり返らせて抵抗した。
彼は東軍との連携を一層強化して、人材機材の拡充を図った。
そうして、南北両軍の戦闘機隊や艦隊戦力、特に北軍の宇宙空母を基幹とする第六艦隊に乾坤一擲を加えんと、隙を窺って何度も戦闘機隊を突入させた。
エイミーが警察病院でたまたま耳にした噂――南北両軍の諜報部隊によって、ディジアが徹底監視されているという話――は、シードーラが取った間隙を突く作戦を想起させた。
結局、月での戦いは大規模な艦隊戦にこそ発展しなかったが、熾烈な戦闘機同士の戦闘が数次にわたって行われた。だが、どの陣営も報道された規模とは比較にならないかすり傷のまま、好機と獲物を窺って目を光らせつづけていた。
戦争もエイミーも奇妙な状態に陥っていた。
だが、ひとつだけ僥倖があったというなら、月での戦いに力を投入せざるを得なかったシードーラの影響が、地球では弱まったことがあげられる。彼と繋がると噂される組織による、テロ活動が衰退したのがそれだった。
こうして、シードーラは月で孤立しはじめたが、それもまた、地球に一人取り残され、かつての親しい友人たちと離れ離れになったエイミーの境遇と重なって見えるのだった。
アルミ製の小さなトランクひとつを手にして、コロラド警察病院の玄関先に立っていたエイミーは思い悩んでいた。この先は三叉路だと。
(でも、そのうちのひとつは選ぶことすらできない)
それは、過去へと向かう道だったからだ。
(なら、わたしはどっちへ行けばいいの?)
一年半ぶりに感じている直射日光とその温もり。そして、頬をくすぐりながら吹き抜けていくコロラドの涼やかな夏風は、「そのままそこに立っていたら?」と彼女の耳に聞こえていたようだった。
(いつだったか、ルフトさんの邸宅を伺ったことがあった。大きな杉の木が満足そうに葉や枝を揺すってたっけ。でもわたしは、太陽にも杉にもなれない。どこへ向かうのかも知らないで、どことも知れぬ道を歩いているだけ)
玄関先の空間を右に左に歩いたり、壁に凭れてトランクで膝を軽く叩いたりしながら、エイミーは思い悩んでいた。
(もうコロラドにはなにも無い。じゃあ、宇宙機構時代に十二年間を過ごしたアラバマなの? いいや、それは選べない道のひとつでしょ。ならやっぱり月なのかな?)
療養中に彼女は一時的に失語症になりかけたからか、話し方も言葉による思考も幾分簡潔になっていた。
(どちらにしろ、アラバマね。パヴリーン・スタウロスを探して会うにしろ、宇宙船に乗って月に行くにしてもアラバマなのよ。――国際宇宙機構の本部ビルがあって、ハンツ川が流れる場所。わたし、ティーポとそんなに変わらない。結局、選べないってわかってても、そっちに向かうしかないみたい。皮肉なものね)
ようやく心を決めたのか、エイミーは超電導タクシーを呼んでそれに乗り込むと、行き先を告げた。
「デンバー国際空港までお願いします」
タクシーはコロラド州の北にある警察病院から一路南を目指して走り出した。
ボールダーを過ぎると車は南東に向かいはじめ、すぐに空港施設が見えはじめた。
一路というほどの距離でも時間でもなかったが、エイミーからすれば、それまで歩いてきた道のりぐらい長く感じていた。
(杉が羨ましい)
「どうもお世話さま」
そういってタクシーを下りたエイミーは、空港の広々とした待合広間に足を進め、アラバマ行きの航空券の手配を済ませた。
彼女は携帯電話の画面に表示された情報を確認すると、搭乗予定の飛行機に乗るために搭乗口へと足を向けた。
「二十八番はあっち」
搭乗口に着くと、エイミーは空き気味の待合場にある長椅子に腰掛けた。
(なんだか、前に似たようなことがあった気がする。そうだ、《リヴァール号》に乗るときってこんな感じだった)
とたんに、記憶の洪水が彼女を押し流そうとして押し寄せてきた。
エイミーは組んだ足をぶらぶらさせながら、防波堤を築こうとしたが抗えなかった。
(あのとき、財布がスッカラカンだって自分を笑ったのよ。でも、いまはそれ以上にスッカラカン。コロラド警察とパヴリーン時代を知る人たちの慈善金に、いつまでも頼れるわけじゃない。アラバマに着いたら仕事を探さないとだ。例えば国際宇宙機構とか。嘘、冗談もいい加減にしないと。それも選べない道。――誰かお嫁さんに貰ってくれないかな。贅沢はいわないし、わたしそんなに柄も悪くないと思うけど。母さんみたいに平凡に暮らせれば文句はない。――『お嫁ちゃん』なんて呼ばれて。はーいって飛んでいく。そういう平凡なのでいいんだけど)
