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無から無へ  作者: イプシロン
Ⅳ 遊撃戦
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38/55

#38 ノー・ネーム――無と有

 フイデースの戦闘艇(コンバット)住居(ボートハウス)は飛べない鳥だった。

 なぜなら、彼は先だっての小惑星ベスタでの操縦士試験に、落第していたからだ。

 しかし、その夢の半分を戦闘艇住居は叶えていた。

「さあ、入って入って。稼いだ給料はほとんどこれに注ぎ込んで、財布はスッカラカンなんだけどね」

「フーディとわたしって似てるとこあるね。やりたいことがあると、お金にだらしないとことか。――それじゃ、お邪魔しまーす」

 そういってエイミーは艇内に足を運んだ。

「ねえこれ全部本物?」

「偽物に見える?」

 何度か短いやり取りをしながら、彼女はあちこちを眺めていた。

「わたし宇宙機構出身だけど、戦闘機や戦闘艇とかの軍用機ってほとんど縁がなかったから新鮮。でもフーディはどうしてこういうのに興味を持ったの?」

 いいながらエイミーは案内された場所に座った。

 それは戦闘機のシートをそのまま据え付けた椅子だった。

「本当はさ、操縦士が第一志望だった。でも、どうやら素質がないみたいでね。それで整備の道に泣く泣く進んだんだ。けど、その道も悪くなかった。でも、夢を諦められなくていまだに追いかけてる。これはその残り滓みたいなものかな。こいつでいつか宇宙を思う存分飛んでみたい。だから、いつでも飛べるように整備は万全にしてあるんだけどね」

「ねえフーディ、でも民間の宇宙機や宇宙艇って手もあったんじゃない?」

「もちろんある。けどね、機動力がまったく違うんだ」

「だからなんだ。――要するにちょっとしたスピード狂みたいなものかな?」

「似てるけどすこし違うかな。こっち来てごらんよ」

 そういってフイデースは艇内を先導していった。

 そこには沢山のアームで支えられた模擬訓練機があった。

「シミュレーターだね」

「そのとおり。乗ってみるかい?」

「うん、もちろん」

 前席の操縦席にフイデースが、後席の士官席にエイミーが座った。

「ベルトの締め方はわかる?」

「わかると思うけど、民間のとちょっと違うのかな?」

「困った士官さんだ」

 フイデースは操縦席から軽々と抜け出すと、エイミーのベルトの着用を手伝った。

 それからまた元の席に戻ると、計器盤に無数に並ぶスイッチを操作しはじめた。

「それじゃあ行くよ。死んでもしらないからね!」

 フイデースは笑顔で振り向いていった。

「死なしてみせなさいよ!」

 エイミーも微笑んでいい返した。

 すでに閉まっていたキャノピーが満点の星空に変わり、彼女はその美しさに息を飲んだ。

 だが次の瞬間、近くに見えている星々が猛烈なスピードの流れ星になった。

「綺麗!」

「だろ!」

 フイデースの声は喜びに弾んでいた。

「それじゃ士官さん、まずは手始めに基本飛行からいきます」

 エイミーは視野に入っていた星々がとたんに渦を巻いたのに興奮してはしゃぎだした。

「いいぞー! もっとやれー! さっさと殺してみなさいよー! 元国際宇宙機構特級秘書のエイミー・ゾイ・オイの得意技は、椅子ぐるぐる回しだったんだから、この程度じゃ死なないわよ!」

「簡易版、遠心分離機訓練(セントリフュージ)だね?」

「そうそれ! わたし、ぐるぐる大会で優勝したんだよ」

「それじゃあこれはどうかな?」

 フイデースは、ローリングをやめてヨーイングをかけて操縦室を左右に揺らした。

「うわー、これはちょっと気持ち悪い……でも、スリル満点!」

「士官さん、なかなかしぶといですね」

 フイデースはエイミーの様子が気になったのか、振り返って確認したあと前を向いていった。

「じゃあこれはどうだ !?」

 ヨーイングが収まったかと思うと、激しいピッチングがはじまった。

「うわ、うわ、うわ、これ喋ると舌噛みそうだけど……」

「じゃあ口を閉じてればいいのに」

 そういいながら、フイデースはすぐに急角度の旋回に移った。

「流れ星って本当に綺麗だね。ねえフーディ、これに乗って願い事したら全部叶いそうだね」

「なにそれ、欲張りすぎじゃない?」

 いいながら彼は操縦桿を反対に倒して逆方向に急旋回した。

「おおー、こっちに流れると願いが叶わなくなりそう」

「え? そんな話聞いたことないけど。――なんならエイミー、操縦してみる?」

「やるやる。でも、わたしがやったら多分墜落するよ」

「それはない! どんな無茶をしてもシミュレーターはシミュレーターだからね。もちろん事故を想定した訓練もできるけど、それで死ぬわけじゃない。それに、フライトモードのアシストをオンにしておけば、どんな下手な操縦をしても墜落はしないからね。――つまり、僕のような落第者向きの機能もあるってわけだね」

