#39 リヴレゾン――思い
アラバマの宇宙港に下り立ったエイミーは、飛行機に乗り換えてコロラドを目指した。
故郷――。彼女にとって、いまその言葉には二重の意味があった。
いつでも自分を歓迎してくれる場所であり、帰れなくなったティシアーから預かった手紙の終着点だった。
彼女は空港で超電導タクシーを拾うと、封筒に手書きされた、いまでは暗記してしまった住所を運転手に告げた。
車窓の外を流れていく緑の木樹は、戦争など知らぬ素振りで枝葉を揺らし、アクリルガラス越しに鳥が囀るのを耳にした。
そうしてエイミーは、差し込んでくる光に眩しそうに目を細め、それ以上に太陽が届けてくる温もりを愛おしく感じていた。
(わたしも太陽みたいになりたかった……)
彼女は口の切られた封筒を手にしたまま思った。
(古代の戦争に似たような話があったはず。確かあれは……日本兵のシベリア抑留だったかな。ハタオ・ヤマモト――。極寒の地で捕囚にされ強制労働をさせられた。ヤマモトは生きるために仲間を励まそうと俳句や短歌を広めた。けれども、そのヤマモトは病に倒れて結局、故郷の土を踏めなかった。その彼を慕った仲間たちが、ヤマモトが病床で書いた手紙を暗記して、彼の妻に届けたんだったかな。そのときの加害者だったソ連にもやはりそういう人たちはいた。――レニングラードの市民たちがそうだったはず。つぎつぎに家族が餓死していく。遺体を運び出す体力さえなく、かちかちに凍ったままになった。それでも当局は市民を防衛隊に放り込み、労働に従事させた。市民たちは生き残るために詩に縋った。だけど、監視の目が厳しくて、それを書き残すことすらできなかった。だから彼らはメモに即興で書かれた詩を回し読みして暗記したあと、それを燃やした。二十数年経っても忘れずにすらすら口にできた人もいたとか……。それが彼らの生きる源だったんでしょうね。――でも、ティシアーのご両親がこの手紙を受け取って、そういうふうになれるかはわからない……。そもそも、思いって届けられるものなの? 無理なんじゃないかな……。わたしの思いとティシアーの思いは違う。ティシアーがこう思ってたといってみたところで、それは結局わたしが想像した彼の思いでしかないもの……。いままで何度も配達人をしてきた。――そういう名前をもつシュド先生にも出会った。先生も必死に思いを届けようとしていた……。だけど、届けられないから、自分が配送品になろうとした。だから、わたしもここへ来た。それが精一杯の思いの配達なんじゃないかな……)
途中、エイミーは車を下りて建物のなかに姿を消した。
国別地域別に分けられた、預かった手紙や品物をトランクから受付台に置いて、配送の依頼をしたのだった。
(本当なら自分の手で届けるべきなんだけど……だってそれこそが……。ごめんなさい、許して……)
彼女は、しだいに虚ろになっていくのを止めることができなかった。
座席に戻ってタクシーが走り出しても、茫漠としたままどこを見るでもなく目を彷徨わせていた。
しばらくすると、超電導車は橋の架かった小川を超えて、丘陵地帯を走っていた。
エイミーはそこが、デンバーとコロラド・スプリングスの中間であることに気づき、目的地が迫ったことを知った。
(キャッスル・ロックはもうすぐ……)
胸のうちで呟かれたとおり、一時間もせずに彼女は、小高い丘のうえにぽつりと一軒だけ建つ邸宅の前に立っていた。
ポストには日に焼け、褪せて薄くなった文字の表札が掲げられていた。
エイミーは指で埃を払って三つ並んだうちのひとつの名前を読んだ。
ティシアー・スタウロス――。
「ようやく着いたよ……」
そう声に出して囁いてはみたものの、足は凍りついたように動かなかった。
そのとき、彼女の黒ずくめの姿に不審を抱いたのか、中年の女性が声をかけてきた。
「どちら様で? なにかご用ですか?」
俯いていたエイミーは顔をあげていった。
「あの……あのですね……」
しかし、そのあとがつづかなかった彼女は、携帯電話を取り出して電子名刺を見せた。
「記者さんですか。それでご用件は?」
中年の女性は怪訝な顔をして訊いてきた。
エイミーは、たどたどしい言葉で来訪の目的を伝えた。
「そうですか、では詳しいことは中で……。主人もおりますので」
中年の女性は小さな声でいったあと、先に立って邸内へ案内していった。
