#36 エスプレッソ――亀裂
《エピストゥラ号》でのエイミーの軟禁状態はつづいていた。
しかし、彼女はそれにめげることなく部屋に籠もったまま、精力的に情報収集に注力していた。
扉の外から聞こえてくる話し声を逃すまいと聞き耳をたて、寝ている間は首元にしたリストコムの録音機能を活用した。もちろんそれを再生して聞くときには、イアホンを装着した。
ワイフィーとの音声通信こそ盗聴を恐れてしなかったが、文字でのやり取りだけでも、それなりの情報を手にしていた。
また集められたなかで、重要と思われる情報はタブレットに記録され、必要ないと判断されれば即座に廃棄された。いうなれば証拠隠滅である。
元国際宇宙機構の特級秘書であり、いまはフリー・ジャーナリストのエイミーは、秘密や機密の取り扱いには慣れていたが、盗み聞きしている罪悪感がなかったわけではない。
そうしてまとめあげられたデータはメモリーカードに書き込まれ、扉の外で立哨している儀礼警備兵の手に渡され、そこから《エピストゥラ号》の南軍上層部へと伝達されていった。
もっとも、以前のガニメデ基地の反省からか、エイミーがまとめた情報には、南北両軍の軍事作戦に関するものは一切含まれていなかった。
民間人の避難場所やその経路、安全レベルについてだけだった。
避難場所の第一候補は小惑星帯、第二候補は月の民間区画、第三候補は地球、第四候補は土星以遠の惑星とその衛星になっていた。だが、第四候補は非現実的だった。
定期的に資源や物資を輸送するのが困難だというのがその理由だった。また、民間輸送船が戦火の拡大によって軍に大量に徴用されようものなら、第一候補の小惑星帯すら、生の営みが困難になる可能性は皆無ではなかった。
(結局、人類の営みや戦争の基本戦略は、古代の大航海時代とそう変わらないのかもしれない……)
エイミーの思考はそこに行き着いた。
そして、危険度が高かったのは、いうまでもなく木星と火星の宙域だった。
彼女は思った。
(地球発祥の人類が、母星を去らなければならないなんて、どう考えてもおかしい……でも、それが戦争なのかもしれない……)
どうにもやるせない気持ちになり、エイミーはときどき悲しげに舷窓の外の宇宙に目を向け、瞬くことを知らない静止した星々を眺めていた。
(あんなふうに、ずっと平和がつづけばいいのに……)
しかし、彼女の気持ちとは裏腹に、戦火はじわじわと拡大していった。
《エピストゥラ号》の南軍上層部は無能ではなかった。
エイミーからもたらされた避難勧告情報を、超長距離高速通信回線を使って全方位に平文で発信した。
無論、それが北軍の知るところとなるのは、南軍上層部もわかってはいたが、防御重視、救難救護、被害極小化主義の南軍が、その伝統を覆すことをよしとしなかったのだ。
エイミーの乗る《エピストゥラ号》が月基地に近づくにつれ、船内の警戒も厳重さを増すばかりだった。
ある日を境に、敬礼をきっかけに言葉を交わすようになった、若い儀礼警備兵の姿も扉の前に見られなくなり、厳つい顔つきをした古参の警備兵が立哨するようになった。
(わたしをパヴリーンと呼んだ子、まだ二十代のはずだけど、いまどこでどうしてるんだろ……。戦火が激しくなれば、ヴォロンターリオみたいに前線に引っ張り出されるのかな?……)
ガニメデでの北部条約機構、情報省長官シャッテンとの件なのか、南軍から得た情報を解析したのか、北軍はエイミーを重要スパイ容疑者に指定し、懸賞金までかけて捜索しはじめた。さらには、武器の有無に関係なくあらゆる輸送船を拿捕対象とし、従わない場合は無制限に攻撃すると通告した。
彼女がそれを知ったのは月基地まであと三日というときだった。
月基地の情報もそれなりに入手していたエイミーは、その警戒の厳重さを知りさらに慄然とした。
(この船にいるうちはいいけど……この警戒具合じゃ南軍だってわたしを監視しつづける……。それ以上に北軍は目を光らせている……。わたしの居場所はもうどこにもないのかもしれない……。わたし、そんなに悪いことしたの?……)
打ちひしがれながらも、彼女は船室で地球へ帰りたい一心で、定期便の席を確保した。
(この状況じゃ、父さん母さん、それにお婆ちゃんだって巻き込んでしまうかもしれない……それに、わたし行かないといけないところがある……)
コロラドのエポラール邸で夢遊病者のように過ごした日々が思い出された。
祖母にいわれるがままに外出して髪を切り、その美容院でもらった蛇がドラゴンフルーツに齧りついている、銀製のオブジェが目に浮かんだ。
にこにこと照れ笑いばかりしていたカルハリアスの顔と、すこしばかり猫背な執事風の服装姿が懐かしかった。
地下壕の制御室にある長椅子に座って、馬鹿笑いしながらエポラールから暗号の特訓を受けた光景が脳裏に蘇った。
「お婆ちゃん、助けて……」
(わたしまだ、ジャーナリストになったことすら、伝えられてない……。父さん母さんごめんね、親不孝ばっかりで……)
その頃、ガニメデから地球への帰路についていた《リヴァール号》は、火星の衛星ダイモスの宇宙港に着床していた。
妊娠四か月半をすぎていたパンタミーマのお腹は、膨らみが目立ちはじめていた。
彼女はそのお腹をいつものとおり大切そうに抱きながら、望遠展望室から宇宙を眺めていた。
