#30 ブルー・ベリー――北軍基地
エイミーとチクローポは、ガニメデの北軍基地エンキ・ドームに到着したその日、仮泊用の一室を割り当てられた。
その夜遅く取材の許可が下りた。
基地時間の早朝、目覚めたエイミーはいまだに取材の方針を決めかねていた。
そのことに気づいたのか、珍しくチクローポが声をかけてきた。
「どうするんだ?」
朝食のパンを齧っていたエイミーの手が止まった。だが、彼女はなにもいわずにパンを皿に戻して、珈琲を一口飲んでからいった。
「あなたは?」
「一緒に行く」
瞬時にチクローポから答えが返ってきた。
エイミーはまた無口になり、頭のなかで言葉を撹拌しはじめた。
(ティーポがいてくれるのは心強い。でも、それはそれこれはこれ……身の安全と意味のある取材は別の問題。やっぱり、あれしかないのかな……でも……)
彼女の脳裏にはいつかみた映画の場面が浮かんでいた。それと同時に、昨日乗った地上巡航車の運転手が口にした、下卑た言葉が耳の奥に蘇っていた。
内面から蝕んでくる恐怖に耐えかねて、エイミーは目を閉じたが、その瞼の裏に服を引きむしられ滅茶苦茶にされる自分の姿が、くっきりと浮かびあがっていた。
とたんに、エイミーは小刻みに震えはじめた。
すぐそれに気づいたチクローポが訊いた。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない。でもティーポ、悪いんだけどすこし外に出ててくれる」
「なぜだ?」
「いいから出てて。鈍感な人ね。取材に行くのに着替えたいだけよ」
それで納得したのか、チクローポは席を立って部屋を出ていった。
(たったあれだけ言葉を交わしただけで、こんなにも落ち着く。不思議な人ね……。ミーシャが惹かれてしまったのも当然かもしれない……)
ようやく意を決したのか、エイミーは着替えをはじめた。すこしでも戸惑っていると、また恐怖に取り憑かれかねなかったのか、素早い動作だった。だが、彼女の手は着替えの間じゅう小刻みに震えていた。
「ティーポ、もういいわよ」
扉が開いたあと、チクローポは一歩踏み出すまえに口を開いた。
「なんだそれ?」
「なにって聞かれても困るけど……」
そういってエイミーは大きく開いた胸元を隠しながら赤面した。
身体にぴったりとフィットした艶々の青い海の色をした上着は、肩紐なしで身体を包んでいた。下はすこし屈んだだけで、お尻が見えるほどの短い淡い水色をしたタイトスカート。その下には白地に水色のレース模様をあしらったストッキングを履き、足元は上着と同じ色のハイヒール姿のエイミーが立っていたのだった。
「オスの孔雀だな」
「ミーシャの知恵を拝借したのよ。だって、これしか思いつけなかったんだもの」
「そうか」
チクローポは興味を失ったように部屋に入って、自分の機材の準備をはじめた。
といっても、それは北軍取材のためではなかった。見る人が見ればそれが防犯や安全対策であることはすぐにわかったが、エイミーは自分の姿の恥ずかしさからか、それには気づいていないようだった。
「ねえティーポ、こういう格好なら慰安を兼ねてって見えないかな?」
「さあな」
「そんなこといわないで、ちょっとはなにかいってよ」
そういってエイミーは身体をくねらせて品を作って見せた。
「くだらない」
「……」
それで自信がついたのか、彼女も服装以外の準備にかかった。
こうして、奇妙な二人連れは取材の現場に赴いた。
エイミーの作戦は比較的成功したといっていい。
北軍のイメージカラーである青と水色は各所で歓声を浴びた。こそこそと近寄って約束を取り付けたり、抜け駆けして彼女をものにできるような空気を一掃したのだった。
とはいえ、エイミーが求めていた、エウロパでの南北全面対決の情報を知りうる、士官や将官クラスからは煙たがられてしまった。
その代わりに、彼女は一般兵士たちの本音や心情を多く聞き取ることができた。
なかには、地球にいる家族に届けて欲しいと、手紙や品物を託す者もあった。
そのことから、エンキドーム基地所属の幾つかの部隊が、エウロパでの作戦に参加するであろうとエイミーは分析した。
常に傍にいたチクローポの存在感もあってか、その日の取材は何事もなく終えることができた。
翌日、彼女は極めてふつうの格好をして取材をつづけた。
上はベージュのジャケットの下に白い厚手の長袖シャツ。下は上着とお揃いのスラックス姿で、足元はいつもの白いスニーカーだった。