「じゃあやってみる! 席変わるってことかな?」

「うんそう」

 二人は互いの身体をすれ違わせて席を替えた。

 それからエイミーは、後席士官から様々な特殊飛行のやりかたを教わりながら、二時間以上も操縦席に座って宇宙を駆け巡った。それで二人は満足したのかシミュレーターを降りると、その傍らに座って話しはじめた。

「フーディ、宇宙っていいね。こんなふうに宇宙と触れあえたらさ、誰だって魅了されるんじゃないかな」

「そうなんだけどね」

「でも、実際にやってるのは、こういうのを飛ばして殺しあってる。おかしいよね」

「うん、おかしいと思う」

「どうしたらいいんだろうね? わたしガニメデの地表をティーポに連れられてジャンプしたんだけど、それだけだって楽しかったよ。なのにどうして? どうして戦争とかするんだろう……」

「ねえ……その、チクローポさんはどういったんだい?」

「え? なんのこと?」

 エイミーはフイデースがなぜそんなことをいいだしたのか、わからないようだった。

「いや、だからなんていうか、さっきもいってたけど、連れられてジャンプしたんでしょ?」

「ねえフーディ、あなたもしかして妬いてるの?」

「違う。そうじゃやない……と思う……」

「ティーポとはそういうんじゃないよ。そういうんじゃないんだよ……」

 エイミーは今にも泣き出しそうな顔で悲しみに満ちた声でいった。

「知らないよ! わたしにもわからないんだよ。わからないんだってば……」

 彼女は暴れ出しそうな感情を抑えようとして、声を鎮めてまた話はじめた。

「ティーポとフーディは似てるよ。どこがっていわれても困るけど……そうだね、宇宙が好きなところとか、馬鹿みたいに真面目で小さなことに拘るところとか、平和を望んでるとか、似てるの。――でも、違うところもある。それはどこなんだろうね? わたしにはよくわからない……わからないんだってば……」

 どう説明すればいいのかわからず、投げ込まれた暗闇から抜け出そうとするかのように、エイミーは立ちあがってその場を逃げ出そうとした。

 だが、二時間もシミュレーターに乗っていたからだろうか、足がもつれて転びそうになった。

 そのエイミーを支えようとしたフイデースも足をもつれさせた。

 床に倒れた二人の唇が重なった。

 エイミーはそのまましばらくそうしていてから、唇を離すと頭をフイデースの胸に預けていった。

「フーディ、わたしね、ガニメデに着いてから辛くて悲しいことばかりだった。それに、何度も死にそうになった。そして、一人の人の命を奪うきっかけになった。いいえ、一人どころじゃない。エウロパで戦って死んでいった人たちを殺したのはわたしかもしれない……。ティーポと離れ離れになったとき、本気で死んでもいいって思った。でも死ねなかった。なのに、死にたくない人が一杯死んだんだよ……。ねえ、聞いてくれる? ガニメデであったことぜんぶ。わたし、もう耐えられそうにないの……」

