#32 ピラータ――真空
チクローポは、ガニメデの真っ暗な空を見上げてじりじりしながら待っていた。
二人の宇宙服の酸素が切れるまで、残された時間はそう多くなかった。
そのとき、上空でなにかがキラリと光った。
それに気づいたチクローポは、すぐに行動に移った。
「パヴリーン」
「なあに、ティーポ?」
「これを着ろ」
そういってチクローポは宇宙服の雑嚢から、金色をした上下のビキニ水着を取り出して、エイミーに手渡した。
「宇宙服の上から」
「どうして? ガニメデに岩と氷はあっても海はないでしょ? あるとしても地殻の下じゃないの? わたし知ってるよ。ちゃんと調べたもん」
「いいから着ろ」
「ティーポって変な趣味あるのね? まあいいか、誰も見てないし。サービス、サービス。ほんじゃ貸して」
そういって、エイミーはしぶしぶなのか喜んでなのか曖昧なまま、宇宙服のうえから、金ピカの水着を着用した。
チクローポはそれを確認すると彼女の肩を叩いたあと、空中を指さしていった。
「あれ見えるか?」
「なんか光ってるね」
「立てるか?」
「立てるよ、ここ重力が低いからね。なんならジャンプもできるよ」
エイミーはそういって立ち上がった。
まだふらふらとしていたのを見て、チクローポは彼女の宇宙服の腰部にある酸素供給調整器に触れ、すこしだけ酸素量を増やした。
「一回ジャンプしろ」
「お安い御用で」
そういうとエイミーは軽々とジャンプしたあと、危なっかしく着地した。
「もっかいやろうか?」
「いやいい」
「あらそう」
彼女はつまらなそうにしたが、チクローポと離れたことで急に不安になったのか、その場でそわそわしはじめた。
「光に手を振れ」
「うんわかった。こんばんわ、こんにちわ……こんばんわ、こんにちわ……」
エイミーは楽しそうに手を振りはじめた。
「両手で」
「ティーポって、注文が多いよね。あとで請求するからね」
文句をいいながら、彼女は両手を振った。
いまでは、上空で光っていたのが宇宙船であることがはっきりと見て取れた。
薄汚れてあちこちガタがきているようだったが、その船はしだいに高度を下げ、空中でホバリングすると。船体の各所にあるサーチライトを点灯して、ガニメデの地表になにかを探しはじめた。
ひとつのライトが、身体にフィットした白とも銀ともいいがたい宇宙服の上に、金ピカのビキニを着けたエイミーを捉えると、すべてのライトがそこに集中した。
「眩しい! うわー眩しい!」
宇宙船の操縦室では、見るからに荒くれた連中が騒いでいた。
「おいおい、今回のはすげーボインじゃねーか。そう滅多にお目にかかれないぞ。それにスタイルも抜群だ」
「どれどれ見せてみな」
そういった男は双眼鏡をひったくって、ガニメデの大地で手を振るエイミーを眺めた。
「いいや駄目だ、あいつ金ピカのビキニだからな」
「どういうことだ?」
「つまりよ、パンタミーマの上客ってわけだ」
「おー怖っ、そんじゃ手出して、金ピカ水着引っ剥がしたら、金玉引っこ抜かれるってことか」
「その通りだ。だから上玉は上玉だけど、お預けってこった。それによ、宇宙服の上に水着じゃな。実際ボインかどうか疑わしいぜ」
「まあな」
「じゃあ、さっさと回収してずらかろうぜ」
そのとき、双眼鏡で見ていた男が付け足した。
「岩影にもう一人いる。男連れだな」
「まあいい、仕事だ仕事だ、降下するぞ。つかまっとけよ、じゃないと死んでも知らねーぞ」
二人の収容が済むと船はすぐに離床したあと高度を取った。
船員に迎えられたチクローポは、すぐに行き先をつげ《ピラータ号》は向きを変え、南軍の基地を目指して航行を開始した。
「まさか男のほうがあんただとはな。上客ってだけでも珍しいのに、二度びっくりさ」
汚れて皺だらけの帽子を被った船長らしき男がそういった。
「強壮剤あるか?」
チクローポはエイミーの状態が気にかかってしかたないらしい。
「女はだいぶん弱ってるみたいだな。際どかったんじゃねえのか?」
「酸素が三十分切ってた」
「まさか北軍の基地から歩いてきたんじゃないだろな?」
「そのまさかだ、とにかく薬」
チクローポの強い口調から焦燥感を察したのか、船長らしき男はそそくさと歩き去って船医を連れてきた。
「酸素濃度のばらつき状態はどれぐらいだった?」
船医はすぐに必要なことを訊いた。
「三時間近い」
「まずいな、だと脳をやられてる可能性もある。ちょっと待ってな、いまその辺の薬も取ってくるから」