前日とはまた異なる佇まいの彼女に興味を持ったのか、顔なじみになった一般兵士から声をかけられたり、それまで耳にしてこなかった噂などを集めることもできた。
そして、なによりの収穫はある人物を目にしたことだった。
北部条約機構、情報省長官シャッテンだった。
彼は多数の将校や士官に取り囲まれながら視察していた。
その集団のなかにいたシャッテンに気づいたのはチクローポだった。
「パヴリーン」
彼はそういって顎をしゃくって指し示したあと、手にしていた携帯電話の画面を見せて、
「行け」
とだけいった。
エイミーは一瞬たじろいだが、黙って頷いて集団に近づいていった。
それに気づいた険しい顔をした将校や士官が、彼女の前に立ちはだかろうとした。
「たかが、フリーの記者になにができる。通してやれ」
シャッテンはいかにも見下した口振りでいった。
「すみません、わたしこういうものです」
エイミーは携帯電話を掲げて電子名刺を見せた。
シャッテンは一瞥しただけで、顔も名前も記憶しようとはしなかった。
「すこしお話を伺わさせていただけますか?」
「なんだ?」
「これは噂レベルなんですが、北軍は近いうちにエウロパ宙域で大きな作戦をすると聞いたんですが、本当ですか?」
エイミーは、シャッテンがその質問に答えることをまったく期待していなかった。
情報省長官の表情や一挙手一投足を注視していた。
「馬鹿な質問をする記者だな。わたしがそんなことを喋るとでも思ってるのか。もうすこしましな質問はできんのか?」
シャッテンは唾でも吐くようにいった。
エイミーは食いついた。
「ですが――」
と先をつづけ、知りうる限りの参加予定艦隊や部隊名、さらには作戦のあらましまで滔々とまくしたてながら、情報省長官の顔色を窺っていた。
シャッテンは目元に怒りを表し、鼻をひくひくさせ、やたらに瞬きして奥歯を噛みしめ、顔がしだいに紅潮しはじめた。
「貴様は何様だ! どういう経緯か知らんがこのわたしに知恵を授けてやろうとでもいうのか !?」
その言葉を耳にしてエイミーは確信した。
「すみませんでした。これで失礼します。ありがとうございました」
そういうとエイミーはなにもなかったかのように、会釈してチクローポの所に戻ってきた。
「ティーポ、エウロパは確実よ。ただ、いまので作戦を早めさせた可能性があるの。心が痛くて堪らない……」
「それで?」
「取材はこれで切り上げる。できれば今夜にでもここを出たいんだけど……」
チクローポは頷いたあと、ちらりと集団のほうを見てからいった。
「わかった」
二人はそれだけ言葉を交わすと割り当てられた部屋に足を向けはじめた。
部屋に戻った二人は、外の物音に耳をそばだてながら、逃げ出す準備にかかった。だが、エイミーはどうにもそわそわして不安なようだった。
「ねえティーポ、巻き込んじゃってごめんね」
「なにがだ?」
「なにがって……」
チクローポといることでだろうか、自然とエイミーの口数も減っていた。
そのとき、扉をノックする音がした。
「パヴリーン、隠れろ」
チクローポはなにかを嗅ぎ取ったのか、極度の警戒状態になっていた。
いわれるがままに、エイミーは入口から見えなさそうな椅子の後ろに身を潜めた。
「誰だ?」
「あの……僕……」
扉の向こうから若い男の声が返ってきた。
チクローポがゆっくりとすこしづつ扉を開くと、二十歳にもならない、ニキビのある赤ら顔が見えた。
「外は凄い警戒体勢です。よかったら道案内しますけど」
「脱走か? 死ぬぞ」
「それでもいいんです。誰かの為に死ぬなら死にがいもあります。でも、無意味に死にたくないんです」
「あなた……」
椅子の影から様子を窺っていたエイミーは、その男が家族への手紙を託した、若い応召兵であることに気づいた。
エウロパの戦いに参加予定の部隊に所属している兵士の一人だった。
「姉さんに似てるんだ。だから、命を賭けられる」
それを耳にしたチクローポは大きな溜息をついてからいった。
「やめとけ」
「いや、いいんです。案内させてください」
「本当に死ぬぞ」
「早くしてください、いまならまだ間にあいます」
「どうする、パヴリーン?」
「一緒に逃げてこの子を助けたい」
「わかった」
チクローポは若い応召兵とエイミーに目配せを送った。
