#40 ブラッド・リレーション――血
「なんなの? 街でサイレンは鳴ってるし、いま自動運転じゃないわよね? そわそわしながら運転したら危ないじゃない」
エイミーはティシアーのことで、僅かながら肩の荷が下りた気持ちに浸りたかったのか、タクシーの運転手に荒っぽく噛みついた。
「お客さん、なにも知らないんですか?」
「わたしずっと車にいたわけじゃないのよ。あなたなにいってるの……」
サイレンの音がガニメデでの逃避行の傷を抉ったのか、エイミーは怒ることで自分を落ち着かせようとしているようだった。
「テロです」
運転手はそっけなく騒がしさの理由をいった。
「テロ? どこでよ?」
突然ブレーキが踏まれ車が急停車した。
エイミーはつんのめって前席のヘッドレストに顔面を打ちつけた。
「ちょっと、なにやってんのよ! 痛っいなもう……どういうつもり !?」
「お客さん、ラジオ聞いて」
「なによもう……鼻血がでたじゃない……」
エイミーは、手を濡らし鼻から流れる血を拭おうと、ポケットからハンカチを取り出した。
意外に大きな裂傷を負ったのか、じわじわとハンカチが赤く染まりはじめた。
しかし、急停車してエンジンを切ったことで、車内ではラジオのニュース報道がよく聞き取れるようになった。
「それで、テロってどこでよ?」
エイミーは鼻にハンカチを当てたまま、くぐもった声でそう訊いた。
「だからラジオ聞いて」
運転手は怯えたようにそれだけいった。
仕方なくラジオに耳を傾けながらも、怒りが収まらないのか、彼女は悪態をついた。
「どこの誰よ、テロなんて馬鹿なことしたのは。ほんとに頭にくる。迷惑なのよ」
エイミーは事件の概要を知らせるニュースを途中から聞きながらも、繰り返し伝えられていることで、ようやく全体像を掴みはじめていた。
しかし、いまだ止まらぬ鼻からの流血でハンカチは真っ赤になっていた。
(すごい血じゃない……ねえ、ちょっと待って。テロに遭った人はこんなものじゃ済まなかったんじゃない?……)
エイミーがそう思ったとたんに、それまであった怒りは降って湧いたような恐怖に変わっていた。
そのとき、ラジオが事件現場の住所と被害者の名前を伝えた。
「嘘でしょ……」
口から勝手に零れたような声だったが、彼女はそれだけいうのがやっとだった。
しかし、血に濡れたハンカチを握りながら付け足した。
「運転手さん、いまの住所聞いてました?」
「だからさっきからいってたでしょ。現場はすぐ近くなんですよ。わたしだってね――」
「いいから黙ってわたしのいうとおりにして。ラジオがいってた住所にすぐに向かって」
「ちょっと待ってくださいよ。こっちにも都合が――」
「都合もなにもないの。早く車を出して! 早くして! そこはわたしの実家の住所なの。父さんと母さんの家のある場所なの。お願いだからつべこべいわないで車を出して」
運転手はさすがに抵抗せず、エンジンをかけるとゆっくりと走り出した。
(この血は父さんと母さんから分けてもらった血……どうして世界はこんなに残酷なの……。でも、あのブロックにあるのは家だけじゃないし……)
エイミーは必死に自分の両親が被害に遭っていないことを祈ったが、そうなるとそれ以外の人ならいいのかという葛藤に襲われた。いまだ止まらない鼻血のせいもあったのか、彼女は血の気が引いていくのを感じていた。
「ねえ、もう少し速く走れないの。――血は止まったみたいだけど」
運転手はなにも答えなかったが、エイミーの脈絡の乱れた言葉を耳にして、ちらりと彼女のほうを見た。
行き交う緊急車両や警察車両の多さから、進めば進むほど渋滞は酷くなる一方だった。
そうして、車がニュース報道の伝えた場所まであとすこしというところで、ラジオが新しい情報をエイミーに叩きつけた。