船医は五分もしないで戻ってくると、すでにヘルメットとビキニ水着を外されたエイミーの処置をはじめた。
それを見て幾分安心したのか、チクローポは船長らしき男にいった。
「駄賃は?」
「そんなものはいらねーよ。パンタミーマからがっぽり貰ってるからな。それに、この船がどんなにガラクタでも、北軍基地から南軍基地まで運んで駄賃なんか貰ったって世に知れてみろ。お笑い草になるわ」
「助かる」
「そんであんたはどうすんだい?」
「この船はどこへ?」
船長らしき男はすぐに行き先を告げた。
「なら船に残る」
「女のこと、心配じゃないのか? 命懸けだったんだろ?」
チクローポはすこし考えてからいった。
「南の医者に繋いでくれ」
「それは構わないが、それでいいのか? だってよ、パンタミーマが金ピカ払った上客だろ? あんたにとってもそうじゃないのか?」
「危険に遭わせた」
「そういうことか。女のことは任しとけ。それに、あんた一人くらい増えたところで問題ない。じゃ、俺はこれで。ちっとばっか野暮用があってな」
そういって船長らしき男は去っていった。
エイミーはチクローポが誰かと話しているのを聞いてはいたが、しだいに混濁していく意識のせいで、その内容はほとんど理解できていなかった。
そして、全身を這い上ってくる倦怠感と投与された薬剤の効果からか、眠りに落ちていった。
他方、《ピラータ号》は、二人を回収してから三十分あまりで、南軍基地のラハム地溝帯洞窟宇宙港に滑り込んだ。
船長から指示を受けていた船員たちは、すぐにやるべきことをしはじめた。
「おい、女を軍医に引き渡すんだ。さっさと連絡をつけろ!」
「担架じゃない、カートがいるんだよ。ぐずぐずいわずに持ってこい、急ぎなのわかってんだろ!」
あちこちで罵声が飛び交っていたが船員たちの動きは、軍隊が顔負けするほど機敏だった。
チクローポはエイミーを乗せたカートに付き添っていたが、その表情は暗かった。
その彼に、軍医を示す肩章をした兵服姿の男が近寄ってきた。
「また、あんたかい? いったい何人運びこめば気が済むんだ?」
「これが最後だ」
軍医はチクローポの答えがよほど予想外だったのか、その場でしばらく足を止めたあと、カートに付き添う男の後を追った。だが、軍医はその驚きとは逆のことを話しはじめた。
「いくら南が防御重点主義で、救難救護、被害極小化策を主体とする軍隊で、民間人にも手厚いといっても軍は軍だぞ。いまは戦争中だ。ここは僻地だとはといっても、すぐそこのエウロパやそのほかの戦域は死人だらけだ。軍人も民間人あったもんじゃない。貴様はそれがわかってるのか?」
「これが最後だ」
軍医はその言葉が信用できなかったのか、畳み込むようにいった。
「保証はなんだ? 見せてみろ」
「この女だ」
「なんだって?」
「この女だ」
「……」
軍医はチクローポの太くはっきりとした、二度目の言葉を耳にして、カートに寝かされているエイミーの全身をじっくりと見た。
「どこにでもいそうな女じゃないか。別にこれといって変わったところはない。それに聞いた話だとフリーのジャーナリストだとか? 世の中への影響力も無に等しい。なんにも特別になんか見えん」
チクローポは一層悲しげな表情をしていった。
「だからだ」
軍医はその意味を測りかねたのか、エイミーについてそれ以上詳しいことは訊かなかった。
「それで、お前はどうするつもりだ?」
「家に帰る」
「あの宇宙船か?」
「いずれな」
「わけのわからん奴だな、お前は」
「それでいい」
軍医はふと気にかかったのか、突拍子のない質問をした。
「そういえば、いつもの大きな荷物はどうした?」
「あの女がそうだ」
「女と荷物は違うだろ?」
「同じだ」
「あの荷物はなんだったんだ?」
「撮影機材だ」
「……まあいい、勝手にするがいい。だがな、口に出したことは引っ込められんぞ。特にお前のように口数がすくない奴はだ。――俺の任期ももう終わる。こっちもこれが最後になりそうだしな」
「なら頼んだぞ」
チクローポはそれだけいうと、くるりと向きを変えて《ピラータ号》に戻っていった。
エイミーが、南軍のラハム地溝帯基地の医療区画に運ばれ、ベッドに横たえられたのと時を同じくして、《ピラータ号》は離床を開始した。
チクローポという謎の男を乗せ、ガラクタと呼ばれる船はどこかに消えてしまった。
ガニメデのラハム地溝帯には、男が残していった壊れた携帯電話がぽつりと残されていた。