そういいながら、エイミーは胸の奥に鋭い痛みを感じていた。
警察病院にいたあいだ、首にあるリストコムはずっと外されたまま、トランクのなかで眠っていた。
彼女の記憶にはいまだ欠落があったが、そのとき感じていた痛みは、テライダへの罪悪感だったのかもしれない。
そのとき、待合場にアナウンスの声が流れた。
――お客様のお呼び出しをいたします。アラバマからお越しのパヴリーン・スタウロス様、アラバマからお越しのパヴリーン・スタウロス様、いらっしゃいましたら、至急、二十八番ゲート受付窓口へお越しください。お連れのお客様がお待ちです。――繰り返します……。
エイミーはその声に反応して身体をぴくりとさせた。
(どうしてパヴリーンがコロラドにいるの? 観光で来たとか? それでいまから帰るとか? それともティシアーに会いにきたの? でももう彼はいない)
エイミーはあたりをきょろきょろ見まわして、顔も外貌も知らないその人を探しはじめたあと、受付窓口に視線を注ぎはじめた。
(あそこを見てればわかるはず。わたしに似てるっていってたけど。だったら尚更わかるはずよ)
だが、それらしい人がそこにやってくることはなかった。
ふたたび、同じアナウンスが流れた。
エイミーはトランクをもって席を立つと、受付窓口に向かって歩きはじめた。
窓口係の女性が近寄る彼女に気づいて声をかけてきた。
「パヴリーン・スタウロス様ですか?」
エイミーは凍りついたようにその場で足を止めて答えた。
「いいえ違います。ただちょっと、その方に興味がありまして?」
窓口係の女性は不思議そうな顔をしていった。
「興味ですか? 知人かなにかですか?」
「そうじゃないんですが、いろいろ複雑でして、話すと長くなるんです。それにわたし、もうすぐ二十八番搭乗口から出発する便に乗る予定なので、話してる時間もないんです」
「そうですか。では、パヴリーン・スタウロス様ではないんですね?」
窓口係の女性は困ったような顔をしながら、再度確認した。
「違います」
エイミーはそれだけいってその場から逃げ出して、トイレに駆け込んだ。
個室に入るとばたんと扉を閉めて、消音器を作動させると、トランクを開けてリストコムを引っ張り出して首元に装着して、イヤホンを耳に差し込んだ。
「ワイフィーわたしよ、聞こえる?」
言葉が自然と口から溢れ出していた。
「お久しぶりですワイフィー。その声の様子だと、お元気そうとまではいかないようですが、とにかく懐かしいです。また声が聞けたことが素直に嬉しいです」
とたんにエイミーの目から涙が零れた。
「ごめんねワイフィー放ったらかしにして。――あのね、調べて欲しいことがあるの。コロラドのティシアー・スタウロスの従姉、パヴリーン・スタウロスについてよ。どんな些細な情報でもいいからわかったらすぐに教えて。彼女の出身はアラバマでいいはず。あと――」
そういってから彼女はまたトランクを引っ掻き回して、一枚の絵葉書を手に取り、そこに書かれていることをワイフィーに伝えた。
それから記憶を辿って、ティシアーの手紙に書かれていた内容を思い出しながら、手がかりになりそうな事柄を話した。
用件が済んだあとも、エイミーは個室にしばらく籠もっていた。
(どうしたんだろう。こんなはずじゃなかった。もう忘れるって決めたのに。もう引き返さないって誓ったのに。ふつうに暮らすって自分にいったじゃない。――でも、駄目みたい。こびりついた過去を拭うことはできないらしいわ。だって、身体が勝手に動いて、口が勝手に喋りだすのをどうしろっていうの。でも、また怯えながら暮らしたくないの。怖いのよ。――だったらリストコムなんて外してあのときみたいに川に投げ込めばいいじゃない。でも、できないよ……だって、これはお婆ちゃんの形見なんだもの。そんなことできるわけない……)
そう仮の決心をつけたエイミーは、二十八番搭乗口をとおって、アラバマに向かう飛行機に乗り込んだ。
約三時間後、彼女はアラバマの地を踏み、底がつきかけている懐具合から、木賃宿に部屋を取った。いまだ行き先に思い悩んだまま。