エイミーは勧められた椅子を断り、床に膝を折ってことのしだいを語った。
話の途中、一度、二度、三度と床に額を擦り付けるようにして詫びた。
「そうですか……あの子らしい最期だったようですね」
ティシアーの母親は言葉こそ穏やかだったが、鋭い目つきでエイミーを突き刺していた。
「ほんとうに、すみませんでした。わたしの責任です」
そういって彼女がふたたび頭を下げようとしたとき、ティシアーの父親が、
「あなたの責任ではないです。軍です」
と短くはっきりといった。
エイミーはそれでも納得できずに頭を下げた。
「ごめんなさい、申し訳ありませんでした……」
そうして、堰を切ったように涙を零しはじめたあと、流れる涙もそのままに顔をあげた。
「わたし、嬉しかったんです。『姉さんに似てるんだ』といわれたことが。――ずっと歳上の人ばかり追いかけてきました。だから、いつか歳下の人に頼られてみたいっていう我儘でした。わたし……自分の力量も知らずに助けたいと思ってしまったんです……。馬鹿でした……」
それを聞いて両親はきょとんとした顔をしていたが、ティシアーの父親がぽつりといった。
「あの子に姉はいませんが?」
「……」
エイミーの脳裏に邸の前にあったポストの表札が浮かびあがった。
「じゃあ、どうしてそんなことをいったんでしょうか? ――もしかして、わたしを助けたいがために、嘘をいったってことですか?……まさか、そんな……だとしたら……」
いまにも胸が張り裂けそうな痛みに耐えながら、エイミーはそれだけいうのが精一杯だった。
「アラバマの従姉のことじゃないかね?」
ティシアーの母親が、誰にいうとでも囁き声でいったが、その声にはまだ怒りが燻っていた。
「お前、あの子の住所はわかるか? 確かあそこの抽斗に送ってきた絵葉書がまとめてあっただろ?」
ティシアーの父親がそういうと、母親は椅子を立って一枚のカードを手にして戻ってきた。
「エイミーさんとかいいましたね。もしアラバマにいくようなことがあったら、会ってやってくれませんか?」
母親が手にしていたカードを受け取り、席を立った父親がエイミーにそれを差し出して、彼女の肩を労うように叩いた。
「……」
エイミーはなにもいえずにそれを受け取って、絵葉書の裏にある写真を見つめてから、表に書かれている住所と名前を読んだ。
写真はかつて彼女がルフトとともにタブレットにある情報を破棄したあと、それを投げ込んだハンツ川のハイキングコースだった。
(こんな偶然て……)
そして表面には、従姉の住所と名前が書かれてあった。
パヴリーン・スタウロス――。
(そんな……そんなことって……)
「あの……」
彼女はその名前の由来やらを訊ねようとしたが、舌がもつれて言葉にならなかった。
「わたしらも随分会ってなくてね。だから、いまはどんな顔をしてるかすらわからないんだ……。けど、あなたがあの子の供養だと思えるなら、会ってやってください。なにしろ二人は子どものころからとても仲がよかったんでね。いつか結婚するんだなんていいだすんじゃないかってくらい、仲が良かった。早くに軍隊に取られてしまったんで、わたしらより従姉のほうがあの子のことはよく知っているはずだし」
ティシアーの父親は淡々とした口調でそういった。
そうしたやり取りのせいかは定かではなかったが、このとき母親の怒りはもうエイミーを突き刺していなかった。
「わかりました。彼の……いえ、ティシアーの遺言だと思って必ずいつか会いに行きます」
エイミーはそう約束し、そう固く胸で誓っていた。
「ほかになにかありますか?」
と父親が訊ねたことで話はそれで尽きてしまった。
エイミーはもう一度、額を床に擦り付けるようにしてから立ち上がったあと、流れた涙を拭うこともなく邸を後にした。
待たせていたタクシーに乗り込むと、彼女は迷うことなく行き先を口にした。
(ぜんぶ話そう。父さんは聞きたがらないかもしれないけど、母さんはきっと聞いてくれる。――それで、そのあとお婆ちゃんとカールお爺に会って……)
エイミーのなかでなにかが動き出していた。それがなんだかわからぬまま、彼女は見慣れた風景が多くなってくる、車窓からの眺めに目を向けていた。
けたたましく騒いでいる車内に流れているラジオと、そわそわしている運転手が気に障ってはいたが、彼女はその理由を知らなかった。