「なんだあれ?」
目に飛び込んできたのは、黒い宇宙に染みのように浮かんだ靄だった。
「あれって……謎の宇宙船じゃないのか?」
パンタミーマが見たのは彼女が口にしたとおり、北軍の実験艦"X-Ⅲ"だった。
極秘ドックで大改装を終えたその艦は、第二次エウロパ会戦の要として木星宙域に向かうところだった。
「縁起が悪そうなもんは見ないほうがいい。なあそうだろ? 母さんのいうこと間違ってないだろ?」
パンタミーマはそういって、靄から目を逸らしてお腹の子どもに話しかけた。
「エイミーもティーポも無事ならいんだけど……」
彼女が暗い宇宙に目を向け直したとき、靄はもうどこにもなかった。
愛する人と親友の無事を祈るような遠い視線があっただけだった。
そんなことは露知らず、エイミーは先のみえない靄に包まれて、月基地への最後の三日間を耐えた。
《エピストゥラ号》が月の南軍ユーリ隕石孔基地に着床すると、彼女は四人の古参警備兵に囲まれて気密扉の先にある、タラップの階段を下りはじめた。
(身体ひとつで、小さなトランクしかもってないただの女なのに……どうしてこうなっちゃったんだろう?……)
エイミーは胸のうちでぶつぶつとぼやいていた。
タラップの階段を下り切ろうとしたとき、彼女は誰かが呼ぶ声を耳にした。
エイミーが残った数段先へと目をやると、どこかで見た人影があった。
「フイデース! どうしてここに? だって――」
「あたりまえじゃないか、手配したのは僕なんだし、約束を破ったりはしないよ」
「フイデース!」
エイミーは周りを囲んでいた古参警備兵の囲いから抜け出すと、一目散にフイデースの胸に飛び込んだ。
「どうしてよ、どうしてここにいるの? 嘘みたい! だって《リヴァール号》はまだ火星の辺りでしょ?」
それまで辛抱してきた三十日あまりの軟禁生活からの解放が、こんな形になるとは想像だにしていなかったのだ。
その二人の様子など、四人の古参警備兵はまるで意に介さず、階段が尽きる手前で回れ右をしてタラップをのぼっていった。
「ベスタで南軍の高速輸送船に乗り換えたんだ。ディジアも一緒だ。ただね……」
「どこよ? どこにいるの?」
フイデースは僅かなそぶりで彼女の居場所を指し示した。
エイミーは、膝まである長い栗色の髪を目印にして、遠くで見つめているディジアの豆粒のような姿をすぐに見つけだした。
彼女は手を振ることもなく、にこやかに微笑みながら小さく頷いただけだった。
ここのところ急速に高まった南北対立の煽りをうけてか、ディジアがなんらかの監視対象であろうことを、エイミーはすぐに察知した。
「でも、どうやって二人で?」
「僕が頼みこんだんだ。《リヴァール号》の機関のことを習得しきれそうになかったから、彼女に教わるのが一番の早道だろうと考えてね。――僕らが乗ってきたのはあの船だ」
そういってフイデースが指さした先には、珈琲色をした船が駐機していた。
その船体には、ほとんど白にしか見えないごくごく淡い桃色の文字で、《エスプレッソ》と書かれていた。
「けど、いまは戦争中よ。それに激しくなってるみたいだけど……」
「それは知っている。でもね、ない知恵を絞っていろいろと工作したんだ」
エイミーはフイデースから感じている体温を逃がしたくなかったのか、身体をぴったりと寄せていた。
「あなたらしいけど、あなたらしくないわね」
「どういうこと?」
「生真面目で曲がったことが嫌いだけど、自分の信念のためならすこしは道を外すってこと」
「酷いこというなあ……再会できたばっかりなのに……」
意外なほど深刻そうなフイデースの顔を見て、エイミーは思わず吹き出した。
「わたし、あなたのそういうところが好き」
それは、彼女が意識せずに口にした言葉だった。
エイミーはそれだけいうと、フイデースの胸に頬を寄せて黙ってしまった。
沈黙を嫌ったのか彼が口を開いた。
「パンタミーマも誘ったんだけど、『わたしの家はこの船だ』って、あっさり断られちゃったよ」
「ミーシャらしいわ……」
エイミーはフイデースの胸から頬を離して、彼の目を見つめてそういった。
「もう妊娠四か月はとっくに過ぎてるはずだけど、ミーシャは傍に頼れる人が誰もいないのね……」
二人の境遇の差を感じ取ったのか、エイミーはフイデースからすっと離れた。
「さあ行きましょう。わたし、地球行きの船に席を取ってあるから、あんまり時間がないんだけど、積もる話がたくさんあるの。――ねえ、ディジアもすこしは一緒にいられるんでしょ?」
「一応はね……」
フイデースは寂しそうに呟いた。
そうして、二人がディジアの方へ向かって歩きはじめると、彼女はある程度以上の距離を取って、宇宙港を出て人影がまばらになるまで、ずっと先を歩きつづけた。
(せっかく会えたのに、どうしてこうなっちゃうの……。どうして親しい人たち同士でスパイごっこみたいなことしなきゃいけないの? わたし、本当に戦争が憎い……)
この日、南部同盟連合に所属していたシードーラ国が連合から脱退し、月の一部地域は自国領であると声明を発表した。
南部同盟連合のなかで資源確保に苦しんできたシードーラ国は、その資源を確保するために強引に国境線を引き直したのだった。
シードーラ国はかねてより連合のなかで悪評が高く、隠密裏にテロ組織との繋がりも噂されていた。




