#35 エピストゥラ――儀礼と慣習
南軍のラハム地溝帯基地を離床した高速輸送船《エピストゥラ号》は、その名のとおりエイミーに託された手紙を運んでいた。
彼女は体調がよくなると、すぐに預かった手紙や品物の仕分けをはじめた。国や地域ごとに分けて、なるべく早く家族らのもとに届けようと考えたのだ。トランクの三分の一はそうした品々で占められていた。
地球を発つとき、隙間なく荷物を詰め込んできただけに、増えた荷物を処分せざるを得なかったのだが、まっさきに処分の候補にあがったのは、北軍基地で着た卑猥な衣装だった。
しかし、このときのエイミーはゴミひとつ気軽に捨てられない境遇にあった。
割り当てられた一室の扉の外には、常時三人の警備兵が捧げ銃をして立っていた。また船内を歩くときは、そのうち二人の警備兵が前後を固めて彼女を警護していた。
仕方なく、卑猥な服は鋏を借りて細かく切り刻み、見られても恥ずかしくないように工夫した。
そのほかの処分品も、人目に触れても困らないように知恵を絞った。
決して好奇心に薄くない彼女だったので、船内の見学もしたかったのだが、厳重警備の軟禁状態はさすがに堪えたようで、ほとんどの時間は部屋に篭もったままだった。
しかも、船内はいまだ不慣れな南軍式時間であったから、時間や日付の感覚も狂いがちだった。
そうして何日かが過ぎたころ、部屋の外がやけに騒がしいのに気づいた。
扉に耳を当てて聞いていると、《エピストゥラ号》が、第一級警戒体勢にあることがわかった。それは、いつ戦闘になってもおかしくないということだった。
彼女が、声を殺したまま外の様子を窺っていると、その原因も掴めてきた。
エウロパ宙域で、南北の主力艦隊同士が全面激突したらしいのだ。
エイミーは背筋が凍るような戦慄を覚え、すぐに情報を集めたいと思いたち、ワイフィーに話しかけようとした。だが、小さな声であっても外の警備兵に聞かれる恐れもあり、盗聴器がある可能性を考えて諦めた。
とはいえ、落ち着かずに部屋を歩き回っていても気が気でなかった。
もし南軍基地での取材を予定通り行っていたら、ガニメデであっても巻き込まれていた可能性は否定できなかった。帰りの船をフイデースが手配してくれず、的確に船を見つけだすことができなかったら、戦域を抜け出す前に戦闘に巻き込まれていても、おかしくなかった。
(シュド軍医やコルデはどうなったんだろう?……ティーポは無事だろうか?……それにあの船、《ピラータ号》はどこに行ってしまったんだろう?)
つぎつぎに湧く疑問や、南北両軍基地で知りあった人々の顔が浮かびあがり、朦朧とする頭で南軍基地で必死に覚えた名前が脳裏をよぎった。
そうなると、なおのこといたたまれなくなり、意を決して外の警備兵に話しかけようと扉を開いた。
しかし、エイミーはそういった感情を表に出さずに、気さくな調子で話しかけた。
「あの……なにかありました?……」
灰色の制服を着た三人の儀礼警備兵の視線がエイミーの顔に集まった。
三人は視線を絡めあって、どうしたものかというふうに視線を泳がせていた。
「聞いちゃったみたいですよ、わたし。警戒体勢みたいですね? なにが起こったかよかったら教えてもらえませんか?」
エイミーの声は控え目で呟くようだったが、なんとか聞き出したいという気持ちが目から溢れていた。
「あの……規則がありまして……」
警備兵の一人がまるで彼女の口調を真似るようにしてそういった。
だが、扉から半身を乗りだしていたエイミーは、満面の笑顔で食らいついた。
「でも……減るもんじゃないでしょ?」
思わずだろうか、一人の警備兵の頬が緩んで、
「減りはしません! それに、わたしはパヴリーンのファンであります!」
朗々とした声でそう宣言した。
「ちょっとやめてください! 恥ずかしいじゃないですか……」
さすがに照れくさかったのか、エイミーは悲鳴のような声を出した。
彼女を英雄視した警備兵の煽りを受けたのか、ほかの警備兵がいった。
「本来なら任務に反することですが、あなたが我が軍にもたらした情報のおかげで、南部同盟連合木星宙域の主力艦隊は、敵の奇襲を受けることなく只今、全力にて交戦中であります」
といって敬礼をした。
「じゃあエウロパが戦場になったのね?」
「あの、その……そうであります! しかし、これ以上はなにもお話することはできません!」
敬礼したまま、灰色の制服を着た儀礼警備兵の一人がいった。
「わかりました、ありがとうございます! 警備お疲れ様です!」
そういってエイミーも敬礼を返すと、下手な回れ右をして扉を閉めて部屋に戻った。
彼女は部屋を横切りながら呟いた。