二人は先導する北軍脱走兵のあとに従って、薄暗い通路を足早に進んで行った。
隔壁扉をあと数カ所とおり過ぎればというところで、警備の兵士に見つかってしまった。
「走れ!」
チクローポが叫んだ。
エイミーも若い応召兵も必死に走った。
「脱走だ! 脱走者が出た!」
「銃殺の許可が出た。さっさと撃ち殺せ!」
三人の後姿を銃弾が追い縋った。
あっという間に基地の一角が大騒ぎになり、銃を持って駆け回る軍靴の音に満たされていった。
「早くしろ!」
真っ先に出口に辿り着いたチクローポが辺りに視線を投げながら、二人が最後の隔壁扉を抜けてくるのを待っていた。
彼は背負っていた荷物を弾除けとしてそこに置いていた。
そのとき、エイミーが転んだ。
「姉さん!」
若い応召兵は走り抜けようと思えば走り抜けられたが、彼女の元に駆け戻って助け起こした。
「さあ、立って」
次の瞬間、エイミーの耳朶を苦悶の悲鳴が打った。
「パヴリーン!」
チクローポの声は応召兵の悲鳴を掻き消そうとするかのようだった。
「パヴリーン!」
エイミーは後ろ髪を引かれつつ、恐怖に駆られ、絶叫しながら足を動かした。
「どうしてよ、どうしてなのよ!」
彼女がチクローポの胸に飛び込むと、彼はエイミーを抱きあげ、目星をつけていた軽装四輪車へと疾駆した。
銃弾が二人に追い縋ったが、チクローポは蛇行して避けながら軽装四輪車に辿り着くと、エイミーを乗せて走り出した。
捜索隊というより銃殺隊との距離が開いたのだろうか、チクローポはすこしアクセルを緩めると、計器盤を操作して方位を確認し、またアクセルを吹かした。
しかし、燃料タンクに数発被弾していた軽装四輪車は、しばらくするとガス欠になってしまった。
「歩くぞ」
「嫌よ、ティーポ。すこしは悲しませてよ」
エイミーは反抗しても無駄だとわかってはいたが、そうせずにはいられなかったのだ。
それを読み取っていたのか、チクローポは彼女を軽装四輪車から抱き降ろした。
「なら憶えておけ」
「なにを? なにを憶えておけっていうの? ねえティーポ、彼の悲鳴? それともこの血痕やその臭いを? そんなのって……」
「名前だ」
エイミーはそういわれたとたん、トランクを開けて預かった手紙を探しはじめた。
「ティシアー・スタウロス」
チクローポはぽつりといったあと、応召兵の軍服から剥ぎ取った名札を胸ポケットから出して見せた。
「ティーポ……」
それでもエイミーは自分の手と目で確かめずにいられなかったのか、トランクを漁りつづけた。
ようやく預かった封筒を見つけ出すと、彼女はそれを破いて手紙を読んだ。
「ティシアー・スタウロス。わたしと同じコロラド出身。十八歳。こんな遠いところに殺されにきたっていうの……。助けられると思ったのに……。わたしのところに戻ってこなきゃ逃げきれたじゃない……なんで、どうしてあんなことしたの……」
「パヴリーン、生きろ」
「……」
「それが供養だ」
エイミーはその言葉とチクローポが名札をポケットに仕舞うの見て、納得するしかなかった。
もちろん後悔や断腸の念がなかったわけではないが、このままここにいて殺されてしまったら、彼の死を無駄にするのだと気づいたのだった。
「それでどうするの?」
「ドームを出る」
「その先は?」
「南軍基地」
「でも、北軍が追いかけてきてるのよ。双方がぶつかりあったら、地上戦になりかねないじゃない」
「奴らも馬鹿じゃない」
「南軍が助けてくれるとでも?」
「ドームの先は宇宙だ」
「わかったわ。そこまでは追ってこれないっていうのね。でもその先はどうするのよ? 南軍基地まで歩くの?」
「そうじゃない」
「ああ……もう、どうでもよくなってきた。だってわたし、歩ける自信ないもの」
そういいながらエイミーは手紙を封筒に戻して、トランクの蓋を閉めた。
「パンタミーマを信じろ」
「どういうこと?」
「信じられないのか?」
「わかったわ、信じる。――ねえティーポ、それより、あなたの荷物は?」
「さあな」
「だって、あれには大事な機材があったでしょ」
「また揃えればいい」
「それに、血が出てるじゃない」
「かすり傷だ」
「待って、待ってよ……行くから」
チクローポは、パンタミーマから受けとった宇宙服の箱を持って、すこし先を歩いていた。
弱音を吐いたものの、一人取り残されるのを恐れたのか、負傷した彼が気になったのか、エイミーはトランクを引きずりながら後を追いはじめた。