 そういったあと、エイミーは身体を預けたまま、ガニメデであったことの一部始終を長々と物語った。

 その間じゅうフイデースは、彼女を抱き寄せたまま背中を擦ったり、トントン叩いたり文字を書いたりして、黙って聞いていた。

 やがて沈黙が訪れた。

 艇内は南軍式の灰色一色の世界だったが、それでも窓から見える月の空には、本物の星が見えていた。

 エイミーは急に上体を起こしたあと、仰向けに寝転んだフイデースの傍らに座り直すと、また話しはじめた。

「ティーポのこと聞きたい?」

「……」

 フイデースは黙ってただ頷いた。

 それを見てエイミーは語りはじめた。

「わたしとても恥ずかしいことをした。卑猥な服を着て北軍の兵士たちに媚びを売った。もちろんティーポもそのいやらしい格好のわたしを見た。彼が一番はじめに見たのよ。でもなにもいわなかった。いいや、いった。『くだらない』って。そう、わたしはくだらない女でくだらないことするために、ガニメデまで行った。――その卑猥な服は、胸なんてほとんど丸見えみたいだった。スカートはちょっと前にかがんだら、お尻が丸出しになるほど短かった。お臍も丸見えだった。それだけじゃない。さあ、いらっしゃいっていってるみたいな、ガータのストッキングを履いて。脚が綺麗に見えるようにって高いヒールのある靴を履いた。それで、上下とも艶々のぴかぴか。まるで水に濡れてるみたいにいやらしく全身を光らせて男を誘ってた。――あんな淫らで恥ずかしい格好したの生まれてはじめてだった。確かに必死だったよ、わたし。でも、必死ならなにをやってもいいわけない。わたし下品で不潔で嫌な女なの。ティーポはもしかするとそれを見たから、淫売女なんかと一緒にいられるかって、逃げ出したのかもね。きっとそうよ」

「エイミー……」

「フーディ、驚いた? それがいまあなたの目の前にいる、エイミー・ゾイ・オイよ。ぜんぶを脱ぎ捨てたわたしなの」

「……」

「ねえ、どうして目を逸らすの? どうして見てくれないの? 見たかったんじゃないの? 目が腐るから見ないの? 見なさいよ! 見なさいってば!」

 エイミーはそういって、フイデースの肩を掴んで顎をあげさせた。

「見て、フイデース・スラージュマン。これが汚らしい女よ」

 そういってエイミーは自分の胸を掌で叩いた。

「淫らなんかじゃない! 汚らしくもない! なにをいってるんだ……」

「あらそう。じゃあもっと下卑たとこ見せてあげるわ……。ごめん、でも電気を消して」

 フイデースはいわれるがままに、傍にあった照明のリモコンを手に取ると、部屋を暗くした。

 そうして、視線を戻そうとしたが、エイミーはもうすでに服をすべて脱ぎ去って、全裸で彼の前に立っていた。

「見なさいよ。ちゃんと見なさいよ。見てってば! 卑猥で恥ずかしくて破廉恥で死にぞこないの尻軽女の不潔さを。――そして、人殺しのわたしの穢れきった汚れた身体を見てよ。見たかったんでしょ? 違うの?」

「エイミー、もう十分だ。自分をそんなに責めちゃいけない。もういいから、服を着てくれ。――僕はそれ以上のことはなにもいえない」

「フーディ、汚くないっていうなら、わたしを抱いてよ。ねえ、お願い。わたしもう無理なの。このまま自分に嘘をついて生きていくなんて無理なの。元気そうにしてればしてるほど、胸の奥がずきずき痛むの……」

「エイミー……」

「そうじゃないんだってば。どうしてわからないの? 名前を呼んだからって、もうこの穢れは落ちないの。言葉なんて無意味よ。なんならティーポが呼んでたように、パヴリーンて呼んだらどう? でもだからって無駄よ。――ねえ、抱いてよ。わたしが汚れてないっていうなら抱いてみなさいよ……。でないと、わたし本当に死んじゃうよ。だってもう心なんてとっくに死んでるんだもん」

「……」

 長い長いやり取りがつづいたあと、フイデースはエイミーの心の襞にこびりついた悲しみを、ひとつひとつ溶かすようにして彼女を優しく抱擁したのだった。

 フイデースが目を覚ましたとき、温もりは消え去り抜け殻だけが残っていた。

 彼は起き上がって艇内を歩き回り、エイミーの姿を探したがどこにも見出すことは出来なかった。

 諦めてシミュレーターのところに戻ってくると、操縦席に一枚の張り紙があるのに気づいた。

 それにはこう書かれていた。

多謝你(ありがとう)對唔住(ごめんなさい)我哋再見面啦(また会いましょう)。」と。

 彼女の母国語、広東語だった。

 そのエイミーは、ユーリ隕石孔ドームの宇宙港に戻ると、当日券を入手して月を飛び去っていった。

 コロラドにいるティシアー・スタウロスの両親に会うために。

 彼女がフイデースに激しく迫って自分を蔑ろにしたのは、その両親に悪魔と呼ばれようと、耐えられるためだったのかもしれない。

(ティーポ、わたしあなたのこと、ミーシャを捨てたって悪魔呼ばわりした。でもわたしはもっと酷い。だってわたし、ティシアーを犠牲にして生き延びたんだもん……。でもあなたはミーシャのところにまだ帰れる。けど、ティシアーはもうご両親のところには……)

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