「軍隊調って、その気にさせられるものなのね……。たったあれだけなのに妙に高揚してる……。戦争をしたくてするんじゃなくて、その気にさせる空気ってあるんだろうな……」
エイミーはタブレットの置かれたテーブルと対になった椅子に座ると、一人の兵隊になった。
「よし! わたしはわたしにできることで戦うわ!」
と自分を励まし作業にかかった。
タブレットに保存されたデータから、避難先に適当であろう場所を抜き出しはじめたのだった。
二、三時間が過ぎたころ作業が終わった。
ひとつふたつ深呼吸をしてから、エイミーは傍らに畳んで置かれた灰色の軍服に目をやった。
「そうだこれ、あのファンだっていってくれた人に……。だって、南軍に保護されて、これはいらないんで捨ててくださいとはいえないんだもの。でも、喜んでくれるかしら? まあいいわ、当たって砕けろよ!」
彼女が手に取った服は、南部同盟連合が創設されたときに制定された、灰色の軍服だった。
デザインや機能の面からすれば、時代遅れも甚だしかったが、それはガニメデの南軍基地で取材するときのために持参してきた物だった。
エイミーはタブレットから情報を書き出したメモリーカードと、灰色の軍服を手にして、また扉から半身を乗りだした。
「あの……」
「は! 今度はなんでございましょうか!」
儀礼警備兵の三人は緊張した顔をしていた。
「あのね、これほんの償いなんだけど、よかったら上官に届けてくれないかしら?」
「それはなんでありましょうか?」
エイミーのジャーナリストとしてのニックネーム、パヴリーンを口にした警備兵がいった。
「民間人向けの避難先リストなんだけど、受け取ってもらえる?」
「ありがたく頂戴します!」
隊長格の警備兵がいった。
「それじゃあなたにはこれを。つまらないものだけど、あなたの先輩たちが着ていた軍服のレプリカなんだけど、もらってくれる?」
「喜んで!」
そういってパヴリーンと呼んだ警備兵は、顔を赤くしながら軍服を受け取った。
「わたしのしたこと、していること、正直いいのか悪いのか、わからないの。でも、あなたたち南軍を巻き込んだことは確かね。ごめんなさいね」
「いいえ、とんでもありません! 我々は死を恐れていません!」
隊長格の警備兵がそう宣言した。いや、宣誓というべきだろうか。
エイミーは悲しげな表情をして訊いた。
「あなたたち、志願なの? それとも応召?」
「志願であります!」
三人が揃って答えた。
「ならわからないかもしれないけど、応召された人の気持ちを一度でいいから考えてみて欲しいの……。あ、ごめんなさい、わかったようなこといって」
「……」
そのとき、エイミーの脳裏にはガニメデの北軍基地で命を落とした、ティシアー・スタウロスの若々しい顔が浮かびあがっていた。
「ごめんなさいね。それじゃ、わたしこれで」
エイミーは、思いつきでいったのではなかったが、どうにもうまくいえなかったことが、悔しくてしかたないようだった。
「こういうのって、どうやって言葉にすればいいんだろう……」
(ティーポ、あなたなら言葉にしないの?)
その答えが返ってこないことはわかっていたが、エイミーはそう呟かずにいられなかったのだった。
部屋の扉の前に立つ儀礼警備兵もまた、南軍の仕来りに従って三交代制だった。
彼女は月基地までの三十日ばかりの間、敬礼を交わしあった三人とときどき言葉を交わすようになった。
しかし、そうすればそうするほど、胸の奥に刺すような痛みに呻いた。
(知れば知るほど、無益に死んでほしくなくなる……じゃあ、知らなければいいの? 無理よそんなこと、わたしにはできない……。だってそれって人間であることをやめるってことじゃない? 一体どうしたら戦争が無くなるの?……無理なのかな?……。彼らはずっと警備だけやってそれで退役できればいいのに……。でも、それもおかしい気がする。だって、同じ制服を着て同じ手袋をして、同じような銃を持って、同じような動作をして……。ふつうに考えたらおかしいはずなのに、どうして彼らは違和感をもたないんだろう? 宇宙機構の秘書課は私服だったから、そんなこと考えたこともなかったけど、やっぱりおかしいと思う……)
このときエイミーが《エピストゥラ号》の船内で知った戦いは、後に第一次エウロパ会戦と呼ばれるようになった。
両軍とも多大な損害と死傷者を出しながら、痛み分けの結果だったが、来る第二次会戦で決着をつけようと、両軍とも戦力の回復に余念がなかった。
しかしそのとき、南軍の結束に亀裂が入りかねない噂が、月基地で流布されはじめていた。
エイミーはまだそのことを知らなかった。