「ただいま、被害に遭われた方のお名前がわかりましたのでお伝えします。――死亡したのは、サム・ゾイ・オイさん、男性。エラステー・ゾイ・オイさん、女性のお二人のようです。年齢など詳しいことはわかりしだいお伝えします。現場からのレポートによりますと、ご遺体の損傷が激しく、いまのところ住所と居住者の照合による確認になっているそうです。……つづきまして、重体は――」
「嘘よ! そんな馬鹿なことがあるわけないじゃない! でたらめいわないでよ。――ねえ、もういいわ止めて。早く止めて! 自分で走るから、止めて!」
トランクひとつを手にして走り出したエイミーの目には、子ども時代を過ごした見慣れた風景のはずだった。しかし、このとき見た風景は地獄のような不気味さで迫ってくるようだった。
息が切れているのすら気にせず彼女は走りに走った。やたらに足が痛いのに止まるという思考が働いていなかった。
黄色と黒のテープの警戒線にたどり着くと、エイミーはそこにいた警官に向かって叫んだ。
「エイミー・ゾイ・オイです。被害者の娘です。通してください!」
すぐにその場で混乱が起こったが、現場指揮を取っている警官がやってきて、同行を条件に警戒線をくぐることを許された。
「そんな……」
しかし、その先でエイミーが目にしたのは、あまりにも惨たらしかった。
爆発した爆弾とその後に起こった火災のせいで、両親の遺体は黒焦げになり、見る影もなかったのだ。家屋もほとんど跡形もなく燃え尽きていたが、いまだに青白い煙をしゅうしゅうとあげていた。
「どうして……」
エイミーはそれだけいうと、息が止まったように膝から崩折れてしまった。
火災の余熱が両膝から這のぼってきても、立つことができなかった。
二つの焼け焦げた亡骸は、父サムを必死に守ろうとするかのように、母エラステーが覆いかぶさった状態で折り重なっていた。
それを目にして慟哭する彼女に、現場指揮を取っている警官が近づくと遠慮がちに訊いた。
「すまんがね、この三ブロック先に住んでる老婦人は、ここの奥さんの親御さんでいいのかな?」
エイミーははじめ警官がなにをいおうとしているのか、わからなかった。
警官は訊き方を変えた。
「エポラール・ヴェルジェは、あなたの祖母で間違いないですか?」
「それがどうかしたんですか?」
「いや、そっちでもテロがあってね……」
さすがに警官も気が引けたのか言い方を改めた。
エイミーは声にならない掠れた声で訊いた。
「じゃあ、その被害者がわたしのお婆ちゃんだっていうんですか?」
「そうらしいんだ……」
警官はそういってから、エイミーに寄り添うようにしてしゃがみ込んで、細々と事情を説明しはじめた。
それから彼女の心身状態にあわせて、三ブロック先で起こったテロ現場の遺体確認が行われた。
その現場もまた凄惨だった。やはり爆発と火災のせいで、遺体の損傷が激しかったのだ。
こちらでは、祖母エポラールを守るように、足の不自由を押したのであろうか、手に杖を握ったままの姿で、カルハリアスが折り重なって倒れていた。
エイミーはたった一日で、家族のすべてを失った。
精神の均衡を失った彼女は夜になってから、コロラド警察病院に保護入院することになった。
その日コロラド各地で起こった同時多発テロに対して、南北両軍に繋がっているとされる複数のテロ組織が誇らかに犯行声明を発表した。
そのなかには、シードーラと隠密裏に接触していると噂されるテロ組織の名称もあった。
エイミーが地球ガニメデ間を往復していた約九十日の間に、地球はテロの温床と化していたのだった。
これもまた、南北両軍の戦争が生んだひとつの結果だと、分析する人たちがほとんどだった。
そして、コロラド同時多発テロに呼応するかのように、木星宙域では第二次エウロパ会戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
太陽系圏はいまや戦火の坩堝だった。




